【THE MICRO HEAD 4N’S】SHUN.の上から読んでも下から読んでも「世の中バカなのよ」第2回

コラム | 2017.12.13 17:00

みなさんこんにちは。
前回より始まりましたこちらのコーナー。
只々、僕の破天荒っぷりといいますか、はたまた、ただの天然っぷりなのかよくわからないですが、とにかく音楽人でありながらもそれとは無縁な話をここに記していくというコーナーであります。

第一回目では、僕の自己紹介と幼少期頃にあった電車に衝突するというテリーマンもびっくりな話でしたが、今回は中学生の頃にあった話を書きたいと思っております。

もう中学生の頃の話だと、このままでは第5回くらいでこのコーナー終わってしまいそうで心配ではありますが、、、、

中学生といえば、そろそろ反抗期というものも始まる頃ですが、僕も中学2年の頃よりそれが始まったと思います。

うちは、決して裕福な家庭ではなく親父も厳しくというか、正直、恐怖の象徴でありました。

ここですら書けないようなことも日常茶飯事であり、家では常にどこかの窓ガラスが割れていましたし、毎晩怒号が響き渡るような環境でした。
そんな中、僕の反抗期は始まり、学校に対してなのか親に対してなのか、社会全てに対してなのかはわかりませんが、とにかく当時の僕の心は荒んでおりました。

 

ある日、何が原因だったのかはわかりませんがいつものように親と衝突し、
「じゃぁ!わかったわ!出て行ってやる!こんな家!!」
と、そのまま着のみ着のままで、家を飛び出しました。

そして僕は、心の中で、
(後で心配になってきっと俺のこと探しに来るんだろうな、、、)
くらいの軽い考えでした。

 

1時間後、、、、、
まだ来ません、、、、

 

3時間後、、、、
来る気配すらなし、、、、、

 

5時間後、、、、、
家から笑い声だけ聞こえる、、、、

 

8時間後、、、、
待ち人来ず、、、、、

 

1日経過、、、、、
僕、諦める、、、、

 

2日後、、、、、、
俺、死ぬのかなぁ、、、、、

 

3日後、、、、、
俺、川の下で拾われたって噂本当だったのかなぁ、、、と思い始める、、、、

 

結果、1週間後くらいに学校の先生が探しに来ました。

 

親来ず!!!!!

 

驚愕の事実です!!!

 

マジで捨てられたかと思いましたwwww
(自分から家を出たにも関わらずですが、、、、)

世の中の厳しさをこの時に知りましたwww

その間、僕は公園で雨風をしのぎ、食事は友達に給食を持って来て分け与えられ、まるで捨てられた子犬のようでした。
(しかしこの時の経験が後の僕に大いに役立ちました)

 

後日、母親に聞いたのですが、母はすぐに探しに行こうとしたのですが、親父が
「自分で出て行ったんやから、探しに行く必要ないっ!!」
と母を恫喝し、その後も隠れて探してくれていたみたいで、ついには学校に連絡したみたいでした。

そして、それからどうなかったというと、結局母と話して、従兄弟が下宿的なところをやっているからということで、そこに僕は住み込むことになり中学2年にして一人暮らしを始める羽目に、、、、、

でも、この時、ある意味憧れでもあった一人暮らし、誰にも干渉されないということもあり、逆に嬉しかったのも覚えております。

 

しかしながら、やはり世の中そんなに甘くはありません。
下宿代は自分持ちなのであります。

もともと早朝から新聞配達をしていたので、それはそのまま続けて、夕方から友達の家が経営をしている工場で訳を言ってアルバイトをさせてもらい、すでに学校とバイトの日々に明け暮れるという生活に。

それでも、そんな生活は前の時より窮屈さがないせいか充実もしており、自分自身が自立したような気もして、なんだか周りのみんなよりも大人になった感じで妙な優越感を勝手に感じておりました。

結局そのまま中学生活を終え、その後は遠く離れた街、憧れの岐阜市に住むことに。

※余談ではありますが、僕の住んでいた郡上市(当時は郡上郡)は、本当に田舎で、夏休みにクラスで岐阜市に旅行行って来た!というだけでもちょっとしたヒーローでした。

高校だけは行ってくれと、母からの願いもあり、岐阜市の定時制の高校になんとか入学することに。
この時、僕はすでにロックスターになる!!というとんでもない夢を抱いており、この郡上にいては何もできない!と思っていました。

ちなみに普通だったら、すぐにでも東京に上京という感じにでもなるんでしょうが、いかんせん田舎思考が強すぎたせいか“都会=岐阜市”という考えが先に立ち、岐阜の高校を受験したのである。

 

そして、中学の頃は丸坊主だったので、当時から憧れだったサイドバックにするために髪を伸ばし始めたのですが、ロックはやっぱりモヒカン!!!という田舎思考がここでも作動し、急遽モヒカンを目指し始め、定時制学校だったので、もちろん昼間は働かなくてはいけないので、母の知り合いのスポーツショップに強引にアルバイトで働き始めるのですが、僕の髪型はモヒカン、、、、

これにはさすがに母の知り合いの店長も、 「瀬木君(僕の本名)、、、、その頭なんとかならんかね、、、、」と苦言を呈すも、
田舎者の僕は舐められたらあかん!!と思い
「自分パンクですから!!!」

と訳のわからんことで頑として首を縦に振らず。

さらには、当時、SEX PISTOLS のシド・ヴィシャスに憧れていた僕は、なんとボロボロのジーンズにガーゼシャツをきて狂気の沙汰とも言える姿で出勤。
それで、テニスラケットを売っている姿、、、、

もう滑稽を通り越して不思議ちゃんである。いやいやそんな可愛いものでもなく、周りからは気が触れたのではないかと思われてたと思う。

 

そして、店長も、「瀬木君、、、、、その格好なんとかならんかね、、、、」

僕「自分パンクですから!!」

 

多分この時の僕にポリシーはなかったと思います、、、、

その後も、毎日店長から
「いい加減、普通の服きてくれなか?」
「髪の毛尖りすぎじゃない?」
「服買う金ないのかね?」
「パンクって何?」

その度に、
菅原文太ばりの
「自分、パンクなんで、、、、」
と、訳のわからん言い訳を、、、、、

いうまでもないですが1ヶ月後に
自分クビになりましたw

世の中って本当に厳しいですね。

と、この頃はロックに目覚め、それに向かって頑張ろうとしている僕が空回りして、さらには世の中の厳しさ、自分の考えの甘さというか馬鹿さ加減がてんこ盛りの時期ではありました。

 

次回予告!!
「SHUN.!!ついにホームレスになる!!」
「ダンボールハウスの作り方!!」

の2本立て!!!
ぜってぇ見てくれよな!!!!

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