ザ・ビートルズ「カスバ・コーヒー・クラブからキャバーン・クラブへ」 世界の音楽聖地を歩く 第14回

コラム | 2016.08.28 16:00

TEXT・PHOTO / 桑田英彦

ビートルズの前身となるクオリーメンを結成して音楽活動を続けていたジョン・レノンは、教会の野外バザーで行われたコンサートに出演した際、友人にポール・マッカートニーを紹介される。1957年7月6日のことである。ポールはギターをチューニングすると『トゥエンティ・フライト・ロック』や『ビー・バップ・ルラ』など当時のヒット曲を正確な歌詞とコードで演奏してみせた。当時は歌詞をまともに覚えることもなく適当に歌っていたジョンにとって、ポールの演奏は衝撃だったのだ。バンドリーダーとしての地位にこだわっていたジョンは、明らかに演奏技術も音楽知識も上であるポールをバンドに入れることを迷う。「こいつを加入させるとバンドでの俺の立場が危ない」と悩んだが、数日後にポールをクオリーメンに誘う。レノン=マッカートニーという奇跡への一歩はこうして始まったのだ。翌年にはジョージ・ハリスンがオーディションを受けてクオリーメンに加入するが、メンバーの入れ替わりは激しく、最後に残ったのがジョン、ポール、ジョージの3人だった。

 

1959年8月29日、クオリーメンはカスバ・コーヒー・クラブの開店記念イベントに出演し、以後はここをホームグラウンドとして活動を続ける。この年は7回出演し、翌年ビートルズに改名してからも、1962年の最後の出演まで37回もカスバ・コーヒー・クラブで演奏している。まさにビートルズ生誕の場所(写真上)である。ここはデビュー前のビートルズにドラマーとして参加したピート・ベストの母親、モナ・ベストが競馬で大穴を当てて得た配当金で購入した物件で、カスバ・コーヒー・クラブとして改装したのは自宅の石炭倉庫だった建物である。

 

内部のペンキ塗りはジョンやポールが手伝い、クオリーメンが演奏していたレインボー・ステージ(写真上)の天井にはポールが描いた虹色のペインティングが、そして壁面にはジョンが自らナイフで刻んだサインが残されている。この板張りの穴倉のようなレインボー・ステージは当時のまま保存され、粗末なステージには、この場所で歌っている当時のポールの写真が飾られている。クオリーメンは毎週土曜日の夜にこのレインボー・ステージに出演して、たった1本のマイクと店の粗末なPAシステムだけを頼りに演奏した。毎週演奏はノリノリで、この窮屈なクラブに300人を超えるファンが集まることもあった。それでも各メンバーのギャラは一律15シリングという安さで、メンバーたちはギャラをめぐってモナともめた時期もあった。

 

デビュー前のビートルズのハンブルグ巡業でドラマーが必要になり、モナの息子、ピート・ベストがバンドに加入する。ハンブルグ巡業での過酷な日々を含め、ピートは2年間をビートルズのメンバーとして過ごす。1961年12月にはブライアン・エプスタインがマネージャーになり、ビートルズのメジャーデビューに向けて本格的な売り込みが始まった。1962年6月6日、のちにビートルズを大成功に導く名プロデューサー、ジョージ・マーティンによるEMI傘下パーロフォン・レーベルのオーディションが行われた。この時に演奏した『ラブ・ミー・ドゥ』は録音され、このテープがその後のピート・ベストの人生を大きく狂わせる結果となる。同月24日、カスバ・コーヒー・クラブは閉店の日を迎え、この最後のステージにデビュー直前のビートルズが出演している。ガンを患っていた母が亡くなり、自らも妊娠していたこともあって、モナはカスバ・コーヒー・クラブ閉店を決めたのだった。それから2週間後、ジョージ・マーティンからオーディションの結果について連絡が入った。録音したテープを聴いた結果、彼はビートルズのデビューの条件としてドラマーの交代を要請してきたのだ。ジョン、ポール、そしてジョージもドラマー交代に賛成し、デビューを目前にしてピート・ベストはビートルズを解雇される。リンゴ・スターをドラマーに加えたビートルズは大きく世界に羽ばたき、ピート・ベストは1967年にミュージシャン生活から足を洗った。

 

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【施設情報】
The Casbah Coffee Club
8 Hayman’s Green, West Derby, Liverpool  L12 7JG
+44-151-280-3519
www.petebest.com/casbah-coffee-club.aspx

 

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桑田英彦(Hidehiko Kuwata)

音楽雑誌の編集者を経て渡米。1980 年代をアメリカで過ごす。帰国後は雑誌、エアライン機内誌やカード会員誌などの海外取材を中心にライター・カメラマンとして活動。ミュージシャンや俳優など著名人のインタビューも多数。アメリカ、カナダ、ニュージーランド、イタリア、ハンガリー、ウクライナなど、海外のワイナリーを数多く取材。著書に『ワインで旅する カリフォルニア』『ワインで旅するイタリア』『英国ロックを歩く』『ミシシッピ・ブルース・トレイル』(スペースシャワー・ブックス)、『ハワイアン・ミュージックの歩き方』(ダイヤモンド社)、『アメリカン・ミュージック・トレイル』(シンコーミュージック)等。