開演前の客席で缶ビールを飲み交わす中年男性のグループがいるのを見てなるほどと思い、さらには極彩色のバルーンをあしらったステージ・セットにも納得した。やはり、今日はいつもの矢野顕子コンサートとはちょっと違って、忌野清志郎的な何かが会場を確かに漂っている。
“矢野顕子、忌野清志郎を歌う”ツアー、その2日目のステージである。
忌野清志郎というと、どうしても思い出すことがある。彼が病を得て活動をいったん休止し、しかし見事に回復して武道館で復活ライブを行う直前に、僕はインタビューする機会を得た。その病で声が奪われる危険があったということも聞いていたし、それでなくてもライブどころか普通の生活に戻ることさえ奇跡的だという話だったので、僕は無礼を承知で「復帰しても、歌うのは止めてソングライティングに専念するというようなことは考えなかったか?」と聞いてみた。すると清志郎は、例のちょっとはにかむような調子で、「そういうことも考えたけど、でも僕の曲は僕がいちばんうまく歌えるから、やっぱり歌わないわけにはいかない」と答えたのだった。その答えに、シンガーとしての強い自負を感じ取る人もいるだろうが、僕はそれと同じくらい清志郎の自分が作る曲に対する並外れた自信と愛情を感じた。そう。「忌野清志郎」とは、まず素晴らしいソングライターだったのだ。清志郎自身がそのことをとても重要だと感じていたのは間違いないけれど、矢野顕子が彼の曲に向ける敬意と愛情の深さは清志郎自身の思いに勝るとも劣らないものだろう。だからこそ、この果敢な企画は実現したのだと思う。
果たせるかな、ステージは圧倒的だった。矢野は、いつになくソウルフルにシャウトし、彼女のピアノはいつにも増してドライブしていった。そのソウル度増量分やドライブ感増長分はもちろん清志郎楽曲が引き起こしたものだろう。プレイヤーが楽曲にいのちを吹き込み、その楽曲がプレイヤーにエネルギーを与える。おかげでプレイヤーの演奏はさらに高揚し、だから楽曲のいのちはいっそう輝きを増す。それは、楽曲をプレイヤーが演奏するという関係性を超えて、敢えて言えば”矢野顕子、忌野清志郎と歌う”と思わせるほどの濃密な音楽的コミュニケーションを感じさせてくれた。
ステージ後半には、アルバムにも参加したMATOKKU(テルミン、オンド・マルトノ、ピアノによる変則ユニット)との共演で、よりイマジナブルな清志郎解釈も披露。さらには矢野自身の新曲も聴かせて、音楽のふくよかさを堪能することになった。その幸福感は、矢野コンサートにあってはお馴染みの感覚だが、ただこの日のコンサートがいつも以上に印象的だったのは、「音楽への愛は音楽でこそ表現される」という真理を、矢野と、そして清志郎があらためて感じさせてくれたからだろう。その特別な幸福感も、例えば♪恩赦ON MY MIND♪なんて口ずさんだりしながら音楽で伝えたくなる、そんなステージだった。
SET LIST
INFORMATION
NEW ALBUM 「矢野顕子、忌野清志郎を歌う」
(YAMAHA MUSIC COMMUNICATIONS)
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矢野顕子 オフィシャルサイト
矢野顕子(2013.5月 Live Report)