会心作『REBROADCAST』のリリースとそのツアー、そして今年は結成30周年のアニバーサリーイヤーと、話題盛りだくさんのザ・ピロウズ。その渦中にいる山中さわおは、穏やかに、しかし内側では熱い思いを燃やしながら、この期間に向かおうとしているようだ。少年性のような衝動がみずみずしさを放ってきたバンドであり山中だが、気がつけば彼もアラフィフ。それでもその歌とオルタナティヴ・ロックに回帰したサウンド、そして彼が語る言葉には、今のリアルさが痛いほどあふれている。
──いいアルバムだと思います。で、おそらく、そういうリアクションが返ってきてますよね?
そうですね。いま青木さん、わりとサラッとした熱量だったけど、「今回すごいですね!」と言ってくれる人がいたりして。それがあまりにすごいと、「あれ? 前回のアルバムはどうだったの?」と思ってしまったりするけど(笑)。
──すみません、サラッと言ってしまって(笑)。そんなふうに好評であることは、どう受け止めてますか?
そうですね。僕はやりたいことをその都度やってるだけなんですけど……<みんながこうあってほしい>というピロウズとか山中さわおの作品は、ライヴで楽しくイエー!みたいなものよりは、シリアスなテーマのほうが好まれるんだなと解釈しています。前作と前々作は、ライヴで盛り上がる楽しい曲の比率が多かったんだけど(笑)。
──そうそう、前作なんて「作詞作曲の時点で楽しい曲が多かった」と言ってましたもんね。
うん。ただ、それをコントロールするわけにはいかないですからね。だから今回そういう曲がたまたま揃ってアルバムになったから、みんな<待ってました!>みたいな感じになるのかなと。
──「再放送」という意味のアルバム・タイトルは、「人生を長く過ごしてきた人間です」と言ってるわけですよね。ピロウズがそんなことをポジティヴに唄ってるのに驚きました。
ポジティヴとかネガティヴという感じではなくて、リアリティですね。若い時は<再放送なんて曲を書くようになったらおしまいだな>と思ってたのかもしれないけど、29年もやってるからいろいろ変化が起こってきていて……これが今の自分の素直な感じなんですよ。過去をちょっと懐かしんだり、<もう1回あの頃の感覚を味わいたいな>と思ってるところもあるし、それを隠す必要はないと思うし。仲間と酒を飲んで思い出話をするのは、それはそれで楽しいし、そういうのが音楽と歌詞に散りばめられた感じですね。でもアルバムの一番最後の「Before going to bed」で、<人生は一度きりなんだ>と、再放送なんてないと、ほんとのリアリティで締めるのはバランスがとてもいいなと思ってます。
──そこもあなたらしいです。そしてここから来年に向けての流れは<Thank you, my highlight>と名づけられていて、結成30周年記念日の9月16日近辺では大きなライブを計画してるそうですね。で、このタイトルは「Thank you, my twilight」という曲の名前からとられてると思うんですが、なぜここでこの曲が出てきたんですか?
ええとね……ピロウズが2009年に(日本)武道館をやった時は<LATE BLOOMER>というタイトルで、その1曲目が「Thank you, my twilight」だったんですよ。それをやってる時は、僕らの気持ちにも集まってくれたみんなの気持ちにもとてもしっくりきた、いい瞬間だったので、それは頭にあったかもな。ちなみに25周年のライブは<NEVER ENDING STORY>で、1曲目は「スケアクロウ」でした。で、「Thank you, my twilight」は、サウンドトラックを担当した(アニメ)『フリクリ』のCDが9月に出たんだけど、アメリカ側のリクエストがあって、そこで再録したんですね。自分たちの中でも独特のポジションの曲だし、今回のアメリカ・ツアーでもやって来たんです。でも俺、32の頃に自分の晩年、twilightのことを唄ってたんだなあ(笑)。あれは「自分の音楽人生が終わってくな」みたいなのをすごく本気で書いた曲なんですよ。
──そうですよね。その頃、どうしてそんな歌を書いたんですか?だって2002年頃って、バンドの状況も良くなってきた時期なわけじゃないですか。
そうですね、ただ、あのー……その頃、自分の腕をこうやって見て、「あれ、ジジイになってる?」と思ったのを覚えてる(笑)。「あれ、シミがある?」って。初めて自分が老けたなと、老化を感じた頃でしたね。
──へえー。ヘンなことを覚えてますね。
いま思うと全然若いんだけど、そういう変化があったんだよね。なにか……今の50代のバンドって、元気だと思うんですよ。僕らもですけど、コレクターズ、怒髪天、ピーズ、トモフスキー、ピロウズ……フラカンはまだギリ49か。たぶん僕が30ぐらいの時って、あんまりそういう感じじゃなかったと思うんですね。
──うん、そうですね。ベテラン・バンドがそこまでは活躍はしてなかったです。
これはバンド界に限ったことではなくて、たとえばアイドルというカテゴリーにSMAPぐらいの歳の人たちがいるのも、昔はなかったと思うんです。どの世界も年齢制限がなくなってきたというか。だけど僕が30くらいの時には、サザンオールスターズみたいな国民的なバンドじゃなければ、ロック・バンドって40ちょいぐらいで終わるような気がしてた。なので32の時に「あ、もう半分曲がったんだ?こっから音楽人生も残り半分くらいだ」と思ったんですね。で、「いつまで曲を書き続けるのかなあ」とか……わからないことなのに、ちょっとネガティヴな想像をしていた時期だと思います。
──そうだったんですね。先行きの不安があったと。
そうだ……その頃、ツアーで青森まで車移動してる時に、復活したThe ピーズをMDウォークマンか何かで聴いてて、死にたくなったんだよな(笑)。<ボクらは未来へズれていく/帰れない方へ 帰れない方へ>みたいな歌詞で(「サイナラ」)、「ほんとだ」って思って。感情を揺さぶられて、それで青森のホテルに着いてからグッタリして、暗くなったのを覚えてる……そういうことが重なったのかな。その頃の自分がナルシスト的に、哀しみに酔いしれるのが得意なのもあったと思うけど。すぐ暗い部屋にヒュッと入っちゃうというか。おかげでいい曲、いっぱい書けたんだけど(笑)。
──まあ昔は30代になるのは大きなことでしたからね。いろいろと決断しなきゃいけなかったり、諦めなきゃならなかったりで。
うん。今の30なんか若手だよね(笑)。これは自分が歳をとったかもしれないけど。
──それは、それこそピロウズみたいなバンドが頑張ってるからですよ。さっきの話で、40代や50代のバンドが大きな会場でライヴをするようになったのだって、むしろピロウズが切り開いたことじゃないですか。
そうなんですよ!(笑)みんなが、武道館をあんなにできるようになるとは思ってなかった!俺らだけの手柄だと思ってたら、違った(笑)。
──でも絶対に簡単にできることじゃないです。なかなか報われなくてもバンドを続けていれば、その積み重ねで武道館にたどり着けることだってあると見せたのは、ピロウズだったと思いますよ。
そうですね、うん……そうだなあ。