始まりは1969年にさかのぼる。この年のNHK大河ドラマは『天と地と』。大河ドラマ第7作であり、初のカラー化作品として話題を集めていた。原作の海音寺潮五郎の同名小説は、1960年から1962年まで朝日新聞社の「週刊朝日」誌上で連載されていたが、文庫本化は角川書店が担当し、1966年から発売されていた。1969年の大河ドラマ化に際し、発売後3年を経ていたにも関わらず、この『天と地と』の文庫本がベストセラーとなったのだ。文芸路線一本槍で経営状態が芳しくなかった角川書店が一気に持ち直すほどの大ヒットだったという、その様子をつぶさに観ていたのが、まだ入社4年目の角川春樹、その人だった。
そして翌1970年、アーサー・ヒラー監督映画『ある愛の詩(うた)』が公開され人気を博したが、映画製作とほぼ同時進行で進められていたエリック・シーガルの原作小説の翻訳版権を角川書店が取得。板倉章訳『ラブ・ストーリィ』のタイトルで刊行し、100万部を超えるベストセラーとなっている。テレビドラマや映画がヒットすれば、即ち、原作本もヒットするという摂理を角川春樹が身を持って実感したのは、この2つのベストセラー体験だったのではないだろうか。その後、角川書店はエンターテインメント路線へと舵を切る。1971年には角川文庫から横溝正史作品の刊行を開始。角川のお家芸でもあった「文庫本」を、新たなイメージに刷新していく。1975年10月には、創立者:角川源義が58歳の若さで急逝。編集局長であった春樹が社長に就任する。
そして角川映画第一作『犬神家の一族』(1976年 10月公開)では、それまでに掴んでいた「テレビ/映画と原作本とのタイアップ販売」、「横溝正史を軸としたエンターテインメント路線」という糸口を、横溝作品映画の自社製作という、より確実な戦略に集約させることに挑戦。湖面から逆さに突き出た死体の脚という、あの衝撃的なキービジュアルを武器に、大野雄二の美しいメインテーマと一体化したテレビCMはもちろんのこと、ポスター、中吊り、書店の店頭など、あらゆる媒体に映画の宣伝が仕込まれ、すべての角川文庫の本の「オビ」が重要な広告媒体となり、「しおり」は入場割引券と化した。サウンドトラック盤や主題歌(曲)シングルが用意され、音楽面でのヒットも巻きこんでいく。この「映画×本×音楽×広告」四位一体のメディアミックス戦略が奏功し、『犬神家の一族』は1976年邦画配給収入2位の大ヒットという結果をもたらす。角川源義急逝からわずか1年間の間に、このビジネスモデルを完成させてしまったスピード感には今更ながら驚きを禁じ得ない。まさに電撃的である。
続く角川映画第二作『人間の証明』(1977年 10月公開/音楽:大野雄二)では、さらにもう一つ、角川の広告戦略を象徴する武器が追加される。それが「キャッチコピー」の妙だ。キービジュアルでは、黒人の少年の後ろに、西條八十の 詩「帽子」の一節を読み上げる印象的なナレーションを用いた宣伝コピーが浮かぶ。黒人少年とはあまりにも不釣り合いな、まるで暗号のようにも見えるこの詩に対し、原作を読んでいない者はそろって首をかしげる。しかし、心に浮かぶこうした疑問符こそが、大衆を書店に、そして映画館に足を運ばせるための、一種の「謎解き」として作用したのではないだろうか。その企みを裏付けるのが、『人間の証明』キャンペーン時に打ち出された、もう一つのキャッチコピー。あまりにも有名な、
「読んでから見るか 見てから読むか」
……である。
それまで映画の宣伝といえば、内容や雰囲気を説明したり、作品の予算やスケールをことさら誇張したりするような文章が大半を占めていた。例えば前作『犬神家の一族』においても、
「霧に閉ざされた湖に 今日もまた悪魔の仕業が… 文学史上の金字塔を得て 市川崑監督が 日本映画始まって以来の華麗なる恐怖を生み出した」
「愛と憎しみ、そして怪奇 犬神家の一族に起こった遺言状殺人事件! いま、巨匠市川崑の手によって 映画界に新しい悪魔が放たれた」
……といった、いかにも説明的で「煽り」を含んだ宣伝コピーが使用されていたのだ。『人間の証明』では、こうしたそれまでの常道をさらりと捨ててしまっていることがお分かりいただけるだろうか。キャッチコピーの斬新さが競われ、コピーライターが花形職業として注目される、80年代に花開く「コピーの時代」。記号的で、シンプルで、インパクト重視。その研ぎ澄まされた短い言葉が、強力なフックとして作用する、コピーライティングの力。『人間の証明』以降の角川映画のキャッチコピーには、その先駆けとも言える閃きと個性が封じ込められている。
翌1978年の映画『野性の証明』(音楽:大野雄二)では、
「お父さん、こわいよ!なにか来るよ。大勢で、お父さんを殺しに来るよ! 」
……という長井頼子(演:薬師丸ひろ子)の劇中でのセリフがそのままコピーとして活用された。これもまた、原作を読んでいない者には、一体何が起きる映画なのか分からない、逆に言えば、実に想像を書きたてられる名文句であったと言えるだろう。
以降の角川映画作品でも、
「狼は生きろ 豚は死ね!」(映画『白昼の死角』1979/音楽:宇崎竜童)
「動く標的 撃ち落とせ!」(映画『蘇える金狼』 1979/音楽:ケーシー・ランキン)
「歴史は俺たちに なにをさせようとしているのか」(映画『戦国自衛隊』1979/音楽:羽田健太郎)
「愛は人類を救えるか」(映画『復活の日』1980/音楽:羽田健太郎)
「青春は屍をこえて」(映画『野獣死すべし』1980/音楽:たかしまあきひこ)
「鵺の鳴く夜は恐ろしい…」(映画『悪霊島』1981/音楽:湯浅譲二、ザ・ビートルズ)
「わが怨み、現在完了…」(映画『化石の荒野』1982/音楽:萩田光雄)
……等々の忘れがたい名キャッチコピーを生み出されていく。
そして1990年、「この夏、赤と黒のエクスタシー 」をキャッチコピーとして、角川春樹自らがメガホンを取り、総製作費50億円を投じた角川映画史上、最大規模を誇る作品が誕生する。それが「角川書店が映画を作る」という発想の源流、一粒の種のような存在であった、海音寺潮五郎原作の『天と地と』(音楽:小室哲哉)であったことは偶然ではないだろう。1969年に始まったこの大きな流れは、21年の年月を経て、輪廻のつながりを完成させるに至るのだ。
また、角川映画のメディアミックス戦略には、80年代中盤以降、さらにもう一つ、「アイドル」という因子が加わるのだが、それについては別稿<第2回 角川映画に於けるシンボル的存在、「角川三人娘」>をぜひご参照いただきたい。