GAKU-MCの20年。それは一人のラッパーが、過去の栄光を脱ぎ捨て、「ギターを持ったラッパー」という新境地にトライし、時にサッカー・ボールを蹴りながら、オリジナルな「ラップという生き方」を実践してゆく、最高のテキストだ。ウカスカジーとしての新作『金色BITTER』と、夏のツアーの興奮さめやらぬ今、GAKU-MCの次のターゲットは、キャンピングカーに乗って全国を巡る、20周年記念Anniversary Live Tour“ハタチ旅”。新たな挑戦に胸躍る日々の中、いつみても波瀾万丈な20年間のメモリーと、記念ツアーへの意気込みを、東京・豊洲にあるGAKU-MCのホーム・グラウンド、MIFAのカフェにて、たっぷりと語ってもらった。
──ソロ・デビュー20周年おめでとうございます。
ありがとうございます。気が付けばハタチです。
──最初のリリースは、アンティノスでしたね。今はなき、ソニー系列のレーベル。
そうでした。あの会社が面白かったのは、一ジャンル一アーティストで、モッズさんがいて、フラカンさんがいて、僕がいて、西川(貴教)くんがいて、全然違ったんですね。だからこそ、みんないい距離感を保ちつつリスペクトしあっていた、というところはあるかもしれない。当時は深い話はあまりしなかったですけど、たまに会うと「そっちの音楽って、どうやって作ってるの?」とか、聞いたりして。
──その頃のガクさんって、どんなライブ形態でした?
基本的には打ち込みではなく、ドラム、ベース、ギター、手ぶらの僕、という形が多かったです。その時のギターの人と、いつも曲作りをしていて、ソロのプロジェクトが始まったんですけど、2枚目を作り終わった頃に、ギターの人もいろんなプロジェクトがあって、僕は僕で、その人がいないと曲作りが始まらないもどかしさをいつも感じていて。「今日作りたいんですけど、行っていいですか?」「今日はダメだわ」「(またか…)」みたいな。
──うーん。それはかなりストレス。
そんな時に、サッカーをずっと一緒にやっていた桜井(和寿)と、「手を出すな」という曲を作っていまして。2枚目が終わった頃に作り始めて、発売まで2年ぐらいかかってるんですけど、その発売日に、「この曲はきっと俺に小金をもたらすぞ」と。さあ、車を買うか、どうするか?と考えた時に、「ギターを買おう」と。それはきっと、俺に新しい扉を開けてくれる。そう思って、渋谷のハートマン・ギターズでギターを買った。そこから僕のギター人生が、2006年5月31日に始まりました。
──それはメモリアルな。
ちなみに、MIFA設立の日、2012年12月12日にも、僕はギターを買いました。「きっとこれは、僕に何かを与えてくれるのではないか?」と思って、初めてのエレキ・ギターを。そのギターは、全然使ってないですけど(笑)。
──最初のアコースティック・ギターは今も?
ずっとメインで使ってます。何回も修理して、ピックアップも一個から二個に変えて。「ガクさん、そのヴィンテージ・ギター、すごくいい風合いですね」って言われるんですけど、「新品だったのがボロくなっただけです」って(笑)。
──大事な相棒ですね。
今は、2時間近い弾き語りライブもやれるようになって、逆に、手ぶらのライブがこそばゆいです。ウカスカジーは、ほぼギターを弾かないので、だからすごく自由度が高いんですけど、「そうだ、昔はこうだったな」って思いますね。でもギターを始めて良かったと思うのは、それまで、ミュージシャンとのやり取りの中で、ミュージシャン用語に付いていけてない自分がいて。譜面の話とか、コードの話とか、自分のプロジェクトなのに、ちゃんとした議論に参加できてなかったので。それじゃいけないということを、ギターが教えてくれました。