世界の音楽聖地を歩く 第4回:B.B.キング「ザ・スリル・イズ・ゴーン」

コラム | 2016.04.11 16:00

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TEXT・PHOTO / 桑田英彦

昨年の5月に89歳で亡くなったB.B.キングは、ルイ・アームストロング、デューク・エリントン、マイルス・デイヴィス、レイ・チャールズたちと並んで、アメリカン・ミュージックの至宝として君臨した巨人だ。2007年にオハイオ州シンシナティで彼のツアー・バスの中でインタビューする機会に恵まれたが、当初マネージャーからは「30分だけ」と釘を刺されていたにもかかわらず、時間通りに引き上げようとした僕を引き止めて、なんと2時間も取材に応じてくれた。同行していた通訳の女性には「明日の朝一緒に朝食でもどうかね?」などとちょっかいを出す、じつにチャーミングな大人の男だった。
B.B.ことライリー B.キングは1925年9月16日、ミシシッピ州北西部のイッタベーナのプランテーションで生まれた。母親と通った教会でゴスペルに出会い、早くから音楽に興味を示すようになったB.B.は、6歳の頃にはブルースのレコードを好んで聴いていたという。やがてミシシッピ州インディアノーラ近郊のプランテーションでトラクター運転手として働くようになり、週末には街角で歌ってチップを稼いだ。数年後には演奏で稼ぐ収入がプランテーションの給料を凌ぐようになり、ミュージシャンとしての夢が大きく広がっていく。そして1946年5月、20歳になったB.B.はギターを背中に担ぎ、2ドルをポケットに押し込んで、ハイウェイ61をヒッチハイクでメンフィスに向かった。ここからB.B.キングの栄光の物語が始まったのだ。

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B.B.キング・ミュージアムでは映像や音楽をふんだんに盛り込んでB.B.の栄光の歴史を展示している

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[画像左]1960年代から70年代にかけて、B.B.のステージやレコーディングに使用された愛器ルシール(ギブソンES-355TDSV) [画像右]1980年代に登場したB.B.のシグネチャー・モデル「ルシール」。こちらはソリッド・ボディで作られている

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ラスベガスの自宅に設けられているB.B.のプライベート・スタジオが再現されている。彼はモチーフ作りにはキーボードを多用していた

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ミシシッピ州インディアノーラにあるB.B.キング・ミュージアムの外観。この建物の横にメモリアル・ガーデンの建設が予定されている (400 2nd St, Indianola, MS 38751 www.bbkingmuseum.org/)

若き日のB.B.の足跡が多く残るミシシッピ州インディアノーラにある『B.B.キング・ミュージアム』には、愛器ルシールやステージ衣装など数多くのメモラビリアが並び、60年を超えるキャリアを誇るB.B.の歴史が未発表映像などを交えて立体的に展示されている。まずはエリック・クラプトンやキース・リチャーズなどの愛情溢れるコメントが収録された映像とともに、B.B.の栄光の歴史がスクリーンに映し出される。展示スペースに入るとそれぞれの時代ごとにまとめられたB.B.ゆかりのアイテムがずらりと並ぶ。B.B.のトレードマークにもなったツアー・バスのレプリカ、几帳面な一面が垣間見える詳細なツアー・スケジュールとギャラが記された手帳など、興味深い展示物が続く。インタビュー時にB.B.が話していた通り、手帳に記されたツアー・スケジュールはあまりに過酷だ。「一番多い年には366本のライブをこなした。1960年代から70年代にかけてはコンスタントに年間250本、さすがに80歳を過ぎてからは控えるようになり、今は年間120本のライブをやってるよ」。B.B.が亡くなったラスベガスの豪邸にあるプライベート・スタジオなども再現されており、最後の展示物まで一気に楽しめる。B.B.の葬儀はメンフィスで行われた。その後遺体はハイウェイ61を通ってインディアノーラに運ばれ、このミュージアムに愛器ルシールとともに埋葬された。現在メモリアル・ガーデンの建設が予定されている。

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インディアノーラのセカンド・ストリートとチャーチ・ストリートの交差点に設置されたブルース・トレイル・マーカー。B.B.は17歳の頃、この場所で歌ってチップを稼いだ

1940年代前半、10代のB.B.キングは週末の夜になるとインディアノーラの町に出て、セカンド・ストリートとチャーチ・ストリートの交差点でゴスペルを歌ってチップを稼いだ。まだこの時代はブルースよりもゴスペルを歌う方がより多くのチップを稼げたという。かつてインディアノーラはチトリン・サーキット(黒人エンターテイナーが小さなクラブやバーを廻る巡業コース)のメイン・ストップだった町で、多くのブルースマンが訪れていた。彼らの洗練されたステージやきらびやかな衣装など、若き日のB.B.は大いに刺激を受け、ミュージシャンとしての夢を膨らませていた。

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まさにブルース・クラブ!といった外観のクラブ・エボニー。クラブのオーナーは素晴らしいミュージシャンをブッキングするためにいつでも好条件のギャラを提示し続け、結果何度か財政破綻した (404 Hanna Ave, Indianola, MS 38751)

40年以上も続いたホームカミング・コンサートのハイライト、B.B.のクラブ・エボニーでのステージ模様

このチトリン・サーキットの頂点として存在したのがインディアノーラに現在も残る『クラブ・エボニー』である。1948年にオープンしたこのクラブには、レイ・チャールズ、カウント・ベイシー、ボビー・ブランド、そしてスターダムを駆け上がったB.B.キングなど、一流の黒人ミュージシャンがいつも出演していた。また1980年から毎年開催されている、インディアノーラ市民を無料招待する”B.B.キング・ホームカミング・フェスティバル”では、イベントのクライマックスとしてB.B.のクラブ・エボニー公演が組まれていた。長い歴史を誇るクラブ・エボニーだが、財政難などから幾度かオーナーが変わり、2009年にはB.B.がこのクラブを買い取っている。そして2012年に『B.B.King’s Club Ebony』として リニューアル・オープンを果たし、現在も営業を続けている。

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B.B. キングのバースプレイスに設置されたブルース・トレイル・マーカー。 マーカーの裏面には、当時B.B.が暮らした家や農場の写真が表示されている

2012年に公開されたB.B.キングのドキュメンタリー映画『ザ・ライフ・オブ・ライリー』の冒頭のシーンで、B.B.がツアー・バスに乗って訪ねる場所がこの”B.B.King Birthplace”だ。バークレアという川のそばにある小さな村の外れにある、まさに原野である。このマーカーはメンフィスに本部のあるブルース・ファンデーションが主宰するミシシッピ・ブルース・トレイルというプロジェクトの一環で建てられたもので、ミシシッピ州内に点在するブルースゆかりの地、およそ150か所に設置されている。

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メンフィス一番の賑わいを誇るビール・ストリート。左側の歩道には有名なB.B.キング・ブルース・クラブのネオンが光る。反対側のサード・ストリートは、B.B.の没後に”B.B.King Boulevard”と改名された

B.B.キングの遺体を納めた霊柩車とともに、葬列は「聖者の行進」を演奏するマーチング・バンドとメンフィスのビール・ストリートを進んだ。B.B.と言う名称は”ビール・ストリート・ブルース・ボーイ”の略称である。この通りの賑わいの中心はもちろん『B.B.キング・ブルース・クラブ』だ。昼間は雑然とした通りだが、日が沈みネオンは灯り始めると、ビール・ストリートは一気にヒートアップする。旅行者も多く繰り出し、店の入り口からは様々なバンドの演奏が聴こえてくる。そしてメンフィスのブルース・パワーは連日朝方まで続くのだ。

B.B.キング、エリック・クラプトン、ロバート・クレイ etc..「スリル・イズ・ゴーン」

B.B.キング「ハウ・ブルー・キャン・ユー・ゲット」

桑田英彦(Hidehiko Kuwata)

音楽雑誌の編集者を経て渡米。1980 年代をアメリカで過ごす。帰国後は雑誌、エアライン機内誌やカード会員誌などの海外取材を中心にライター・カメラマンとして活動。ミュージシャンや俳優など著名人のインタビューも多数。アメリカ、カナダ、ニュージーランド、イタリア、ハンガリー、ウクライナなど、海外のワイナリーを数多く取材。著書に『ワインで旅する カリフォルニア』『ワインで旅するイタリア』『英国ロックを歩く』『ミシシッピ・ブルース・トレイル』(スペースシャワー・ブックス)、『ハワイアン・ミュージックの歩き方』(ダイヤモンド社)、『アメリカン・ミュージック・トレイル』(シンコーミュージック)等。