TEXT・PHOTO / 桑田英彦
昨年の10月にアメリカ3大ネットワークのニュースに取り上げられた小さな不動産売買のニュースがある。その物件が下の写真に写っているバンガロー造りの小さな家である。通称”ボーン・トゥ・ラン・ハウス”と呼ばれているこの家は、1970年代初頭、鳴かず飛ばず状態だったブルース・スプリングスティーンが、出世作となった『ボーン・トゥ・ラン』に収録されている大半の曲を書いた家で、ファンの間では有名な場所である。長年、スプリングスティーンの熱烈なファンである2人の男性が所有していて、バケーション・レンタルホーム(貸別荘)として使われていたが、昨年秋に$299,000で売りに出されニュースとして配信されたのだ。この家が建つのはニュージャージー州ロング・ブランチという海沿いの小さな街で、ここはスプリングスティーンの生まれ故郷である。
ロング・ブランチの南側にある街が、スプリングスティーンのデビュー・アルバムのタイトルにもなったアズベリー・パークだ。この周辺にはスプリングスティーンゆかりの場所がたくさんあり、彼の代表曲である”ボーン・トゥ・ラン”や”サンダー・ロード”などの歌に登場するスポットが数多く点在している。大西洋に臨むボードウォーク、埃っぽい海岸線を走るビーチ・ロード、そしてマリーが踊る通りに面したポーチなど、ファンにはたまらない歌の世界が広がる。アズベリー・パークの街中にあるATMやパーキング・メーターなどは、スプリングスティーンのデビュー・アルバム『グリーティング・フロム・アズベリー・パーク』のジャケットを飾るイラストでデコレーションされている。そしてハイライトはブルース・スプリングスティーン&Eストリート・バンドがホームグラウンドにしていたクラブ「ストーン・ポニー」だ。このクラブは現在も営業を続けている。
スプリングスティーンは“ボーン・トゥ・ラン・ハウス”で暮らしている時代からこの「ストーン・ポニー」に頻繁に出演し、大成功を収めた後もアズベリー・パークに戻るとここで演奏を続けている。2011年には地元のバンドとともにここのステージに立ち、お気に入りのオールディーズに加えて、“サンダーロード”、“ボーン・トゥ・ラン”など、代表曲を演奏した。このクラブのマネージャーだったエイリーン・チャップマンはスプリングスティーンと個人的にも親しく、現在はロング・ブランチにあるモンマス大学が運営する「ブルース・スプリングスティーン・アーカイブス・センター」の責任者を務めている。写真、映像、出版物や掲載記事、数々のメモラビリアなど15,000点に及ぶ膨大なコレクションは、スプリングスティーンのライフ&キャリアを網羅したアーカイブスとして整理され、アポイントメント・オンリーで一般開放されている。
「ブルース・スプリングスティーン・アーカイブス・センター」は展示館ではなく、様々なメモラビリアのストレージとして機能している。膨大なコレクションはナンバリングされたボックスに入れて管理され、見たいアイテムをこちらから指定すると、スタッフがテーブルの上に並べてくれる。時間制限はなくゆっくり見ることができるので、世界中からスプリングスティーン研究家がリサーチのために訪れるという。ニュージャージー州の南に位置するロング・ブランチ、アズベリー・パークはオーシャン・ビューも楽しめる風光明媚な街なので、もしニューヨーク辺りに行く機会があったら、ぜひ足を伸ばしてほしい。
ブルース・スプリングスティーン「ボーン・トゥ・ラン」
ブルース・スプリングスティーン「サンダー・ロード」
桑田英彦(Hidehiko Kuwata)
音楽雑誌の編集者を経て渡米。1980 年代をアメリカで過ごす。帰国後は雑誌、エアライン機内誌やカード会員誌などの海外取材を中心にライター・カメラマンとして活動。ミュージシャンや俳優など著名人のインタビューも多数。アメリカ、カナダ、ニュージーランド、イタリア、ハンガリー、ウクライナなど、海外のワイナリーを数多く取材。著書に『ワインで旅する カリフォルニア』『ワインで旅するイタリア』『英国ロックを歩く』『ミシシッピ・ブルース・トレイル』(スペースシャワー・ブックス)、『ハワイアン・ミュージックの歩き方』(ダイヤモンド社)、『アメリカン・ミュージック・トレイル』(シンコーミュージック)等。