──その後、地方でもホールでやるようになっていくわけですが、他のホールを経験した後でまた渋公でやると、渋公に対する印象が変わったりしたことはありますか。
まずアマチュア時代は地方でライブをやったことがなかったので、東京以外はライブ会場に馴染みがないというか、名前もよく知らなかったので、最初のどこでやっても印象は違わないというか、あまり際立った印象はなくて、そういう意味でもやっぱり渋公は特別でしたね。ただ、ひとつ憶えているのは、『FIRE DOG』というアルバムのツアーのときに渋公が取れなくて、東京は厚生年金になったんですけど、最初にそのことを聞いたとき「なんで渋公じゃないの?」と聞いたくらいで、やっぱりホールは渋公がいいなと思ってましたね。
──それで、実際に東京厚生年金会館でやってみて、その印象はいかがでしたか。
正直に言って、音は厚年のほうがいいと思いましたよ。サンプラザもそうですよね。ステージ上での音の環境とかそういう部分でのやりやすさということで言えば、厚年やサンプラザのほうがいいと思いますけど、でも渋公はそもそも会場に馴染みがあるということもあるし、空間的にコンパクトな感じがやりやすく感じるんですよ。一体感が生まれやすそうだなと最初から思える感じでしたから。サンプラザなんて、2階の奥になるとけっこう遠いから、“あそこまで伝えないと”と思うとけっこうヘトヘトになるんですけど、渋公はそのへんがちょうどいいんですよ。
──ライブは直接お客さんと向き合う現場だから、単純に音響的なことだけでなく、客席から受ける感触みたいなこともライブ会場としては重要なポイントになるわけですね。
そうなんです。お客さんの反応がすぐわかって、盛り上がってるなということを肌で感じられたりするというのが渋公のいいところで、そのへんでライブハウスっぽいと感じるのかもしれないですね。ホールなんだけど、お客さんの反応がダイレクトにわかるというところが。そういう意味で、すごくいいコヤ(会館)なんですよね。
──ちなみに、自分が出演するようになってから、誰かのライブを渋公でご覧になったことはありますか。
タイマーズを見ました。そのときは、ステージの後ろの緞帳とか全部上げて、コンクリートの壁が剥きだしになってて、「安全第一」とか「禁煙」の看板も見えるような状態にして、それをセットに見立ててライブをやったんですよ。だから、ステージにすごく奥行きがあって、その手前で演奏してたのをすごくよく憶えてます。それで、確かそのときに初めて楽屋で清志郎さんにお会いして…。
──タイマーズのあのボーカルの方は清志郎さんじゃないと言われてましたが(笑)。
そうでしたね(笑)。当時はサリン事件が騒ぎになってたときで、タイマーズの「ばらまけサリン」という曲があるんですけど、「そりゃあ、まずいだろう」とか言いながら「ばらまけプリン」という曲にしてやってましたね(笑)。“そりゃ、ベトベトだろ”と思って、見てましたが。
──すごく印象深いライブだったんですね。
そうですね。それから、何を見たかなあ…。(エルヴィス・)コステロも見ましたね。ただ、俺が開演時間を間違えてて、着いたら2曲くらいで終わっちゃったんですけど(笑)。けっこういい席で、すぐそこで歌ってるような感じだったんですけど、でもすぐ終わっちゃったっていう…。
──そういう残念な思い出もある渋谷公会堂ですが(笑)、2019年には復活予定です。“新しい渋公”に何か望むことはありますか。
あまりデカくしないでほしいというか、前のこじんまりとした感じでやれるような、ライブハウスみたいな気配を感じるコヤだったらいいなということは思いますね。地方に行ったりすると、そういうライブハウスとホールの中間っぽい感じの古いコヤがたまにあるんですよ。ステージから見たときに、扇を広げたような感じじゃなくて、1階の奥にずーっと長くて、それでその奥に行くほどせり上がっていって、その延長に2階がちょっとだけある、みたいな。そういう感じが個人的にはやりやすいですよね。椅子席はあるんだけど、空間の感じはライブハウスみたいっていう。座っても見られるんだけど、立ったら立ったであまりホールを感じさせないような、そういうコヤになってくれるとうれしいなと思いますね。