──まず、今年の9月21日でデビュー30年目を迎える心境から聞かせてください。
一昨年にアルバム『Infinity』を出したんですけど、そのアルバムのリリース自体が前作『Chasing Hope』から11年ぶりだったんですね。ずいぶん休んだなっていうふうに思い知らされて(笑)。なるべく年に一度はファンの皆さんに会えるようにライブやイベントには出させていただいていたんですけど、その11年の間の期間って、私が出産をして、育児に励んでいた期間とちょうど重なるんですね。だから、だいぶのんびりはさせてもらっていたんですよね、音楽活動としては。
──子育てのほうはのんびりできないですもんね。
そうですね。とにかく必死だったので、重い腰を上げるのに時間がかかってしまって。ファンの方にも「きっともう、ボニーは戻ってこないんじゃないか……」って思い始めさせていたので(笑)、一昨年アルバムを出したところから、再度ギアを入れて。私的にはもう少しライブの本数を増やすとか、リリースも何年も空けないっていうふうに誓ったんです。でも、30年のうちの後半の10年はゆるゆるしてたから、30周年というには、自分的にはちょっとおこがましいんですけど、めったにこない周年だから、ファンの皆さんとお祭りみたいな感じで一緒に楽しめたらいいなと思って、今年に入ってからアコースティックツアーを始めて、習慣を身体に思い出させているところです。だから、30周年というのは、嬉しい反面、ちょっと恥ずかしいっていうのが正直な気持ちですね。
──でも、実質、30年間、今に至るまで音楽活動を続けてきてるわけですからね。
運にも味方してもらって、なんとか音楽だけでやらせてもらってきているので、それはすごく恵まれているなと思いますね。誰でも30年続く世界でもないと思うんです。なので、ありがたいなっていう感謝の気持ちで周年を迎えたという感じです。
──1995年9月21日にファーストアルバム『Blue Jam』でデビューしてからの30年間を振り返って、転機になった出来事をいくつか挙げていただけますか?
そうですね。デビューして3年間は……。
──赤毛時代?
そう、赤毛時代はもう無我夢中でした。自分の好きなことだけを追求する姿勢はブレずにやってきたかなと思うんですけど、初期はまだ知識が伴ってなかった。だから、最初の5年というのは、周りにいろいろと教えていただきながらやってたかな。最初の3年間を無我夢中でやった後にニューヨーク生活っていうのを挟むんですけれども、あそこで腹くくったっていうのはありましたね。
──1998年から2000年の2年間を活動休止して、ニューヨークに行ってました。
私は洋楽ばっかり聴いてたし、海外でライブもやらせてもらった時もあったんですけど、日本人だし、日本語で歌っているし、やっぱり日本のファンの方に自分を伝えていかなきゃいけないっていうのを外に出て自覚して。「いや、私、日本でちゃんと活動しなきゃ」って思って帰ってきたようなところがあったんですね。それからは、海外でレコーディングはしてましたけど、もうずっと日本。私は日本でやっていくっていうふうに決めたのが最初の5年かな。そのあとは10年目というと……。
──1999年にレーベルを移籍して、2005年にデビュー10周年を迎えました。その翌年、2006年に「A Perfect Sky」が大ヒットして、紅白歌合戦にも出場し、2007年には初の武道館公演もあって。
そこが一番大きく跳ねた瞬間でしたね。知名度も上がり、ポップスを歌う人として認知された。私自身は、もちろんポップスが好きで、ポップミュージックをやってる意識はあるんですけど、そんな明るく楽しい曲だけじゃなかったりして。むしろダークサイドの方が私の根っこなのかなと思っていたんですけど、「A Perfect Sky」をこれだけの方が聴いてくださるんだったら、その一面も私の大事な要素であるっていうことを自覚して。だから、それ以降周りにそちら側を求められることも実際増えました。
──「Evil and Flowers」のように暗い曲の方が私らしいのにっていう抵抗はなかったんですね。
オファーをいただいた時点で、「冬に真夏の曲書くんか!」みたいなのはありましたけど(笑)、抵抗はそんなになかったです。その時、こういう風にお題をいただいて書くのは好きかもしれないって思ったんですよね。自分が若い時に聴いていた音楽は——いろんなものを聴いていたんですけど、最終的には、誰が聴いても気持ちがアガるような曲を生み出しているアーティストが好きでした。もちろん1人のアーティストを1個のジャンルでくくれないと思うんですけど、ホップの素養がある人が好きだったんですね。自分のポップな部分がちょっと拡大して認知されてしまったけれども、そこは大切にしていかないといけないんだなっていうふうに自覚したのが10周年のタイミングでした。だけど、それまでのファンの人はちょっと戸惑いもあったかもしれない。なんなら、方向転換したって思う人もいたのかもしれないですね。
──でも、ご自身としては方向転換ではないわけですもんね。
自分の一部にあったものですね。そこがたまたまボンって弾けちゃっただけ。だから、そういうポップな曲を極力、生み出せたらいいなとは思いつつ、そっちに寄せすぎないようにしなきゃっていうふうにも思って過ごしたのが、その後の10年だったかな。自分の核心、コアな自分ってどこにあるのかなっていうのを常に問いかけながら過ごしてました。そのあと、2011年に震災があって。辛い境遇にある人が聞いて、少しでも前向きになれるような曲が書けたら出してもいいのかなーっていうふうに思って。スローペースではあったんですけど、作品は出していましたね。