2016年で11年目を迎える『SYNCHRONICITY』が、envy、MONO、downyという日本の音楽シーンを担うバンドたちを中心に開催する新フェス『After Hours』とコラボレーションし、さらに熱量と強度を増した『SYNCHRONICITY’16』として開催される。
いまや都市型フェスの代表格と言える存在となった『SYNCHRONICITY』だが、このたび主催者である麻生潤氏にインタビューする機会をいただけることに。長年にわたってフェスを開催してきた信念やスタンス、そして過去の衝撃エピソードなど、ざっくばらんに語ってくれた麻生さん。その言葉の端々から、『SYNCHRONICITY’16』がこれまで以上に多くの音楽ファンを満足させてくれる、革新的なフェスになるであろうことが確信できた。
──まずは、麻生さんの音楽遍歴から教えて下さい。個人的に掘り下げているジャンルはあったりしますか? 意識して音楽を聴くようになったのはいつ頃からでしょうか。
麻生潤 もともと24歳くらいまで音楽やってたんですよ。そのときに出会ったのが、いま沖縄に住んでる犬式の三宅洋平とかだったりして。そこではチラッと挨拶するぐらいだったんですけど。で、自分のバンドの主催でイベントもやっていました。そのバンドが解散した後に立ち上げたのがクリエイターチーム-kikyu-です。本当は新しいバンドを組もうと思っていたんだけど、なかなかいい出会いがなくて「だったら他のことやろう」って25歳のときに。
当時、犬式(当時はDogggystye)の周りにはSOIL&”PIMP”SESSIONSとかLoop JunktionとかDachamboがいて、横浜方面ではSPECIAL OTHERSとかがいて。もともとあのへんの音楽がすごい好きなんですよね。僕もバンド時代はソウル・ファンク・ロックみたいな、レッチリをもうちょっとファンク寄りにしたような音楽をやってて。バンドサウンドのダンスミュージックがすごく好きだったので、そこらへんから広がっていった感じですね。
それで2002年から吉祥寺のSTAR PINE’S CAFEなどでイベントを手がけつつ、2005年に(第1回)『SYNCHRONICITY』を開催したんです。今でもダンスミュージックとか踊れる要素はどこかしらにありますね。また、ブラックミュージックの中でも喜怒哀楽を皆で感じ合うというソウル(特にゴスペル)的なグルーヴがすごく好きで、それはルーツの一つです。
──最初の開催、会場はどこでしたか?
麻生 2005年はUNITで、SaloonとUNICEまで全部使ってやりました。忘れもしない11月25日、エレグラ(00年にスタートした屋内レイブの大型イベント『electraglide』。現在は休催中)と一緒の日っていう……。今ではちょっと想像つかないかもですが、結構競合してたんですよね。
あの頃は、ダンスミュージックとライブミュージックのクロスオーバーが起き始めている時で、そういうエッセンスをギュッと閉じ込めたクロスオーバーなライブミュージックを届けたいと思ってました。DJも充実していてHIKARUくんとかKENTARO IWAKIくんとか、素晴らしいDJたちに出てもらってましたね。また、その頃からセカンドステージも設置していて、都市部ならではのフェスのようなボリューム感でやりたいと思っていたんです。
──現在のようにフェスが乱立する以前から活動していたんですから、先駆けと言えるんじゃないですか?
麻生 そうですよ! 先駆けですよ!(笑)
──UNITはその後も会場として?
麻生 2007年にやりましたね、2006年はもう疲れちゃって(休催)。それまでアーティストだったから、呼んでもらう立場だったわけで。でも実際にアーティストではない立場でイベントをやってみたら、大変で大変で…。終わって残った予算も数万円ですよ(笑)。ま、初開催で赤字にならないだけ良かったんだけど。(笑)。友達のアーティストにも多数出演してもらったんですけど、皆はビールとか飲んで楽しんでるのに、自分は汗かいて必死に走りまわってるっていう…。中途半端にアーティスト癖が付いてるもんだから「こんな大変なのもう二度とやらねえ!」って。でも結局やっちゃった(笑)。本当、今思えば未熟だったんですけどね。でも一番始めはそんな感じでしたね。それ以降は途切れず開催してます。
──渋谷に会場を移した理由はあったりするんでしょうか?
麻生 渋谷に移したというよりも会場を移さざるを得なかったっていう(笑)。2007年の頃はまだクラブの要素が強くて、運営もすごくラフだったんですね。そういうラフさ加減もあってクラブパーティーのイメージでやってたら完全にキャパオーバーを迎えてしまって…。2008年に倍くらいの規模のO-EASTへと会場を移したんです。
──とはいえ、複数会場で開催するようになったのは規模が大きくなったという理由もあるんですよね?
麻生 そうですね。何度かO-EASTのみで開催した後、duoを加え、O-nestを加え、そして今回はO-WESTまで加えて規模を拡大しました。ただ今でも、表現しきれてない、やりきれていないことってたくさんあります。『SYNCHRONICITY』は続けるということにこだわって開催し続けているので、徐々に徐々に形にしていっている感じです。「野外でやってよ!」って言われたりもするけど、「いや、誰がケツ持つのよ?」っていう(笑)。『SYNCHRONICITY』は打ち上げ花火みたいなフェスじゃないんで、そう簡単にできるものでもない。ただ、信頼関係を大切にして、本当に内容にはこだわってます。また、無くなったイベントやフェスも多いじゃないですか。うちは2005年に初めましたけど、(同世代のイベントで)いま残ってるのって、僕の記憶では『TAICOCLUB』(※2006年から開催)くらいですからね。あんなに大きかった『METAMORPHOSE』もなくなっちゃうし、『Sense of Wonder』も『KAIKOO』も……、それぞれ個性的で素晴らしいフェスだった。それだけフェスって大変なんです。
日本でのフェス人口って多そうに見えて多くないから、そんな中でしのぎを削っていくのって本当に大変だと思う。簡単に赤字くらいますからね。小さいイベント会社が主催で野外やって失敗したら、それこそそれだけでつぶれてしまうくらい。そんなのたくさん見てきてます。『SYNCHRONICITY』でも3ケタの赤字ありますからね。一年前から準備進めて赤字って相当辛い。(笑)。いや笑えないか。(笑)。
赤字になった原因・理由は