神園さやか、デビュー20周年ワンマン開催「デビューから現在までの集大成となるステージを見せたい」

インタビュー | 2023.07.20 19:00

──本日は8月20日に、渋谷 duo MUSIC EXCHANGEで行われるデビュー20周年を記念したワンマンライブのお話を中心に聞かせてください。ライブまで1カ月を切りましたが、どんなステージになりそうですか。

はい。ライブのタイトルの最後に「これまでで最高の」という意味を持つ「~best ever~」と付けました。会場となるduo MUSIC EXCHANGEは、史上最大のキャパシティーでもあるので、集大成となるステージを見せたいと思っています。自分で企画していることもたくさんあるので、足を運んでくださった方と最高の時間を過ごすことが出来ればと思っています。

──ものすごい熱量を感じますが、事前にお話をいただける範囲内でどのような企画を考えられているのですか。

2003年にデビューをしたときは、「演歌歌手」として活動をスタートしていました。現在はシンガー・ソングライターとして活動をしているのですが、それぞれの活動の歩みを感じていただけるような演出を考えています。

──神園さんは2002年に北島三郎さんなどが所属している老舗音楽会社「日本クラウン株式会社」が創立40年を迎えた記念に行った「新人発掘オーディション」でグランプリを獲得し、デビューを掴みました。オーディションを受けた当時は15歳でしたね。オーディションを受けたきっかけを教えていただけますか。

私は広島出身なのですが、母が地元でカラオケ喫茶を開いていたんです。お店には小さなステージがあって、3歳くらいからそこに立って歌っていました。お客さんが喜んでくれることがうれしかったですし、ずっと歌っていたいなって。小・中学生になってからは、宇多田ヒカルさんなどの歌姫が全盛期を迎えていたこともあって、「私も歌う人になりたい」という思いはいつからか心の中にありました。

──幼少期からステージに立って歌われていたのですね。学生時代は吹奏楽部や合唱部に所属していたなど、音楽活動はされていたのでしょうか。

小学校1年生から4年生ぐらいまでは、クラシックピアノを習っていました。地元のカラオケ大会に出場したりもしていて、あらゆる大会にエントリーしていたので“カラオケ大会荒らし”の異名をいただいたこともありました。あるとき出場した大会に山本譲二さんに歌詞を提供していた作詞家の先生が審査員としていらっしゃって、「今度、クラウンのオーディションがあるから受けてみたら?」と声を掛けていただいたことが転機になりました。

1996年6月2日(神園さやか10才)地元の健康ランドで開催されたカラオケ大会にて

2002年4月6日(神園さやか15才)日本クラウンオーディションにて

──オーディションでどんな曲を歌われたのでしょうか? 運命を変えた楽曲ですね。

岩本公水(くみ)さんの「夜祭り」です。派手な楽曲で、ステージ映えするなと思って選びました。

──いまの神園さんが、こぶしをきかせて歌う姿も聴いてみたいです。神園さんの歌は楽曲によって色々な表情を持っていると感じますが、その表現はどのようにして養われたのでしょうか。

ジャンルを問わずに歌って来たことが大きいかなと思います。カラオケ喫茶のステージでマイクを手にしていたときは、歌手の人たちの歌い方を真似して歌っていました。思春期になって洋楽を聴くようになってからは、ソウルフルな歌い方に憧れたりもして。さまざまな表現に触れたことが、いまの自分にいきていると感じます。

──オーディションでは、見事グランプリを手にされ、2003年8月に「初めてのひと」でデビューしました。活躍が認められ、同年の12月には「第45回日本レコード大賞」で新人賞を贈られました。

デビューをした年に、「10万人握手キャンペーン」というものを始めました。ファンの方はもちろん、和田アキ子さん、テリー伊藤さんなど著名人の方とも握手をさせていただいており、新人賞をいただいたときは4万5000人目が目前という時期でした。レコード大賞は生放送で、賞をいただいた歌手は番組の中で歌を披露させていただくんです。とても光栄なことなのですが、とても大変な出来事がありました。

──どのようなエピソードですか?

デビュー曲を歌わせていただくために、放送が行われるTBSの玄関にスタンバイをしていました。ここからが大変なミッションの始まりでした。新人賞が発表された後、アナウンサーの安住紳一郎さんたちが待つスタジオまで、歌いながら握手を続け、4万5000回目に司会の堺正章さんと握手をして終えなくてはいけなくて、たくさんの人と歌いながら握手をしなくてはいけないし、し過ぎると堺さんが4万5000人目にならないから、ありがたいことなのに、全員とは握手できなくて、スタッフの方が制して下さったりしたのですが、頭の中は大混乱でした。無事に堺さんと握手をすることが出来たのですが、1ミリも記憶がなくて、後から映像を観て「こんなことしていたんだな」って。スタジオにはくす玉も用意されていたのですが、放送を観ていた友人から「最優秀賞かと思うくらい、すごい演出だった」と聞いて苦笑いしました。

──それは本当に大変な出来事でしたね。神園さんは広島がご出身なので、平和交流など国際的な活動も多く携われてきました。日本代表としてこちらも大きな責務があったと思います。

広島の子どもたちの多くは、幼稚園や小学校のときに、広島平和記念資料館に行き平和について考える「平和学習」を経験しています。「世界平和」と大きくとらえると、個人の力では難しいと考えてしまいますが、「他者が嫌がることをしない」など思いやりを持った行動が繋がっていくことで平和を守ることはできると思います。海外で歌ったときは、言葉が分からなくても思いが伝わると感激しました。私の歌で世界を救うことは、直接的に難しくても、その懸け橋になることができればいいですね。

2001年5月5日(神園さやか14才)ひろしまフラワーフェスティバルにて

──色々なお話をうかがって、8月20日のワンマンがより楽しみになりました。

たくさんの方に、私の20年間を見ていただきたいので、今のシンガー・ソングライターとしての音楽はもちろん、これまでの活動を振り返ったり、演歌時代のイメージで止まっているという方にも最近作った曲も聴いていただきたいと思っています。

──肩書をシンガー・ソングライターと変えたのは2020年のことでした。歌詞や楽曲をご自分で制作なさることによって、表現に変化はありましたか。

前よりも自分の気持ちに向き合う時間が増えました。

──35歳になられたときに発表された「Vogue」は勇ましい女性が描かれています。今年1月に配信リリースした「変わらない日々の中に」は寄り添うように優しい歌声が印象的です。

「Vogue」は怒りから生まれた曲。悲しいことをメモしていき、それを跳ね返すような力強い思いを歌詞にしていきました。「変わらない日々の中に」はコロナ禍に書いた曲。穏やかな日常が続いてほしいと願う反対側に、あまりにも変わらなさ過ぎてどん底という“裏テーマ”がありました。

神園さやか − 『Vogue』【Official Music Video】

神園さやか −「変わらない日々の中に」【Official Music Video】

──優しい歌声に癒やされましたが、そんな裏事情があったのですね。

デビューしてずっと、あわただしい日々を過ごしていましたが、コロナ禍でライブが中止になるなど、人に会えない時間が続きました。毎日予定がないので、家の掃除がはかどったのですが、朝8時半に起きて掃除をして…という時間が明日も続くのかなと思ったら、床はピカピカだけど絶望的な気持ちになったんです。変わらな過ぎて怖いというか。そんな中でも人と繋がりたいと始めた配信で応援してくれる人の声を直接聞いたことで救われたと感じた瞬間がありました。緊急事態宣言が出る前の2020年3月8日に、渋谷のO-WESTで配信ライブ「“Yell for All Fes”」を開いたのですが、このときも日本中が沈んでいるときに何とか歌を届けたいと初めて主催ライブを企画しました。無観客ではありましたが、時間を共有できたことで「ひとりじゃない」と安心できました。8月20日も同じ渋谷でコンサートを行います。コーラスを入れたり、音に厚みを持たせたいとキーボードを2台入れるなど、新しいチャレンジもたくさんあります。3年前のフェスの続きを、みなさんと楽しむことができればうれしいです。

PRESENT

神園さやか 直筆サイン入りポスターを1名様に!

※転載禁止

受付は終了しました

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