「角川映画シネマ・コンサート」に向けて、角川映画と音楽の関わりを検証していくシリーズの2回目。今回は、特に80年代の角川映画に於けるシンボル的存在、「角川三人娘」の活躍について振り返ってみたい。
角川映画の地位を大きく躍進させたその人・薬師丸ひろ子は、1978年に『野性の証明』の少女・長井頼子役として、鮮烈なデビューを果たした。将来の大開花を予感させるその個性がアイドル的支持へと結びついたのは、80年に主演した『翔んだカップル』からである。その頃、角川が発行していた映画ファン向け雑誌『バラエティ』で、ひろ子と共に若手女優三人娘として大プッシュされていたのは、意外や意外、杉田かおる・荻野目慶子だったことも、今では遠い想い出であろう。
そのひろ子人気が最高潮に達した映画『セーラー服と機関銃』(81年)は、初めて自ら歌った主題歌も大ヒット。大フィーバーの最中、大学受験の準備に専念するため、突然の活動休止宣言。ファンに与えたショックは大きなものだったが、看板スターをわずかの間ながら失うこととなった角川は、ポストひろ子の座を確保するため、東映と合同で大々的なヒロインオーディションを開催する。そこで発掘されたのが、大賞に輝いた渡辺典子と、特別賞を受賞した原田知世の二人だった。
『伊賀忍法帖』(82年)で、真田広之の相手役として鮮烈なデビューを飾った渡辺典子は、翌年とある不祥事により主役の座が空席となった映画版『積木くずし』に急遽起用され、体当たりの演技で女優魂を見せつける。84年には角川制作によるアニメ映画第2弾『少年ケニヤ』の主題歌を歌い歌手デビュー。その後も『晴れ、ときどき殺人』『いつか誰かが殺される』(共に84年)、『結婚案内ミステリー』(85年)など、自ら主演した映画のテーマ曲を歌い、コンスタントにレコード発売を続けた。意外にも慎重で伸びのある歌声に定評がある。
そんな典子をしのぐアイドル的大成功を収めたのが、原田知世だ。デビューはひろ子の大ヒット作『セーラー服と機関銃』のテレビドラマ版リメイク(82年)で、その主題歌「悲しいくらいほんとの話」でレコードデビューを飾っている。翌年主演した『時をかける少女』が主題歌共々大ヒットし、一躍トップアイドルの座に躍り出た。守ってあげたくなる繊細な歌声は、その後主演した『愛情物語』『天国にいちばん近い島』(共に84年)の主題歌でも印象的に響き、映画のヒットを後押し。充実した音楽活動は、驚くなかれ今の今までコンスタントに続いている。実の姉・原田貴和子も、角川映画『彼のオートバイ、彼女の島』(86年)で主演を務め、主題歌も歌っているが、これが隠れた名曲。
そして無事玉川大学へ入学した薬師丸ひろ子は、83年に映画『探偵物語』で復帰。併映された『時をかける少女』のパワーもさることながら、大瀧詠一の手による主題歌の大ヒットにも後押しされて、最高の再スタートを飾った。ここで3つの駒が無事揃い、ひろ子・典子・知世の3名は「角川三人娘」と総称され、時代を席巻し始めることになる。
その後のひろ子は、『メイン・テーマ』『Wの悲劇』(共に84年)と、次々と当たり役を手に入れ、それぞれ南佳孝、松任谷由実の手による主題歌も大ヒットさせているが、同年にリリースした初のオリジナル・アルバム『古今集』は、シングルヒットを敢えて排除し、歌手としての魅力を最大限にクローズアップした力作となり、こちらも大ヒットした。1曲目を飾る竹内まりや作品「元気を出して」は、末長く愛されるスタンダード曲となり、その後リリースされたまりやの自唱版(87年)では、お礼としてひろ子がバックコーラスに参加している。
こうして女優・歌手活動とも軌道に乗せたひろ子は、85年に角川から円満独立。他の二人も程なく角川を去り、三人娘という関係は自然消滅した。レコード発売と映画出演が有機的に相乗効果をもたらし人気を急成長させるという、斬新なメディアミックス効果は、間違いなくこの三人の成功によって発展したと言えるだろう。これらの名曲の幾つかも、きっとこのコンサートで聴けるに違いない。
角川映画 シネマ・コンサート [DI:GA ONLINE×大人のMusic Calendar共同企画]
≪著者略歴≫丸芽志悟 (まるめ・しご):不毛な青春時代〜レコード会社勤務を経て、ネットを拠点とする「好き者」として音楽啓蒙活動を開始。『アングラ・カーニバル』『60sビート・ガールズ・コレクション』(共にテイチク)等再発CDの共同監修、ライヴ及びDJイベントの主催をFine Vacation Company名義で手がける。近年は即興演奏を軸とした自由形態バンドRacco-1000を率い活動、フルートなどを担当。 5月3タイトルが発売された初監修コンピレーションアルバム『コロムビア・ガールズ伝説』の続編として、新たに2タイトルが10月25日発売された。