これからは本質を捉えた上で活動していきたい。それを、ファンに教えてもらいました
──単に、歌がうまいねとか配信がイキっててヤバいよねというのではなく、視聴者やリスナー、さらにはその親御さんの人生の深いところまで介入して、まとめて面倒みる。そのような覚悟さえ感じます。コンプレックスで嫌だった自分のほうが世の中で存在意義を発してしまったとき、周りに必要とされるのであればと、嫌だった自分へと振り切ったゆきむら。さん。その勇気、決断は本当に凄いと思います。
ありがとうございます。その動機が、ファンにそこまでうまく届いているかどうかは分からないんですが、僕は紛れもなく、自分のコンプレックスが武器であり支えなんです。嫌な自分だから、それが普通の自分に戻ったり、こんな自分いなくていいんじゃないかと思ったりするんですけど。それでも、SNSの周りを見渡したとき、こんなヤツ他にいるかと。僕が居なくなったときに、この子たちはどうやって生きていくんだろうって。僕がファンがいなくなったら生きていけないのと同じで。そういう、持ちつ持たれつな感覚さえいまは感じてます。
──それほど人間同士、ディープな向き合い方をしているということだと思います。
そうですね。インターネットって顔が見えない文化ですし、若い子のなかで“推し活”が流行っているから、どうせ(ゆきむら。を)知ってる自分がいいだけでしょという風に思ってたこともあったんです。リスナーを含め、すべてがフェイクに思えて。でも“ここまで押し上げてくれてありがとう”という言葉を最近はよくいうんですけど。本当に、みなさんの本気の応援がなければ、多分今日この日もなかったと思うので。第3形態になって、リスナーに対する意識もかなり変わりました。“どうせお前ら口だけじゃん。俺のこととかなにも思ってないくせに”とかいうのはもうやめて、ちゃんと手を取り合って一緒に証明していこうよという風に考え方が変わりました。
歌を始め、すべての活動に命を吹き込み直す気持ちで第3形態のゆきむら。は動いている
──あっ!だからLINECUBE SHIBUYAでワンマン(<お前ら待たせたな。これが俺のマニフェスト2024>)をやったとき、あんなに号泣していたのですね。
はい。そのときに思ったのは、キャパではなくて中身。僕の本質の部分なんだということ。僕は、過去やった場所よりも小さいキャパの場所からスタート、ここから積み上げていくぞという精神状態だったんですけど。歌い終えて、改めてお客さんの顔を見たとき、めっちゃ軽い言葉になるんですけど、エモくなっちゃったんですよ。過去にやった幕張メッセとか東京ガーデンシアターとか、グループ時代も含めて、自分はみんなを引っ張って、大きく派手に動いて利益を生み出すのが価値だと、なぜか勘違いしてたんですよ。そんな僕がLINE CUBEに立つというのは、どこか成り下がったという風に自分を卑下してたところがあったんです。だけど、ゆきむら。は変わらず神だとファンにいってもらったとき、これは僕の考えが間違ってたんだと思って、なんか涙が出ましたね。自然と出てしまった。“お前らすまん”と思いました。“お前らがいう神はキャパとかの数字や大きさじゃないんだ。なんだ、そんな見てくれにこだわってた俺、すげぇチープじゃん”って。ファンが気づかせてくれたんです。それで、なんだこの循環って。あげたものが返ってきた感覚にしびれてしまって、泣けてました。
──ファンの方々は、人気者だからノリでとか、推し活だからといって神だと崇めていたのではなくて、私たちの心の支えの神なんだということを改めて教えてくれたのですね。
ええ。だから、最初の話に戻るんですが。僕はもう辞めようとかいってる場合じゃないなと。そこでもう1回踏ん張ってみようと決めたんです。そう思うまでは、アングラな活動。noteや書き物とかをこじんまりやって、実家に帰って畑でも耕そうって本気で思ってたんです。でも、ここまでみんなに押し上げて頂いて、いろんな方々の協力、縁があって、アルバムが全国流通出来る。2月にはまた東京ガーデンシアターでライヴができる。ゆきむら。の物語がもう1回始まったと思ってます。今度は悔いなくやりきりたい。いままでは正直、自分の体裁を気にして、ゆきむら。というものをデカく見せようと思って、カッコつけて活動してたところがあったんです。これからはそうではなくて、本質を捉えた上で活動していきたい。それを、ファンに教えてもらいました。なので、歌を始め、すべての活動に命を吹き込み直す気持ちで第3形態のゆきむら。は動いている感じです。