PeopleであることはBeautiful
そうですね(笑)。まずは、『Beautiful People』というタイトルが決まって、“人間はそれぞれ素敵です。そのままで良いのです。”というテーマをデザイナーに伝えたんです。すると、デザイナーからいくつかアイデアが上がってきたんですけど、ひとつだけ、びっくりしたもの(今回のデザイン案)があって。まずはデザイン的にいいなと思ったんですけど、とりあえず問題はこの人物(笑)。50歳過ぎた男がこれをやったら痛いような面白いような…。でも今回のアルバムのテーマに一番合っていると思い、“面白いのはこれです”ってデザイナーとスタッフに言ったら、“久保田さんがそう言うなら、これが一番やりたいです”と言われてスタッフも怖気づきながらそれならいいと。大きく言えば、やってることがファンキーなので、いいだろうと思ったんですね(笑)。だから、僕の提案ではないですけど、賛同したということです。
ないですね。気にしていたこととすれば、若者の美の裸を見せるということじゃなく、ちょっとシュールで面白い感じになればいいなと。そっち側に映ればいい、痛い感じに映らなければいい。でも、誰もそういう心配をしなかったし、面白く撮ってくれたので、僕自身は抵抗はないです。
他人という手もありますよね。最初、顔だけ僕にして、身体は別の人で撮影してもいいんじゃないですかって言ったんですけど、“どうせやるなら久保田さんで”とデザイナーも言ったので、そこは逃げちゃいけないなと。しかも、リリース後はこの話題が必ず取り上げられるだろうと思ったから、これからテレビやラジオの番組にゲストとして出る時、“僕です”って言ったほうがいいと思って、自分でやりました。嘘ついちゃいけないですから(笑)。
ここ1~2年、ジムのトレーナーと、筋肉を作るというよりインナーマッスルをちゃんと鍛えましょうってトレーニングをやっているから、ダラダラしてないですね。でも、最初にデザインが来た時、後ろを向いて逃げている感じをイメージしていたんですが、自分がモデルになると妙にリアリティが出ますね(笑)。
そうです、そっちにもうまく繋がって。これは、もともとのデザイン案の説明に、“何も無くなった時に、人の素が出る。何も無くなった世界、時代も場所も分からない、そういう時に人間そのものが出ることをイメージしたデザインです”と書かれていたんです。しかも、見る人にとってイメージを膨らませやすい写真だし、押し付けもなくていいですからね。
具体的にこれだって言葉に言い直せるような主張がなくていいですね。Beautiful Peopleという言葉も簡単な単語ですけど、解釈はいろいろですから。美男美女という意味に直接取ってしまう人もいるでしょうけど、アメリカの黒人たちの間で聴き慣れている言葉なんですよ。特にBeautifulはきれいという意味にはあまり使わなくて、いい感じ、いい奴、いい行いをした、ラブリーに失敗したとか、そういう時に“It’s Beautiful”って使うんです。人間臭い、頑張っていれば失敗するのは当たり前、とか。もしくはラブリーな、いい加減なところが人に安心感を与えて嬉しい、助けられるとか。そういった、悪い奴という以外は、すべてBeautiful People。行いも含めBeautifulということなので、そういう解釈で取ってくれればいいなと。
そういうとデカいですけど、そうです。人間賛歌とか。
そのとおり、PeopleであることはBeautiful。