ユニコーンの川西幸一(Dr)、手島いさむ(Gt)、EBI(Ba)の3人によるバンド、電大とつるの剛士の座談会をお届けする。3人とつるのが親交を深めるきっかけとなったのは、今年7月28日に神奈川・リビエラ逗子マリーナで開催されたユニコーン企画のライブイベント「UNICORN MACHURI『LIVE 1173』」に、つるのがゲスト出演して電大とのコラボレーションが実現したことだった。この共演で手応えを感じたことがきっかけで、2025年2月11日に神田明神ホールで開催される、つるのの『ROAD TO 50 LIVE ~御利益 LIVE 2025~』(第1部はFC公演)の第2部で、つるのが参加して、電大のライブが行われることが決定した。その2部のサブタイトルは、『電大260000V~電撃!神田明神 LIVE 2025』である。知り合ったきっかけ、来年2月の共演ライブのこと、さらに50歳(来年、つるのが50歳)という年齢についてなど、幅広い話題について4人に語ってもらった。終始笑いの絶えない和やかな座談会となった。
──知り合ったきっかけから、うかがいたいのですが、つるのさんは中学時代からユニコーンの音楽を聴いていたんですよね。
つるのはい。僕はユニコーンど真ん中の世代で、同級生もみんな、ユニコーンの音楽を聴いていましたが、僕は当時、バンドでベースをやっていたので、とくに熱心に聴きまくっていました。なので、こうして同席させてもらっていることも、まだ夢みたいなところがあります。
──実際に対面で初めて会ったのは、いつ頃なんですか?
川西20年ぐらい前なんだっけ。
つるのそうです。川西さんとは、20年ぐらい前にラジオ番組でお会いしています。TOKYO FMで『BPR5000』という生放送の番組をやらせていただいていて、その番組内で「つるROCKフェス」というロックフェスティバルを開催していたんですね。そこに川西さんが在籍していたバンド、ジェット機として出演していただきました。
川西ジェット機はJUN SKY WALKER(S)の宮田和弥と一緒にやっていたバンドですね。
つるのそれが初めての出会いなんですが、川西さんは覚えていませんでした(笑)。
川西2022年10月に、僕がやっている広島テレビの番組『テレビ派』のバイクでツーリングするという企画に、つるのくんに出演してもらったんですね。広島空港で会って、「初めまして!」と挨拶したら、「いえ、違いますから」と言われました(笑)。そこから普通に付き合うようになり、他のメンバーとも付き合うようになったんですよ。つるのくんはバイカーなんで、EBIちゃんも含めて、ツーリングしようかという話もでています。そうした流れもあり、逗子マリーナでのユニコーンの企画イベントに出演してもらうことになったということですね。
EBIゲストとして誰を呼ぼうかという話をしていたんですが、そもそもの企画が逗子の近くに住んでいる人に出演してもらうということだったんですよ。
川西「つるのくんってこの辺なんだよね」という話も出て、オファーしたら、快くOKしてくれて、電大と共演してくれることになりました。
──つるのさんは、オファーが来て、どんな気持ちでしたか?
つるのバイクというご縁で、お付き合いさせてもらいましたが、まさか音楽でご一緒できるとは思ってもいなかったので、夢みたいだなと。逗子マリーナは以前、僕もフェスをやらせていただいた場所だったので、そのことも含めて、うれしい気持ちでいっぱいでした。共演する前に、打ち合わせをしようということになり、手島さんがお店を予約してくださったんですね。皆さんと同時に会うのは初めてだったので、緊張していたんですが、場所が新横浜のルノアールだったので、緊張がほぐれました(笑)。
手島リハーサル前に打ち合わせを提案したのは、人となりを知った上で共演したいと思ったから。リハと本番だけやって、“はい、終わり”みたいやり方って、バンドらしくないじゃないですか。
川西ユニコーンも昔はよく喫茶店に行ってたよね。
手島若い頃はよく朝までみんなでデニーズにいたんですよ。今回は川西が広島に住んでいることもあり、新幹線の便のいいところで、新横浜ならみんな、集まりやすいかなと。時間帯が15時だったので、居酒屋もないだろうと考え、個室の取れるところということで、ルノアールの会議室に決めました(笑)。
つるの僕はてっきりルノアールという居酒屋があるんだろうなと思っていたんですが、まさか、本物の喫茶室ルノアールで(笑)。でも、おかげさまで、すぐにほぐれました(笑)。
川西ケーキセットを食べながら、打ち合わせをしました(笑)。
──それぞれ、つるのさんにどんな印象を抱きましたか?
EBI好青年!(笑)
手島基本的に元気で突っ走っていく人なので、裏はなかろうと思いました。打ち合わせの時に、「これやりましょう」「あれやりましょう」といった話をして、リハをやってという流れですね。リハも7月だったので、暑かった印象が強い(笑)。
EBIリハをやってみて、つるのくんが熱い(暑い)男だということもわかりました(笑)。
川西その打ち合わせの前に、僕が広島でやっているラジオ番組に、つるのくんにゲストとして出演してもらい、ミュージシャントークもしてるんですよ。その時は、「ヘヴィメタルギターはセミだ」という話をひたすらしてました(笑)。バンドのこともいろいろと話したんですね。でも、実際に音を出したわけではないから、わからないところもあるじゃないですか。初めてつるのくんと一緒に音を出したのは、リハーサルですよね。EBIちゃんはどういう印象でしたか?
EBI好青年らしさが音にも出てましたね(笑)。とても真面目ですし。おかげで初心に返ることができました。
つるの違うんですよ。僕が電大さんと一緒にやるのは初めてじゃないですか。ミキサーさんにいろいろと注文を出させていただく時に、ドラムのリズムが少し聴こえにくかったので、「3点ください」ってお願いしたんですよ。3点というのは、スネアとハイハットとバスドラなんですけど。そうしたらEBIさんがずっと爆笑してて(笑)。
EBIあれはね、最初、なんて言ったのか、わからなかったの。多分、つるのくんのテンションが上がっていて、すごく早口になっていたんだと思う。「サンテンってなんだろう?」って。
手島「参天(製薬)のど飴かな」って(笑)。
EBI喉飴がほしいのかなって。そうしたら、おかしくなって、笑いが止まらなくなってしまった(笑)。
手島確かに昔アマチュアバンドやってた頃には、「3点」って言ってたんですよ。だからものすごく懐かしくもあり、新鮮でもあり。
EBIそう! 新鮮だったし、昔を思い出して、初心に戻されました。今度からちゃんと「3点」って言わなきゃいけないなって(笑)。
つるのそれをネタにして、ずっと言われ続けていて(笑)。永久に言われるような予感がします(笑)。
──手島さんはギタリストとして、つるのさんのギターについて、どんな印象を持ちましたか?
手島いきなりケンパー(ケンパープロファイリングアンプリファイヤー。独自のプロファイリング・テクノロジーによって、簡単に真空管アンプのセッティングの再現が可能)を持ってきたから、家でもギターをかなり弾いているんだろうなと思いました。
つるのでもケンパーを持っていった瞬間に、(奥田)民生さんに「ダメだよ、犬連れてきちゃ」って言われました(笑)。犬とケンパーをかけていたのかもしれないですけど。それとも、どこか犬っぽいんですかね。
EBIというか、犬を入れるケースっぽいよね、形状が(笑)。
手島イヤモニをして演奏している人が多いんだけど、今、逆にケンパーを持参するのが流行っているのかなと。
川西犬を連れて、リハーサルに来るのが流行っている(笑)。
つるの僕的にはゲストで出させてもらう立場だし、いきなり大掛かりな機材を持っていくと、恐縮するじゃないですか。ケンパー1発あれば、あとはアンプとスピーカーだけあれば大丈夫なんで、そのつもりで持っていったんですよ。ところが、犬扱いされて、メッチャ、ディスられたという(笑)。でも楽しくリハーサルさせていただきました。
──本番の「UNICORN MACHURI『LIVE 1173』」のステージも大好評でした。実際に共演した感想を教えてください。
川西電大はいつも3人だけでやっているので、つるのくんに入ってもらったことで、今までにない電大になったなと感じました。電大って、3人なので、ステージの上で、僕の前に誰もいないんですよ。でも、目の前に人がいると、こんなに景色が変わるんだなということも感じました。
EBI邪魔だな、前が見えにくいぞって(笑)。
川西つるのくん、ステージに出ると、すごく大きく見えるんですよ。で、MCも含めて、ちゃんと持っていくところはさすがだなと。
EBIそう、ステージに上がっても好青年(笑)。ものすごくしっかりしてましたね。エンターテイナーとして、まわりが見えているんですよ。
手島あと、やはり熱量がすごいですね。汗をかきながら、熱演していました。季節がもう少しずれこんだら良かったんですけどね。気温も暑いし、つるのくんも熱いし、暑苦しい一日(笑)。
──つるのさんは、お三方と一緒のステージに立って、どんな気持ちでしたか?
つるの僕からしてみたら、夢みたいな瞬間ですよね。今思い返しても、本当にステージに立たせてもらったのかなという感覚がありました。リハーサルは1日だけで、当日は音を出さないまま、ギターを渡されて、演奏したんですが、学生時代にずっとコピーしていたバンドの人たちが一緒に演奏しているわけで、自分の中にグルーヴが入り込んでいるところもあって、個人的には違和感がありませんでした。皆さんからしたら、「3点」なんて言ってる変なヤツだったかもしれませんが、スポッとハマって気持ち良く演奏させていただきました。自分としては、この瞬間だけで終わるのはもったいないなと思ったので、来年のライブにお声掛けさせていただきました。
──この逗子マリーナでの共演が、来年2月11日の神田明神ホールでのライブに繋がるわけですね。
つるのそうです。僕にとって、また大きな経験になると思います。逗子マリーナのステージの前にも、手島さんから貴重なアドバイスをいろいろといただいて。個人的にはほめていただいたのかなと思うこともあり、そのことがとてもうれしかったですね。
手島もちろん、誉めたよ。いいと思ったので、そこはストレートに「すごくいいね」と言いました。あと、アドバイスというよりも、どのパートをどう弾くか、誰が歌うかを相談したということですね。一緒にやる以上は、建て付けを作らなきゃいけないじゃないですか。その打ち合わせは一生懸命やりました。つるのくんの声の特性や音域をどう活かすか、どこでどう入ってもらうか、そこはある程度考えておかないといけないですからね。つるのくんの作品も聴ける範囲で全部聴いて。あとは、本人に取材して。来年2月に向けても、今、取材中です(笑)。
──逗子マリーナでの共演のあとも、手島さんがつるのさんを訪ねたと聞いています。
手島逗子マリーナでは暑すぎて、全体で打ち上げをできなかったので、僕が代表してつるのくんと2人で打ち上げをして、お互いの人生を語り合いました(笑)。
つるのシラフで6時間、喋っていらっしゃいました。手島さんがいちばん熱い男でした(笑)。ひと言ひと言に重みがあるんですよ。音楽1本でずっとやられているわけじゃないですか。僕も音楽をやっていますが、いろいろなことをやってきている中での自分の表現の1つのツールとして音楽があるんですね。そうではなくて、音楽1本でやり続けている方の話をうかがえたこと、そして共演させていだたくことは、とてもありがたいことだと思っています。2月に共演させていただくことに関しては、逗子マリーナでの熱い思いのままに、「また、一緒にやりたいです」とお伝えして、実現できることになったんですね。でも、手島さんのお話をうかがって、より良いステージをやるためには、勢いのままにやるのではなく、しっかり設計図を書き、順序立てて進めていくものだということも学んでいる最中ですね。すごく勉強になっています。