TEXT / 横山シンスケ
前回「日本のロックはもうRCサクセションから始まった事にしよう」と勝手な事を書いたが、今回は「日本で一番危険なロックバンドはザ・スターリンだった」とまた勝手な事を書く。
実際スターリンは本当に危険なバンドだった。
1980年結成。ソ連の政治家の名前をわざとバンド名につけ、インテリかつ凶暴かつ非常に詩的な歌詞。初期パンクサウンドから途中当時発生したばかりのハードコアパンクのメチャクチャ早く激しいビートも取り入れ、メディアも巧みに使いながらスキャンダラスな活動や発言で一躍80年代サブカルシーンのヒーローとなった。
ライブは今も伝説で語り継がれてるその通り、豚の内臓を客席に投げ、全裸で客席に放尿し、バクチク花火が飛び交いステージと客の耳元や目元で破裂していた。
34年前。友達と見に行ったスターリンも客も一番ヤバかった頃のライブはそこら中でケンカだらけ。客のほとんどは真剣に暴れに来てたし、何人かはなぜか本気でミチロウを殴ろうとしていた。そしてミチロウもステージに飛んでくる客をホントに何人も殴って蹴っていた。
客が投げたビール瓶は頭の上を飛び壁やステージで割れ、ある客は自分で口に刺した安全ピンが暴れてちぎれ、頬から大量の血をフロアにまき散らしながら踊り、なぜか僕の友達も「絶対にミチロウを殴る」と宣言しステージ前まで行きミチロウに殴りかかり、逆にステージの上からミチロウに思い切りブン殴られ沈没船のようにゆっくり客の波の中に沈んでいき、後ろからそれを見て僕もヘラヘラ笑っていた。
そう。自分もふくめ全部が本当に狂っていた。
コンプラな現代にこのライブイベンターのサイトで「いやあ、あれはロックだったねえ~」とかバカみたいに書いていいかすら分からないが、いまだあれを越える危険なライブ体験はないし(当たり前か、こんなの今できるわけないか)、あの全てを狂わせていた空間は何だったんだろうと今も不思議に思う。
それからスターリンは解散し、新生スターリンになったがまた解散。その後ミチロウさんはひとり弾き語りライブで全国をまわり続け、自分のバンドや、時々スターリンも復活させたり今も精力的に活動している。僕も何度も観に行った。
そんなミチロウさん監督主演のロード・ドキュメンタリー映画「お母さん、いい加減あなたの顔は忘れてしまいました」を観に行った。
映画を観ながら、撮影中に偶然起きたミチロウさんの故郷である福島の原発事故が大きなテーマのひとつだと分かるが、やはりこの映画タイトルの通り「家族」が一番大きなテーマなんだと気付いた瞬間、ある事を思い出した。
ミチロウさんはスターリンデビュー当時のインタビューで「歌詞のテーマは?」という質問に「家族です。スターリンは家族の事以外ほとんど歌ってないですよ」と即答していた。
当時高校生の自分にその発言はえらく衝撃的かつ同時に「過激なスターリンが家族がテーマって、どういう意味だろう?」と、実は今もあまりその答えの意味がよく分からないまま長い年月が過ぎていたが、ここに来て突然すべてが一致した。
ミチロウは何も変わっていなかった。
豚の内臓を投げ客をブン殴ってた時も、1人弾き語り日本中ライブで旅しながら大好きな猫を女のコのように写メ撮りアップして喜ぶ今も、どの時代のどんな状況の中にいようと、ミチロウの表現したいものは一貫して何も変わらなかった。
居心地悪いが絶対に変えられない親や家族や生まれた故郷と向き合い続けなければならない自分を表現し続けてるだけだったのだ。
ミチロウさんのその呪いにも似た魂に気付き、映画が終わっても僕はしばらく席を立たず、しばらくひとり脱力していた。
なんて凄い表現者なんだ。
横山シンスケ
49歳。お台場のイベントハウス「東京カルチャーカルチャー」店長・チーフプロデューサー。その前10年間くらい新宿ロフトプラスワンのメインプロデューサーや店長。
15年前、ロフトプラスワンにミチロウさんやそうそうたるパンクレジェンドの方々をお呼びしド緊張しながら「スターリントークライブ」を開催した。