僕の活動や発信に触れて、少しでもなにかと戦える1歩になれば良いなという思いがある(幸樹)
──まずは、2024年8月8日にリリースされたアルバム『極∀道』についてお聞きしたいです。同作を作るにあたって、テーマやコンセプトなどはありましたか?
幸樹(Vo)
新しいアルバムを作るなら“極道”というタイトルでいきたいというのは、最初からありました。極道というのは日本ではあまり良い意味合いではありませんが、自分の中では“極める道”という言葉に対していろいろな解釈があるんです。それを、誰かわからない人が決めた意味合いで遠慮して避けるというのは違うなと思って、今回は『極∀道』というタイトルにしました。全体のメッセージとしては、僕らの場合は音楽ですが、いろいろな方々が歩んできたいろいろな道の中で必ずその人にしかないものというのがあって、それを誇っていこうよ…という意味合いが込められています。
威吹(Gt)
『極∀道』は前回のアルバム(『浪漫童樂的茶番劇』2022年8月発売)よりもメンバーの“個”というものがすごく感じられるアルバムになったかなと思いますね。メンバー全員の曲が入っていますし、曲の雰囲気もメンバーによって大きく違っているし。そういう意味で、よりダウトらしいアルバムになっているなという印象です。
──メンバー全員が曲を書かれて、なおかつ良質な楽曲を揃えられるのは大きな強みだなとあらためて感じました。幸樹さんがおっしゃったメッセージに関してはシニカルだったり、批判的な視線、キツい物言いなどがありながらも全体としてはアゲアゲな雰囲気というところが魅力的です。
幸樹
たとえば、SNSで発信したり、口で言ったりするとものすごくキツく感じたり、ヘタしたら炎上の標的になってしまうような言葉も音楽に乗せるとなぜか緩和されるんですよね。自分が言いたいことや思っていることをストレートに伝えられるところが音楽の特権だと僕は思っていて、そこに遠慮をしないというのが今回のアルバムでは特に強くありました。僕は、場を尖らせたくないから柔らかい表現にしようというようなことがあまり得意ではないので核心をちゃんと突きたいというのがあって、それが最近の自分の歌詞の特色になっています。
──そういうスタンスでいながらギスギスした歌詞になっていないのは、幸樹さんの人柄によるものだと思いますが?
幸樹
どうだろう?……僕がコロナの中で感じたのは、“もう全員に好かれなくていいや”ということだったんです。全員に好かれようとすると自分の活動や発言も薄まってしまうから。自分のファンは普段ものが言えなかったり、強い理不尽のしわ寄せをくらっているけど言い返せないような子がめちゃくちゃ多いんですよ。だったら自分はズバズバ言える人間なので、そういう子が僕の活動だったり、発信だったりに触れて、少しでもなにかと戦える1歩になれば良いなという思いがある。それが、今はより強くなっている気がしますね。
──ダウトを好きでいてくれる方への深い愛情があることで、魅力的な歌詞になっていることが分かります。『極∀道』の音楽性の面では、激しさや勢いなどとエモさを併せ持った曲が多いことが印象的です。
威吹
なるほど。それは、どの楽曲で感じました?
──「かぐやノすゝめ」や「氷点華」「あさきゆめみ史」「夜光蝶」などです。とはいえ、全体的にオシャレといいますか、洗練感がありませんか?
威吹
ダウトはメンバー全員がメロディーのキャッチーさということはすごく重視していているというのが、まずあって。あとは、それぞれの作曲者がやりたいこととダウトとして完成した時の相違みたいなものがあるんですよ。それが上手く作用して、おっしゃっていただけたようなものになっているんじゃないかなと思います。意外と期せずして作られたところもある。そこを狙ったわけじゃないけど、結果ダウトとしてそうなってしまうというのが毎回あるんです。
幸樹
うちのメンバーはダウトもありつつ各々が自分発信したり、サポートで他の現場に関わることが増えてきているんです。ダウトのメンバーは結構いろんなアーティストにサポートで呼ばれるんですよ。僕はサポートを選ぶボーカルという立場で、そうすると“この人とステージに立ちたい”という人を選びますよね。カッコ悪いプレイヤーとかには絶対に頼まないから、そういう意味では、ダウトの楽器陣全員がいろんな人にサポートして、サポートしてと言われるのは、ある意味嬉しいことですよね。で、それぞれサポートの現場で得られるものがあって、それがダウトにいい作用を及ぼしているという面もあると思います。
音源では感じなかったドラマをライブでは感じています(威吹)
──良い状態といえますね。そして、8月8日に『極∀道』をリリースした後、ダウトは8月15日から<ダウト自作自演単独公演TOUR’24「極∀道-亀編-」>と銘打ったツアーをスタートさせました。
幸樹
8月から9月にかけて“亀編”をやって、今は2本目の“鶴編”が始まったところです(取材日は’24年12月3日)。今までのアルバム・ツアーは“ガァーッ”と一気にまわって作りあげていくというスタイルでしたが、今回2本に分けました。その理由を包み隠さず言うと、昨今のライブハウス争奪戦に負けたんです。それで、じゃあどうしようかとなった時に土日は完全に埋まっていたけど、金曜日は全部空いていたので、“華金ツアー”にしましょうということになった。ただ、前までは土日に2デイズで“ガーン!”とやっていたのが週1となると、その良さを打ち出さないなといけないなというのがあって、1本1本により集中してライブをして、“こういうライブだった。もっと、ああすれば良かった”といったことを考える時間を増やしましょうということにしました。
──土日のライブハウスがブッキングできない状況に屈することなく、新しいことに挑戦されたんですね。
幸樹
そう。でも、それが良かったですね。週1ライブを初めてやってみてわかったのが、本当に1本1本に100パーセントを投じられるんです。体力面ですよね、特に。メンタル的には2デイズでも同じ熱量で臨むけど、少なからず2日目は疲れているわけですよ。今回は全くクリアーな状態で毎回臨むことができて、それがめっちゃデカかった。2日目のライブが終わったら、僕はもう廃人ですから(笑)。そこまで消耗することなく次のライブに挑めるんですよね。
威吹
週1ライブということもそうですし、“亀編”を終えた後少し間を空けて、また同じツアーをするというのも初めてのことです。期間が空くことによってやっぱり趣も変わるし、週1の良さと週2の良さの両方を知ることができたというのもあって。週に1回ライブというのは新鮮でしたし、自分のプレイ・スタイルを考える時間も週2の時よりも多くて、そこはすごく良かったなと思います。
──キャリアを積んできたうえで、また新たな気づきがあるというのは素晴らしいことです。『極∀道』をライブで演奏して感じたことなども話していただけますか。
威吹
ライブで演奏して、ストーリーがあるなと思いました。本編はアルバムの曲順どおりのライブをしているんですけど、音源では感じなかったドラマをライブでは感じています。起承転結もあって、良いライブを見せることができているんじゃないかなと思いますね。
幸樹
アルバムのツアーと、たとえば周年とかのツアーというのは根本の伝え方が違うんですよね。周年の時は“周年を迎えることができて、ありがとう”ということになるけど、アルバムはまずそのアルバムの世界観をどう忠実に表現するかということが1番になる。だから、本編はあまり喋らないし、アルバムの絵が見えるようにするので、アッという間です。それに、僕らは『極∀道』という演目として公演するので、出だしは打木を“カンカンカンカン!”と生で鳴らして、その後幕が開いて、最終的に終わるのも“カンカンカンカン!”と打木が鳴って幕が降りて、音楽が“バーン!”と流れて締めるという構成になっているんです。そうやって、歌舞伎とか、大衆演劇みたいな演目として今回はライブをしました。そこの緊張感を持ちながらやっているので、お客さんをノセないと、楽しませないと…というようなことからは1歩距離が遠いけど、その分息を呑む瞬間が何度もあったり、ファンの子が考える時間のあるライブになっています。僕は考える時間があるというのは大事なことだと思っていて、たとえば「いけるか!」とか言うと条件反射で声を出すけど、それだとファンの子が耳に入れて“自分はいけるのかな?いけないのかな?”と考えて声を出すという選択肢はないじゃないですか。そうじゃなくて、その人が僕の言葉を入れたことで頭をまわして自分の中の答えを出すというのが僕は好きなんです。それで、“シーン”となる時もあるけど、それが考えているということだから、そういう意味では『極∀道』ツアーは小手先とか、言葉とか、盛り上げようとしたりすることなく、ダウト本来の強みをより見せつけられているかなと思います。
──静かになってしまうことを恐れない辺り、どういうライブを見せたいのかが非常に明確なことがわかります。