──2000年10月には「2nd ライヴサーキット"D4-33-4"」ツアーで2デイズ、さらに2001年には「3rd ライヴサーキット"ジャパンツアー"」で4デイズの渋公ライヴがありました。
新藤しかも、国立代々木競技場、大阪城ホール、レインボーホール、横浜アリーナなど、アリーナ公演も2001年にやっているんですよ。そういう意味では、渋公でやるのと同じ意味合いで、ホールツアーをしっかりやってから次はアリーナに行こうというタイミングだったんですね。お客さんが入るからじゃなくて、階段をしっかり上っていくことが大切なんだってスタッフに言われて。そういう硬派な考え方でやっていた気がします。ホールをしっかりやれるバンドにしようって。
──足場を固めてから、ですね。
岡野今考えるとありがたいですね。それから、2000年か2001年のどちらかのツアーでケータリングが入ったんです。それまで弁当だったのに、ケータリングって何ですか?って言ったのが渋公なのを覚えています。しょうもないことばかり覚えていますけど(笑)。楽屋にメニューが貼ってあって、これは何?って。ハヤシライスがあったのを覚えています。これってひとつのステップアップなのかなと思いました(笑)。
新藤俺はたぶんこの時、渋公に車で行って怒られた(笑)。車を買えたのがすごい嬉しくて。形から入るのが好きなんですよ。以前、アメリカンバイクで会場入りするのがロックミュージシャンだって誰かが言ってて、それを受けて車で行ったら怒られた(笑)。ナンバーでプライベートがばれるからって。行きたかったんですよ、単純に。
──それだけ渋公が特別なものだという意識がどこかにあったんでしょうね?会場入りから気分を上げるのも大事ですから。
新藤きっとね、東京行って車買ってそれで乗り付けてという、僕のわかりやすい憧れだったんですよ(笑)。
──(笑)。最初の渋公をやり終えた時、どんな印象を持ちました?
新藤20年前なので、さすがに覚えてないですね。
岡野よし、これでホールツアーできるなって思ったんじゃないですか。この3カ月後がホールツアーですから。
──ライヴハウスでやっている時とは見える景色が違いますよね?
岡野違いますね。必死で2階席を見ていた気がします。一番後ろにいるお客さんに届けるようにやるんだよって、ずっとスタッフに言われてて。表情とか見えない人もいるんだから、身振り手振りも大きくするように。表現というのは歌だけじゃなく、体でも表現することが重要だって教わりました。マスター・オブ・セレモニーとはこういうことだよって教えてもらった記憶があります。
──ポルノの歴史の中でも大きく成長できたポイントですね?
岡野そうです。
新藤僕も2階席を見てやることを意識しましたけど、終わった後どうだったかは覚えてないですね。
──当時の渋公は、さまざまなアーティストが成長していくうえでの登竜門という位置づけもありました。
岡野そういうこともあって、最初はビビっていたんです。
新藤公園通りの坂を上ってビッグになっていくって言われてましたよね。エッグマン、渋公、NHKホールと会場が大きくなっていく。それがサクセスストーリーだって言われることがあって。
──さらに、その先に国立代々木競技場第一体育館があって。
岡野ああ、なるほど。4段階ぐらいあるわけですね。渋谷では、その前に僕らはON AIR WEST(現TSUTAYA O-WEST)、ON AIR EAST(現TSUTAYA O-EAST)でもやってました。
──ライヴハウスからのステップのひとつとして大きな意味合いを持つのが渋公の存在だったというか?
岡野大きかったです。2010年、C.C.Lemonホールになってからもやってますね、2デイズ。
──「11th ライヴサーキット“∠TARGET”」の時ですね。2001年以来、久々の渋公でのライヴでした。渋公で印象に残っていることというと?
岡野さかのぼりますけど、“横G”の時に自分で衣装を買ったんですよ。サッカーのユニフォームを着てステージに出たのを覚えてます。ベルギー代表のユニフォーム。渋いでしょっていう変なこだわりがあったのを覚えてます。
──何でベルギーなんですか?
岡野知らないです(笑)。マニアックと思われたかったんでしょう。
──なぜサッカー?、ワールドカップの年でもないのに。
岡野サッカーが好きだし、衣装を自分で買って出たかったんでしょう。後にも先にも、あんなにカジュアルな格好でステージに立ったことはないです。まだ衣装のイメージがついてなかったからでしょうけど。衣装が用意されているのに(笑)。
──そのアピールは成功したんでしょうか?
岡野いや~、ひどいものだったんじゃないでしょうか(笑)。素人が考えることなので。スタイリストさんが青くなっていたかも(笑)。
──何らかの自己主張をされたかったんでしょうね、お膳立てされるだけじゃなくて。
岡野そうだったんでしょう、そんな覚えはあります。自分で買います!って。
──今年オープンする新たな渋公に向けて、どんな想いがありますか?
新藤2000人のキャパで、しかも渋谷の便利な場所にあって。僕らだけじゃなく新たな若いミュージシャンたちにとって、ひとつの目標になる場所でしょうから。そういう場所があることってひとつのモチベーションになりますよね。武道館は武道館で、建物の名前以上に意味があるように、渋公は僕らにとってそういうものだったので、新たな存在になるんでしょう。そういうところから生まれる若いミュージシャンたちの音を聴きたいなと思いますね。
岡野昔、ボイストレーナーの方に、渋公も武道館も、みんなが目指す会場には音楽の神様がいるんだよって言われて。そう信じたいじゃないですか。だからこそ、そこに立った時にどう感じるんだろう、その神様にどう好かれるんだろうと思いますね。宗教的な意味じゃなく、ステージに立っている時は非日常だから、そんなことを思ったりしながらやることもあります。渋公は歴史がある、神々しい場所だから、新しい渋公もそうなってほしいですね。神聖な場所というか、そこに立ったらピリッと身が引き締まる、そんな場所になればいいなと思います。