RAZORメンバーが語る、初めて立ったステージのエピソード
編集部:みなさん、初めて立ったステージのエピソードを教えてください!
仙台の東口にラオックスっていう楽器屋があって、そこにライブができるスペースがあったんです。今はもうないですけど、そこが初ステージでした。チケットも自分達で作って。
友達呼んでみたいな?
──いつ頃ですか?
高校1年くらいだと思うんですけど、コピーバンドでした。
──ちなみにどんなバンドのコピーを?
ROUAGEとかD-SHADEとか。
全員 おおおおお~!
懐かしい!
僕は中2の時に、ちょっとした地元のお祭りで。いつも遊んでいた大きな公園に、ゲリラライブをする時に使うようなトラックがあるじゃないですか。そのステージで。
──どういう経緯で出演することになったんですか?
学校の先生に「お祭りに出るバンドをさがしているから、やってみないか?」って言われて。僕がベースをやっているのを先生が知ってたんですよ。そこから友達を誘ってL’Arc~en~Cielの「HONEY」を演奏しました。
僕も初めてのライブは学生時代で学校の体育館なんだけど、それだと面白くない。なので、ビジュアル系を志して初めてライブハウスのステージに立った話にします。大阪の出戸パンセホールっていうところに出たのが初めてです。その時はもうオリジナル曲でしたね。でも、ドラムはいないし、見つけた仲間もギターで。ぶっちゃけ他の楽器は打ち込みでもいけるけど、歌うやつがいないと始まらないと。だから、その時は僕がボーカルをやりました。ちなみに、その時も“つるぎ”という名前だったんですけど、“鶴”“技”で鶴技だったんです(苦笑)。
だ……ダサい(苦笑)。
哲也は昔なんて名前だったの?
哲也は昔なんて名前だったの?
そこ突っ込みます?(苦笑)。
喜ぶに狂うで喜狂(ききょう)でした(苦笑)。
喜ぶに狂うで喜狂(ききょう)でした(苦笑)。
喜狂さん!
──そろそろ本筋に戻りましょう(笑)。
え~、僕はですね、15、16の時、町田のA to Zっていう小さいライブハウスが初ステージです。知り合いの方がビジュアル系のローディーをしている人と知り合って。その人に誘われてシルドラっていうバンドを組んだんです。で、その初ライブが2マンで、対バンしたのが知り合いのバンドで屍と書いて“カルマ”って呼ぶバンドでした。でも、そのバンドが50人くらい呼べるっていうのに、俺らの客なんてゼロ。だからもうメチャクチャ緊張して、ステージのセンターから一歩も動けなかったです(苦笑)。煽り曲すら微動だにせず(笑)。そうしたら悲しいに咲くで悲咲さんっていうドラマーが、YOSHIKIさんに憧れているんで、客席に降りたがるわけですよ。演奏中、悲咲さんが煽り曲で急にタムを取り出して、客席を練り歩き初めて(笑)。
他のメンバーは?
微動だにしてないですよ(苦笑)。でも、悲咲さんがすごい形相でお客さんの目の前でタムをカンカン叩いても、お客さんはドン引きでしたね。
──悲咲さん、すごいですね。他のメンバーの名前も気になります。
ギターは涙で“るい”。で、もうひとりのギターが魔族の魔に流れるに血で魔流血(まるち)でした(笑)。きてますよね。で、さすがに客がゼロだと気が引けるので、俺らの出番の時だけ物販のスタッフひとりを最前にきてもらって……。そんな初ライブでした(苦笑)。
あの……猟牙の話を最後にしてもらっていいですか(苦笑)。俺は17くらいの時ですかね。その頃、上海に住んでいたんですけど、当時のギターの師匠がThe Maskっていうバンドを組んでいて。
カッコいいね。
で、俺はその師匠のバンドに加入したんですよ。そのバンドが初ステージでしたね。もう足がガクガクしたし、練習とは違って全然弾けなくて。でも、実はドラムが俺より緊張していて、バスドラのカバーを破ってしまって。そうしたら、バスドラの替えがなくて、それ以降はライブができなくなっちゃったんですよ。そのあとは師匠が急にモンパチ(MONGOL800)を歌い始めて、何とか収まったんですよ……って、少し盛ってみましたけど、大丈夫ですかね(苦笑)。
編集部:今のみなさんからは想像もつかないような失敗談も飛び出し、
猟牙さんの「V系あるある」な赤面エピソードには全員大盛り上がりでした(笑)
ありがとうございました!
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