宇都宮 隆が語る、ふるさとの思い出・エピソードとは?
編集部:ふるさとの思い出をおうかがいするコーナーなのですが、宇都宮さんにとってふるさとというと?
住んでいたわけではないんですが、よく帰っていた実家ということで言うと、今は合併して東松島市(宮城県中部、仙台湾沿岸に位置する市)になってますが、合併前の矢本町というところですね。航空自衛隊の松島基地のすぐ近くで、しょっちゅうジェット機が飛んでいました。かすかに覚えているのは畑に大きな穴があいていたこと。爆弾の跡なんですよ。僕は終戦の12年後に生まれたんですけど、戦争中は松島基地に爆弾がたくさん落とされたので、その痕跡が残っていたんだと思います。ふるさとと言われると、難しいですよね。東京に住んでいる人達の中には地方にふるさとがある人もいるでしょうけれど、僕は調布、立川と住んでいたので、あまりふるさと感がないんですよ。実家に帰ったときに、たまにそういう匂いがかげるくらいで。ただ、昔からある場所が今も残っていると、懐かしいなと思いますけど。でも立川もどんどん変わってますからね。駅も全然違うし、モノレールまで通っているし、立川基地もなくなって、公園になっているし。
編集部:思い出に残っている風景というと?
立川の前に小学校2年くらいまで、調布に住んでいたんですが、その時に甲州街道の折り返し地点で、1964年の東京オリンピックのマラソンを観ているんですよ。おぼろげにしか覚えてないんですけど、アベベが裸足で走っていたのは覚えてますね。裸足で黒い人が走ってるって。調布市に住んでいる時の記憶って、薄いんですが、それだけマラソンは子ども心にも衝撃的だったんでしょうね。
編集部:立川に引っ越して、小学校2年の時に木根さんと会ったんですよね。
そうです。いきなり木根に会ったところから始まっちゃうんで。
編集部:その出会いが今の音楽キャリアにもつながっているって、すごいですよね。プロフィールで、熊本出身と表記されていることもありますが。
半分、熊本の血は入っていて、自分としては熊本のことはいつも気にしています。熊本城が古くなったところを改築するために費用が必要だということを聞いた時にも寄付をして一口城主になりましたし、熊本地震後もネットで復興城主を募集していたので、応募しました。今回のツアーで、震災後にやっとライブに行けるので、特別な気持ちはありますね。
編集部:熊本の血が半分流れているということは、肥後もっこすなところはありますか? 一般的に気性は頑固とされてますが。
どうなんだろうな。頑固なところはありますね。あと、プライドが高いところ。そこは年々、というか、ソロになってから、よりはっきり出てきている気がします。
1964年の東京オリンピックをご覧になっていた宇都宮さん。次は2020年の東京オリンピックですね!
貴重なお話をありがとうございました。
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