T.C.R.横浜銀蝿R.S.がリーダー・嵐ヨシユキの魂と共に巡る『嵐追悼 関東集会 All for RAN』を開催!翔&Johnnyが思い出を語るロングインタビュー!

インタビュー | 2022.09.26 17:00

──横浜銀蝿40thでの嵐さんの思い出や、エピソードはありますか?
嵐さんはまず、昔からそうなんだけど、集合するのがめっちゃめちゃ早いんですよ。新幹線に乗るにも、飛行機に乗るにも、待ち合わせの1時間前とか2時間前に平気で来てて。コンサートをやった後とかは、最後までず~っと残ってるんだよね。「さあ行こうよ」っていうまで、当然のごとくいて。普通、体調悪かったら、先にホテル戻りたいとかあると思うんだけど、一切言わないんだよね。亡くなったいま思うと、体調も悪くて辛かったけど、みんなと一緒にいる時間が、本当に楽しかったんだろうなって思うんだけど。ステージも始まる時からドラムのところに座って、1曲でも2曲でも歌って、終わった後はおぼつかないけど自分の足でゆっくり歩いて。ファンのみんなにスティックを投げて、「じゃあな」って去っていく。そこで弱音を吐かないどころか、楽しんでるように振る舞って。いま思うとその精神力って、本当にすごいと思うよね。「横浜銀蝿40thでの嵐さんの思い出は?」って聞かれたら、ステージとかレコーディングとか、旅の思い出話とかたくさんあるけど。今思い出すのは、そういうカッコいいところばかりですね。
──身体的にも辛くて、シンドいときもあったでしょうけど、この時間を大事にしたいという気持ちがあって。ご無理をされてたところもあったんでしょうね。
そうだね。神奈川県民ホールのツアーファイナルの時も上機嫌で、「やっぱ、県民いいよな!」とか言って。ただの一言なんだけど、今思うと「ファイナルまで来たんだな」とか、嵐さんの中に色んな想いが込められてたんだろうなと思って、すごく思い出しちゃう。ちなみにその日もすごい早く会場入りしてたけどね(笑)。
Johnny僕も嵐さんと最後の時間を共有出来たことは、本当に良い思い出になりましたね。

横浜銀蝿40th ファイナルツアーバハハ〜イ集会「昭和魂 永遠!」ダイジェスト映像

──翔さんは実のお兄さんというところで、昔のエピソードなど読むと、嵐さんに憧れてツッパリの道に走ったみたいなところもあったそうですね。
憧れというか、楽しそうだったんだよね。小学生のときは3つ上ってところで、服のおさがりもらったりするくらいで、向こうも俺に興味がないし、俺も兄貴にそんな興味なかったんだけど。俺が中学に上がった時、嵐さんは高校1年生で。なんか、嵐さんの友達が家に遊び来ると面白いんですよね。で、中2くらいになって、俺がロックンロールが好きになって、音楽に興味を持ち出した時に、兄貴の部屋にいろんな知らないレコードがあって、「これ、ロックンロールじゃん!」と思って、すごく影響されて色々話すようになって。先輩たちがバイクに乗って遊びに来てはタバコ吸ったり、なんだかんだしてるのを見て、「不良って楽しいな、いいな」と思って。そこからすごい仲良くなって。俺が高校入る時も、卒業する嵐さんから、俺が学ランやズボンやバッグをもらったり。弟のいいところは、本来ならば何もないところを一歩踏み出さなきゃいけないけど、同じ道を行くなら兄貴が先を走ってくれてることなんだよね。「こういう状況では喧嘩をしちゃいけない」とか、「こういう時は逃げるべきだ」とか、お手本がいるからすごく助かる(笑)。「ピンチの時に逃げないヤツが、本当にいいヤツ。口先だけのヤツはみんないなくなっていくんだ」みたいなことも学んだりとか。バイク、車もお手本になってくれて、「お前、この車乗れ」だとか「こういう時はこういう修理をしろ」だとか。面倒見のいい人だったから、嵐さんに教えてもらったことがたくさんあって。レコード1枚にしても、嵐さんは柳ジョージが好きだったり、まだヒットする前のダウン・タウン・ブギウギ・バンドだったり、外道だったりのレコードを持ってたりして。考えるとそれがきっと後々、横浜銀蝿の音楽を作っていく中の色んなものに吸収されてるんだなと俺は思うんだよね。普通は「ロックンロールやるなら、ストーンズ聴けよ、ビートルズ聴けよ」ってなるんだけど。嵐さんはC.C.Rとかシカゴを聴いたり、王道なんだろうけど、普通のロックンローラーが聴かないようなレコードもバンバン持ってて。そこから吸収するものもたくさんあったんで、音楽、車、バイクとか、そういったものを好きになるキッカケになったのは、やっぱり嵐さんだったよね。
──翔さんや横浜銀蝿のルーツは、嵐さんにあったんですね。
あと面白いのよ、嵐さんの友達って。嵐さんは工学部だったから、友達もバイクいじるのとか得意で。嵐さんの同級生が「ダックスでチョッパーを作ったから。試乗するから、来いよ」ってスーパーの駐車場にみんな集めて、エンジンかけるんだけど。キックしたら、フロントフォークが折れちゃって。「お前、ちゃんと計算したのかよ!?」「上に乗ってるのと、キックをする時で力学が違うから」とか始まって、そんなのが面白いんですよ。車やバイクが好きになってからも、ただの移動の乗り物として考えてないみたいな人がたくさんいたから。僕らの頃って、バイクのハンドルを絞って乗ってたんだけど。「先輩から受け継がれてるやり方で、砂をぎっしり詰めてギュって曲げたら、綺麗に曲がるんだよ」って言われて、聞いた通りにやったら、やっぱり潰れるんです(笑)。それを「みんなでやろうぜ。よし、ここで曲げろ」なんて大真面目にやって、「先輩、これ全部潰れてますけど?」「じゃあ、嘘だったんだな」みたいな(笑)。そういう面白い先輩たちがたくさんいたし、あの頃の3つ上ってすごい年上に感じるからさ。嵐さんにも先輩たちにも色んなことを教わって、車もバイクも楽しくなって。嵐さんに憧れたり、背中を追いかけてたつもりはないけど、結局、追いかけてたんだろうね。

ツッパリ High School Rock'n Roll (還暦編)(full ver.) / 横浜銀蝿40th

そうかもね(笑)。いつも俺のことを守ってくれてたしね。俺と嵐さんて大喧嘩しそうでしょう? でも俺、嵐さんに殴られたことないですからね。嵐さん、昔はめちゃくちゃヤンチャだったんですけどね。よく言ってたのは「1対3までは勝てる」って。これ、結構、リアルなんですよ。そんな大人数だと勝てるわけないけど、3人はまれに勝てるらしい(笑)。あと、嵐さんはくるぶしくらいまである長ランで学校に行ってたんだけど。1週間もしないうちにおふくろの裁ちばさみで腰くらいのところまで切ってて、「どうしたの?」って聞いたら、「こんなに長いと知らない上級生に喧嘩売られて、学校まで着かないんだよ」って(笑)。
──あはは。良いエピソードが満載ですね(笑)。
Johnny横浜銀蝿に関しても、嵐さんがいなかったら絶対にデビュー出来ていなかったしね。何回オーディションを落ちても、嵐さんだけは「絶対プロになるんだ」って諦めなかった。
いま思うと、俺とJohnnyがバンドを始めたキッカケってのは、「女にモテたい」とか、「キャーキャー言われたい」ってことで。アマチュアでもそこそこファンもいて、キャーキャー言われてて、それなりに楽しかったんだよね?
Johnnyそう。俺たちは車があったり、ナンパしたり、色々ある中の1つで「バンドも楽しいね」だったんだけど。嵐さんだけは「プロになるんだ!」って見てるところや馬力が違った。だから嵐さんに付いていったおかげで、デビュー出来たって感じでした。
バレンタインデーにチョコレートを100個もらって喜んでたのに、プロになったらトラック1台来るわけでしょ? そこで「そうか、たくさんもらうってこういうことか!」みたいに無限の差が出てきて。400人のハコが埋まって喜んでたのが、2,000人とか3,000人入るようになって、武道館だったら1万人の前で演奏出来て。「バンドって楽しいね!」って心から思えたのは、プロになれたからだと思うし。嵐さんはこうだって決めたら、とことん突き進むところが昔から変わらなくて。脳梗塞で一回倒れてから、自分を鼓舞するためにも「生涯現役」ってのも言い出して、還暦の時に『生涯現役!』ってアルバムを作ったんだけど。本当に生涯現役でライブやり続けて、ものすごい根性ある人でしたね。
──翔さんとTAKUさんの二人で活動を続ける、横浜銀蝿の今後のビジョンはありますか?
やっぱり嵐さんありきでやって来て、リーダーが不在になってしまうわけですけど。「リーダーは嵐さん」という気持ちは変わらなくて。いま、TAKUと話してることは、「追悼ライブが終わって、今年1年を走り切った後は、変わらず横浜銀蝿をやっていくことが、みんなが嵐さんを忘れないことにも繋がるから。今まで通りに曲を作って、レコードにして、ツアーをやろう」ということで。そこでいい歌が出来たらヒットするだろうし、駄目ならまた曲を作る。2人になって大変だけど、Jack(Gt)とAtsushi(Dr)ってサポートメンバーもいるし。他のミュージシャンも入れたりだとかして、色んなことにチャレンジしながら、横浜銀蝿を継続していきたいと思ってます。
Johnnyそれに向けて、まずは10月26日に嵐さんを偲んだミニアルバム『All for RAN』を出して、それを掲げて11月2日(水)ティアラこうとうから、12月18日(日)日本橋三井ホールの関東4ヶ所で『嵐追悼 関東集会 All for RAN』を行って。その間に名古屋、大阪でも嵐追悼集会を行います。みんなで嵐さんを偲んで盛り上がってもらえれば、嵐さんもそれが一番嬉しいと思うんで。ミニアルバムとライブに期待して欲しいです。
──横浜銀蝿にはこのまま突っ走ってもらって、2030年には再び嵐さんの魂とJohnnyさんに参加してもらって、“横浜銀蝿50th”を結成していただきたいです。
あははは。まずは健康第一でね、長生き出来るように頑張ります(笑)。

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