泉谷しげるの事は色んなドラマや映画、テレビのワイドショーやバラエティなどでよく見かけるので今の若いコ達でも見た事ある人は多いと思う。
そんなマルチなタレントとして今は知られる泉谷しげるだが、僕ら40~50代の日本のロック好きからすると、泉谷(僕らは今もこう呼ぶ)は実は過激なロックシンガーである。
今も歌い継がれる44年も前の名曲「春夏秋冬」がヒットし、今もTVに出ると必然的に泉谷はこの曲を歌う事が多いのでこの昔のフォーク的なイメージもあるが、実は泉谷は昔からバリバリのプロテストソングやメッセージソングを唄う極めてあぶないロックな人でもある。
試しに泉谷の70~80年代初期のいくつかの楽曲を今の新人ミュージシャンが自作として発表してみればいい。きっと相当な確率で何曲も放送禁止になると思う。
ではなぜ同世代の永ちゃんや、大の旧友でもある清志郎のような日本を代表するロックミュージシャンとしての泉谷の評価は少しフワッとしてるのか。
それは非常に分かりやすい理由で、今もそうだがこの人が昔からあまりにマルチな才能の持ち主で、音楽以外の分野でもことごとく目立ってたからだろう。
特に役者としての才能とセンスはズバ抜けて凄く、デビュー当時のヤバい顔つきを見ても分かる通り、犯罪者や悪い奴の役をやらせたらハマり過ぎて賞まで取るわ、逆に当時不倫テレビドラマの先駆けとして空前の大ヒットとなった「金曜日の妻たちへ」で哀しい一般公務員役をやっても大絶賛されるわで、音楽以外での活躍のインパクトがあまりに強過ぎてロックな泉谷の印象は薄まってしまったのだ。
でも僕らより少し上の70年世代のフォーク・ニューミュージック好きにとっての泉谷は、やはり「春のからっ風」であり「眠れない夜」であり「デトロイト・ポーカー」で( いやあ、改めて聴くと全部ホント名曲ばっか )、僕ら80年世代の泉谷はニューウェーブ期から始まり村上ポンタやCHABOなど凄いメンバーを集めた日本最強のロックバンド“泉谷しげるwith LOSER”でのバリバリ活動期に当たる。
特に僕もライブの追っかけをやってたLOSERの活動期は80年代のバンドブーム絶頂期でもあり、後々僕が色んなミュージシャンの方々と話す機会が増えた時に影響を受けたバンドとかの話になるとLOSERの名前を挙げるミュージシャンが凄く多く、「ああ同じだったんだ」と嬉しくなったりもした。
それからでもすでに30年近い年月が経ってるが、不思議な事に泉谷だけはなぜか今も色あせない。
ベテランミュージシャンがよくされる表現の「最近見ないね」「まだやってたんだ」的な発言を泉谷にする人はいない。
まあ「テレビによく出てるから」の一言で片付けられなくもないが、ライブ活動もテレビや映画、ドラマ出演も、アート創作活動も、そしてブログもまめに更新してるし、実は昔からただの凄いマメで真面目な人なのでは?と思う事もある。
でも要するにあまりにマルチな才能の持ち主なのでまだまだ表現したいものが沢山あふれて出てくるしそれを止める気もさらさらないというだけなんだろう。
それにこうやって泉谷の活動を改めてなぞると気付くが、初期の泉谷のライブは「バカヤロー!」とか怒号とヤジと罵声が日本一飛び交う学生運動みたいな危険なライブだったし、その次は日本最強メンバーを集めバンドブームの若手バンドが誰も真似できない完璧なライブを見せてたし、それに昔から今も震災や大災害時のチャリティーライブやその時代の社会問題などをテーマにしたライブや発言に一番早く積極的に取り組んでいるのも泉谷で、いつの時代もきちんとその時代と社会に泉谷が冷静に向き合って活動をしているという事が分かる。
先日もワイドショーのコメンテーターで泉谷が出ていたが、ずっと怒っていて笑った。
相変わらずたまにモメ事も起こすが、その反面きちんと孫が何人もいるただの普通のやさしいおじいちゃんの顔になってる事も今は多々ある。
でもギターを持ってステージに立った時の泉谷だけは今も何をしでかすか分からない。
オレ達の泉谷しげるのままなのだ。
横山シンスケ
49歳。お台場のイベントハウス「東京カルチャーカルチャー」店長・プロデューサー。その前10年くらい新宿ロフトプラスワンのプロデューサーや店長。泉谷しげる with LOSERの追っかけをやってた。東京カルチャーカルチャー:http://tcc.nifty.com/ 横山シンスケ ツイッター:https://twitter.com/shinsuke4586