ゆきむら。とはいったい何者なのか。渾身のロングインタビュー【前編】第3形態に至るまでの挫折、リスナーとの絆、新たな物語の始まりを語る。

インタビュー | 2024.12.10 18:00

ものすごい熱量で、常に本気で身体を張って、命を削って生きるむき出しの人間性は、危なっかしくもありながら、だからこそこの世の中に生きづらさを感じている人たちが唯一信じられる救世主、代弁者となっていった。現代の生きるカリスマ、「ゆきむら。」とはいったい何者なのか。初の全国流通アルバム『-Never ending Nightmare-』をリリースするゆきむら。に話を聞いた。【前編】

正直に話すと、僕は1年ぐらい前にもうゆきむら。としての活動を辞めようと思ってた

──冒頭から失礼を承知でお伺いします。ゆきむら。さんはこれまでリセットを何度か行なわれていると思うのですが、現在のゆきむら。さんは第何形態なでのしょうか。
ゆきむら。いまは第3形態。とっても新しいものがスタートした感じです。
──まずそこを詳しく教えて貰えますか?
分かりました。これだけの方々に携わって頂きながら、このようなメディアに出ていくこと。いろんな方からインタビューを受けたり、作ったアルバムを全国流通で販売するのもソロでは初めてですし。カメラマンさんに「いいね!」みたいなことをいわれながら、アーティスト写真を撮ったりだとか。全部が初めてのことばかりで、毎日毎日が新鮮すぎて、いまもちょっと自分が浮遊状態なんです。
──なぜ第3形態となったこのタイミングで、初めてのことにどんどんチャレンジしようと思ったのでしょう。
それは正直に話すと、僕は1年ぐらい前にもうゆきむら。としての活動を辞めようという風に思ってたんですよ。
──おぉー。そう思った理由を聞いてもいいですか?
新しいタイプのインタビュアーさんですね(微笑)。なぜ辞めようと思ったのか。例えばVTuberさんとかゲームとか、もっとマルチにできる人たちが活躍しているいまの時代の流れを見たとき、自分のこういう邪道を王道に変えたいとか。自分でいうのもあれですけど、僕のような独自性や個性はいまの時代との相性はどうなんだろうと思ったんです。いま流行ってるものは、どこかキャッチーだったり、若者がとっつきやすいものなので。そこでは特に言葉の重み、そういうものがすごくデジタル化してしまったなと僕は感じていて。ツイッターはXになり、そこで見る若い子たちのテンション感とか、これは単に僕が年をとってしまったからかもしれないですけど、いまのネットの中では生き辛いなと感じてしまい。それを、自分のプラットフォームでも感じるようになったから、ちょっと限界があるのかなと思って。そこで、今後はこのスタンスを変えて、もっとキャッチーなものに落とし込んでいってでも僕は売れたいのか、そんな自分を届けたいのかというと、僕は違った。そこで1回挫折しちゃったんですよ。
──でも、挫折しながらも、そこで辞める選択をしなかった一番の理由は?
綺麗事抜きにしたら“意地”かもしれない。
──おぉー、カッコいい。ゆきむら。さん、生き方がロックだ。
とんでもございません(苦笑)。正直辞めることはとっても簡単でたやすいことなんです。けれど、僕が最後にいきついたのは、この役割をやるのは僕しかいないんじゃないかなということ。視聴者さんやリスナーさんの声からは、僕にしか受け止められない言葉があることを日々感じるんですね。ここで僕が折れてしまったらこの人たちはどうなるんだと思ったら、そこで一生懸命踏ん張ってる人たちと同じような気持ちに近い、っていったらおこがましいですけど。挫折した僕が踏ん張って、やり遂げたいなという思いになっていったんです。悔いなくやり遂げようと。悔いがないようにっていう意味では、これまで全国流通でアルバム出したことあんのか?やれること全部やったのか?自分のこういう世界観をどこまで突き詰めたんだ?そういうものすべてを突き詰めたあとにネットから去ればいい。そこまで悔いのないようやり遂げようと思ったんです。
──腹をくくって、最後の勝負に出たような心境ですか?
そうですね…だから本当は…不安でいっぱいです。かなり不安。
──浮遊状態なのは新しいことに挑戦するからだけではなく、不安な気持ちもあってということだったのですね。
はい。自分しかいない、唯一無二というのは強くあるんですが、逆にいうと、追いかけるロールモデルがいないんです。そこで自分で自分の首を絞めているところもあって、かなり不安です。
──そうやって不安でも、先に進む道を開くのは自分しかいない。だから自分をギリギリまで追い込んで、削って、必死にもがいて。そういうむき出しの生き様が歌やnoteの文章から感じられるからこそ、生き辛さを感じている方々はよりゆきむら。さんに傾倒して、共感して、自分の一番の理解者だと思いたくなるんでしょうね。表現者としてギリギリ過ぎて、危なっかしい生き方だなぁとも思ってしまいますが。
リスナーさん以外にそういう風に言葉でいわれたこともあまりないもので、嬉しいです。リスナーさんたちの中にはエゴもあって、それでもゆきむら。は強くて当たり前というのがあるんだと思うんです。“そうだよ”と思いながらも、僕的にはいまおっしゃってくれたようにどうしよう、どうしようという悲痛な思いがあって。でも、その弱い部分を見せて誰が救われるのかっていったら、それを見て余計に不安になる視聴者の子もいる。なので(アルバムの資料に)“弱く、強く、儚く、美しく”って書いてありますけど、文章で見ればそれはすごく美しいんですけど、僕がこれを背負って表現するにはどういればいいのか。そこはいつも挫折しそうになります。

コンプレックスが誰かの光になるのであれば、これは“宿命”かもしれないという感覚になった

──けれどもゆきむら。さんの場合、どうしてそこまで自分を瀬戸際まで追い込んで、表現するようになったんでしょうか。
あ、そうですね。どこかで気づいたというか。僕は元々そういう深い人間でもなく、本当に普通の女子高生的で、本当になにも考えたことがない脳死系の(笑)、バイブスだけで生きてる若者だったんですけど。インターネットというものにのめり込んだ理由が、何者にでもなれるってところだったんですね。それで、歌ってみた…で、若者特有の“承認欲求”を満たしていったんです。ネット社会ではいろんなアカウントが自由に作れるから、裏アカを使って、自分の思想や考えをポロポロと吐いてたんですね。そうしたら、それがたまた取り上げられて炎上のネタみたいになってしまい。まだ僕は“ゆきむら。”という自覚もないぐらいの頃だったんですけど、「こいつ、ウザいことしかいってねぇよ」ってその言葉だけが切り取られて。普通の自分じゃなくて、裏アカでほざいてた小さな影の自分にどんどんピンスポが当たるようになったんです。そうしたら「普通の姿、嘘じゃん」っていわれだしたんですよ。そのときに「みんなはそうじゃなかったのか。自分がこういうことを吐くのは異常なのか」と、色々悩んだんです。それで、そんなに(普通の)自分が否定されるなら、じゃあもうこの小さな影の自分をデカくしよう。
──裏アカでフラストレーションを吐き出す小さな影の自分を。
はい。それまでは純粋に歌うことが好きでやってたんですけど、そこの人間性以上に、世の中に対するフラストレーションをほざいてた影の自分のほうに火がついちゃったんで。そこから、ゆきむら。といえばヤバい、とか。
──炎上系だとか。
そういうことになって。「いやいや違うんだよ。僕は普通の人間。みんなも陰と陽があるでしょ?」と僕はずっといってたんです。だけど、いまよりももっとネット社会がクローズドな時代だったから、そこで批判され続ける数年間を過ごした結果、もうこれは本気で戦おうと。そういう感覚になってきたんで、当時はまだ若くてパッションもあったから、批判に対してどんどん言い返すようになったんです。そうしたら、ありがたいのかどうかよく分からないですけど、賛否が生まれるようになって。賛のなかに「ゆきむら。の考え、意外と分かる」っていうような。
──共感者が出てきた、と。
はい。こっちも“お!分かってくれるのか、お前ら”と思って。そのとき、自分に対する時代の傾きというか。みんなの考えと自分が独りぼっちで思っていたことがリンクした感覚があったんです。こうして顔も知らない会ったこともない人と、インスピレーションや価値観でつながる。これがインターネットの面白さかと思って。そのあとも、配信とか言葉でさらに戦ってたら、“ゆきむら。、私たちの分までもっとやれー!”といわれるようになった。じゃあ僕がその先頭を切れるなら、そこまで頼られるのならって思いでやってたら、“ゆきむらさんの。配信見てると心がスッキリする”とか“気持ちが楽になる”といってくれる人が増えていって。僕なんかで心が楽になるのか、と。自分が人から指を差され、批判されてコンプレックスに感じていたところが、こうして誰かの光になるのであれば、これは”宿命“かもしれない。そういう感覚になったんですよ。
──おぉ~。すごいストーリーですね。
でも、最初は嫌だったんです。そのキャラクターが。
──そもそもコンプレックスを感じていた方の自分ですもんね。
そうです。1~2年だったら、まあそういう時代だったのかなって感じなんですけど、長年追ってくれる子や“ゆきむら。さんじゃなきゃダメなんだ”という子がなかにはいて。だんだんとそれが親御さんにも広がって。自分の話には耳を傾けてくれない子がゆきむら。さんの“お前らちゃんと学校行けよ”という言葉一つで頑張って学校に行けました。私はあなたのことが好きではないけど、子供のためにありがとうとか。そういう独特な。
──あまり認めたくないんだけどという思いと感謝が入り交じった。
そういう独特な感謝の仕方をされて。僕も複雑な気持ちになりながら“やっててよかった”という思いにもなって。どこか大人は毛嫌いして、認められない部分もあるけど、届く層にはなにかが届いてる。そう思ったというのが、僕が辞められない理由かもしれないです。

SHARE

ゆきむら。の関連記事

アーティストページへ

最新記事

もっと見る