永積崇の原風景とは?
編集部:永積さんにとっての原風景を教えてください!
三多摩地区
僕の原風景っていうとやっぱり三多摩地区かな。あのへんはなんせ畑が多かった。本当に田舎だったなって思うもん。中学生になっても、畑の中でチャリンコ乗り回して遊んでましたからね。「台風に向かって走ろうぜー!」とか言いながら(笑)。そういう原風景だった場所が、いい感じに古びてきてるのがまたよくて。やっぱり風景や街並みも年を取るんだなって。なんてことない近所の、俺が住んでた頃の後に建ったような新築の家なんかも、よく見ると古ぼけてきてて。わぁ、町が年を取ってんだぁ?って気づく。それがちょっと切ない部分もある半分、同じように時間が経ってることの安心感もあって。新しいものばっかり見てると、自分もずっと新しくいなければいけないみたいな強迫観念があるけど、自分より古いものとか、自分と同じように年を重ねてきたものの時間の経過を見ると、安心感がある。 たとえば立石あたりの古い酒場に行きたくなる感覚も、長い歴史の中に居座れてるよろこびとか、寄ってけよってウェルカムされる感覚。そういうものを必要に欲しがってきてるのかな。もちろん地元もあるし、小さい頃から長野のほうに行ってたから、たまに長野に行くと、小さい頃に見てた木が見上げるようになってたり。そういうことだけでも安心するっていうか。自然に囲まれるありがたみもあるけど、ふと街中で見慣れていた木が、久々に見たらでっかくなってるってだけでもさ、変わらずそこにあることの、何かを支えてくれるような力ってあると思うんだよね。 何年かぶりに婆さんの家に帰ったりすると、昔の記憶をもとにそこらへんを歩いたりしちゃうよね。そうすると声が聞こえるっていうかさ。ここ泣きながら歩いたな、とかね。何も変わってないようでいて、ちゃんと変わってる。長い時間をかけて深まることってたくさんある。それは全部言葉にも関わってくることだと思うけど。だから年を重ねることって大切だと思うんだよね。
編集部:永積さんの日々の視点や心の機微に少しだけ触れられたような、 素敵なお話を伺うことが出来ました。 永積さん、ありがとうございました!