自分たちにとっての最高の喜びの時間にしようということだったんですが、思う存分、楽しませていただきました。昔の仲間と共演できたのが最高でした。二十何年ぶりに一緒にやるミュージシャンもいたんですが、感触はしっかり覚えていたんですよ。
スケジュールを調整して集まっていただいて、うれしかったですし、ありがたかったです。
僕らがかつて聴いてきた70年代のメロディを意識して作りました。バカラック・サウンドに代表されるように、70年代はメロディの宝庫だったと思うんですよ。80年代になって、コンピューターの登場により、音楽の作り方そのものが変わってきましたが、70年代は人間のなせる技が最高に発揮されている時代でした。その感覚で作ってみたかったんです。70年代の頃は1度レコーディングしたら、やり直しができなかったじゃないですか。スタジオを取り直すところから始めなければいけなかった。今は簡単に編集で差し替えられますが、人間の声って翌日になると違うので、一部分だけ変えると、「てにをは」だけが違って聴こえたりする。70年代の感覚をイメージして、妥協のないメロディと妥協のないボーカル録りにこだわって作りました。
実は7年ぐらい前に作った曲なんですよ。それからアルバムを3枚出していますが、その中には入りませんでした。
ただ単に入らなかったんです(笑)。
入らない理由はあったんですが、その理由を取っ払ってしまえば、いつでも入れることはできたんですよ。実際に歌ってみると、これはシングルにするしかない曲だなと思ったので、今年2月の時点でシングルで行くと決めました。ヒット曲を出したいとか、そういうことではなくて、長く聴いてもらいたい曲になったので、「歌になりたい」がそうであったようにシングルにしました。今回、ミュージックビデオに尾野真千子さんが出演してくれまして。彼女の演技が素晴らしいんですよ。ヒット曲を出すために利用しているのではなくて、みなさんに紹介したいビデオになりました。
あそこ、いいですよね。というか、尾野真千子はすごいわって思いました(笑)。
撮影はあの日しかなかったという感じですね。いつものとおり撮影が終わったら、雨が降ってきました(笑)。
「笑って歩こうよ」に関してはもちろんヒットするに越したことはないんですが、たくさんの人の耳に触れて、存在を知って欲しいというのが素直な気持ちです。
やはり70年代サウンドを目指したことがきっかけですよね。メロディが歌詞を呼ぶところがあって。そういう流れで出てきた言葉なので、大きなメッセージを込めようとか、そういうことは考えていなかったです。寄り添っている歌と感じてもらえたのだとしたら、きっとコロナ禍によって、誰もがやられているからなんじゃないでしょうか。人類はみんな、やられているじゃないですか。そんな中で強がりでもいいから、「笑って歩こうよ」という言葉を口にすることが何かのきっかけになるかもしれないですし。
希望だけはどんな時も忘れてはいけないと思っているんですよ。どんなことがあっても、希望だけは失ってはいけないものですから。
実はダブルじゃなくて4つなんですよ。ダブルで歌ったものを新しいエフェクターを使って4本にしてある。さらに下ハモもダブルを4つにしてある。8本でひとつの歌になっています。普通だったら、ここまで重ねると深みが出ても、言葉はわかりずらくなってしまうんですが、重なりすぎないようにわずかにずらしいているので、よく聴き取れるんだと思います。