皆さんこんにちは!春真っ盛りの涼平です!
もうすぐプロ野球も開幕するし、侍ジャパンの強化試合もあるし、今月は野球ファンにとってはたまらないですな!
今回も我が埼玉西武ライオンズから秋山と銀二郎が選ばれてるので我が子を送り出すような気持ちで見たいと思います。あと、またいつか侍ジャパンの4番におかわり君が帰ってくることを心から願ってるぜ!
さて、このコラムも早くも2回目!ビシビシいきまっせ!
何をテーマにしようか悩んだんですが、あえてここはホットゾーンに飛び込もうじゃないか!ということで今回のテーマは清原選手です。おっかねーけど。
今の若い人達はひょっとしたら清原の現役時代を知らないかもしれませんが、そりゃもう西武ライオンズ時代は特にもの凄かったんだから!
埼玉出身で野球少年だった自分は、物心ついたときには自然と西武ファン&清原ファンになってました。
小さい頃はみんな、西武ライオンズのキャップ被って、無駄に内側についてるメッシュの日よけみたいなやつ出して遊んでたもんなー。あれ何の意味あんだろ。
清原はマジでわかりやすいぐらい豪快だったからか、野球少年が憧れやすいプロ野球選手だったと思います。
『無冠の帝王』とか言われてたけど、それでもこれだけ記憶に残ってる選手っていうのは珍しい。
特に、伝説の87年の日本シリーズ「西武-巨人の第6戦」では、西武が巨人を4勝2敗で破って2年連続で日本一に輝いたんですけど、この時、清原が9回裏の最後の守備をしている時に号泣していたのは有名な話ですね。
そして号泣する姿を見たセカンド辻に注意されても、清原は涙を止める事ができなかったようです。その姿に伊東、秋山ももらい泣きをしていたってエピソードは本当に感動します。
ちなみに工藤だけは涙で打球が見えないファースト清原へボールが行かないように、わざと外野フライか三塁方面に飛ぶような配球をしていたというのだから、どんだけスゲー投手だったんだって話です。
■1987年 日本シリーズ 第6戦
11月1日 西武球場 入場者32323人
巨人:0 0 0 0 0 0 1 0 0 1
西武:0 1 1 0 0 0 0 1 X 3[巨]●水野(1敗)、鹿取-山倉
[西]○工藤(2勝1S)-伊東巨人
1(一)中畑清
2(遊)鴻野淳基
遊 川相昌弘
3(中)クロマティ
4(三)原辰徳
5(左)吉村禎章
6(二)篠塚和典
7(指)有田修三
8(捕)山倉和博
9(右)駒田徳広
西武
1(三)石毛宏典
2(二)辻発彦
3(中)秋山幸二
4(一)清原和博
5(左)安部理
6(右)ブコビッチ
7(捕)伊東勤
8(指)白幡隆宗
9(遊)清家政和
【本塁打】
(巨)原2号ソロ(7回工藤)
(西)清家1号ソロ(3回水野)「1987年の日本シリーズ」フリー百科事典 ウィキペディア日本語版より引用
2016年2月13日 (土) 05:45 UTC
https://ja.wikipedia.org/wiki/1987年の日本シリーズ#.E7.AC.AC6.E6.88.A6
それと、プロ野球史に残る名勝負はたくさんありますが、清原って『名勝負請負人』って感じしますよね。
なんていうのかな、打者が清原ってだけで名勝負が成立するようなそんな空気感がありました。
中でも94年の日本シリーズでの桑田対清原は痺れましたねー。
全力の桑田のストレートを振り抜いてホームランにする清原ね。
あの時は2人とも闘志むき出しで、むしろ互いに負けられない意地みたいなものを感じました。打たれた後の桑田の表情がそれを物語っていた気がします。当時僕はまだ小学生だったけど、名勝負ってのはやっぱりそういうのが画面越しでも伝わってくるもんですね。
リアルタイムで見れて本当に良かったっすね。
あまりにかっこよくて当時小学生だった自分は、ひたすらテレビの前でカラーバットを素振りしまくり。
親にすげー怒られました。
■名勝負の一つ「清原和博氏が野田浩司氏と一打席真剣勝負!2013年8年30日」
しかもその年、西武は巨人に負けたんですけどね。(くそっ、、、巨人め。進撃かっ!!)
タイトルの数や生涯成績とか関係なく、やっぱり清原はワン&オンリーな選手だったと思います。
今もこれからもアクの強い選手はたくさん出てくると思いますが、その度に清原のことを思い出してしまいそうっすね。
まぁそんなわけでね。今、ニュースで清原が容疑者になってしまったのはとても残念でなりません。
相当難しいことだとは思いますが、個人的には「またなんらかの形で野球と関わってくれたらいいなー」と思ってます。
カムバーックきよはらー(´Д` )泣。
引き続き、野球について熱く語りたい事があったら #熱闘クロスファイヤー にツイートしてね。
ではまた次回!
★PS★お手玉プロのトクちゃん。91歳。俺の卓越した野球センスはばあちゃんから受け継いだのだ!
(次回は4月中旬予定)