TEXT・PHOTO / 桑田英彦
カート・コバーンが最後に暮らした家が残るレイク・ワシントン湖畔は、シアトルでも高級住宅街にあたり、周辺には緑あふれる穏やかな光景が広がる。1994年4月8日の朝、セキュリティ・システムのチェックにこの家を訪れた電気工のゲイリー・スミスは、ガレージの上にある小部屋でカート・コバーンの死体を発見する。すぐに駆けつけたシアトル警察の検視により、カート・コバーンの死は自殺だと発表された。およそ1ヶ月前、ローマで自殺未遂の騒ぎを起こしたカートは、周囲の説得によりドラッグ常用による極度のうつ状態を治療するためにロサンゼルスの病院に入院していた。しかし彼は4月1日の夜にはこの病院を抜け出し、朦朧とした状態でひとりシアトルに向かう。午前1時頃にシアトルに着いたカートは街をさまよい、ジャンキー仲間たちとヘロインを打ち終焉に向かって歩き始めた。そして4月5日の午後、穏やかなレイク・ワシントンが眼前に広がるガレージ上の小さな部屋にこもる。最後のヘロインを打ち、さよならの手紙を書き残し、何のためらいもなく自らに向かって引き金を引いた。遺書にはこのように記されていた。「僕は音楽を聴くことにも、曲を書くことにも興奮を覚えたことはなかった」。カート・コバーンは自らの価値を認めることなく、すべてを抹消して無になることを望んだのである。この家は現在でもファンの訪問が絶えることなく、隣接するヴィレッタ・パークのベンチにはファンの書き込みがたくさん残されている。
カート・コバーンが生まれ育ったアバディーンは、シアトルの南西方向におよそ130キロ、有名なオリンピック国立公園の南側に位置する、寂れた小さな町である。幼少時代は幸せに暮らしていたが、カートが8歳の時に両親が離婚する。幼いコバーンの引き取り手は母親から父親、叔父、祖父母、そして再び母親と転々とし、明るい子供だったカートは内向的になり、すべてを自分の胸中にしまいこむようになった。そこに今度は叔父の自殺という悲劇がカートの心に追い打ちをかけた。この時代に最高潮だったパンク・ロックのムーブメントは瞬く間にカートの心に入り込んだ。間もなくハイスクールを退学すると母親の家からも追い出され、友人の家やアバディーンの橋の下で寝泊まりをする日々が続く。この頃の様子はアルバム『ネヴァー・マインド』に収録されている「サムシング・イン・ザ・ウェイ」の中で詳しく描写されている。
アバディーンのカート・コバーンゆかりの地のひとつであるカート・コバーン・ブリッジの脇には、ファン(NPO法人:カート・コバーン追悼委員会)の手によって建造された「カート・コバーン・リバーフロント・パーク」がある。またアバディーンの入り口に建つ標識には、彼の町への多大な功績に敬意を表して ”Welcome to Aberdeen : Come As You Are” と記されている。「カム・アズ・ユー・アー」は『ネヴァー・マインド』に収録され、このアルバムのセカンド・シングルとして1992年にリリースされたニルヴァーナの代表曲のひとつである。パルプ業で栄えたアバディーンの町には少年時代のカートの辛い思い出が並ぶ。しかしこの時代の彼の喪失感と後に彼の命をも奪うことになる繊細な感性が、ニルヴァーナの大成功へと発展するのだ。彼の遺灰はカート・コバーン・ブリッジが架かるウィッシュカー川にも撒かれたという。しかしカートはこの街を嫌い、二度と戻りたくないと断言していたとも伝えられている。
ビル・ゲイツと共にマイクロソフトを創業し大富豪となったポール・アレンは大のロックファンで、自らもギターをプレイしバンド活動を行っている。彼が2000年にオープンさせたEMPミュージアムは世界有数の音楽博物館で、ジミ・ヘンドリクスやエリック・クラプトンのギターなど、数多くのメモラビリアの展示が有名だ。このEMPのハイライトがニルヴァーナのブースである。シアトルが生んだグランジのムーブメントの中を一気に駆け抜けた彼らの足跡が立体的に展示されている。印象的なアートワーク、カート・コバーンのファッション、そして彼のギターなど、ステージ写真などで目にすることの多いアイテムがズラリと勢ぞろいしている。ちなみにポール・アレンの妹であるジョディは熱心なジミ・ヘンドリクスのコレクターで、映画『ウッドストック』でジミがプレイした白いストラトキャスターもEMPの展示物のハイライトである。
ニルヴァーナ「サムシング・イン・ザ・ウェイ」
ニルヴァーナ「カム・アズ・ユー・アー」
桑田英彦(Hidehiko Kuwata)
音楽雑誌の編集者を経て渡米。1980 年代をアメリカで過ごす。帰国後は雑誌、エアライン機内誌やカード会員誌などの海外取材を中心にライター・カメラマンとして活動。ミュージシャンや俳優など著名人のインタビューも多数。アメリカ、カナダ、ニュージーランド、イタリア、ハンガリー、ウクライナなど、海外のワイナリーを数多く取材。著書に『ワインで旅する カリフォルニア』『ワインで旅するイタリア』『英国ロックを歩く』『ミシシッピ・ブルース・トレイル』(スペースシャワー・ブックス)、『ハワイアン・ミュージックの歩き方』(ダイヤモンド社)、『アメリカン・ミュージック・トレイル』(シンコーミュージック)等。