以上、オフィシャルレポでした。では、そこに書かなかったやつで、私が観て考えたこと。
「ニューアルバムをひっさげて」のそのニューアルバムが、ツアー前半とは違う、つまり軸になるアルバムが違うんだから当然っちゃあ当然なんだけど、本当にまったく新しいツアーになっている、まずそのこと自体にびっくりした。
言うても1本のツアーなんだから、もうちょっと『UC100V』の色を残すとか、「メドレー」は同じにするとかしても、観に来る人、誰もがっかりしないだろう。なのにここまで変えるか!と言いたくなるくらい……いや、変えるというよりも、0から作り直したといった方が近いツアーになっていた。
なんでここまでやる?100周年だから?普通にやってたんじゃおもしろくないから?まだやったことのないことを探したから?
どれも正解なんだろうけど、もうひとつ、観ていて「あっ」と気がついたことがある。
ユニコーンがデビューして人気者になっていった、1990年前後のバンドブームの頃って、年に2枚アルバムを出すバンド、めずらしくなかったのです。むしろ普通だったのです、ペースとしては。年に2回リリースして、年に2回ツアーをやるという。みんなが1年に1枚、もしくはそれ以上のインターバルをとるようになったのは、92~93年くらいからだった。
たとえばスピッツ。ファースト『スピッツ』は1991年3月25日、セカンド『名前をつけてやる』は1991年11月25日、ミニアルバム『オーロラになれなかった人のために』は1992年4月25日、サード『惑星のかけら』は1992年9月26日。で、4枚目の『Crispy!』が1993年9月26日、5枚目の『空の飛び方』が1994年9月21日、と、1年に1枚ペースになっていく。ね?
という当時の活動ペースに、今になってトライしてみようとしたのではないか、ユニコーンは。2019年の活動に『働き方改楽』なんてコピーを付けておきながら、自分たちがもっとも大車輪で働いていた、90年前後の頃の方式に今一度挑んでみよう、せっかくの「100周年」なんだから。ということなのではないか。
そうか。なるほど。と思いながら、念のため、当時のリリース・ペースを調べてみました。
力いっぱい間違いでした。ファースト『BOOM』が1987年10月21日、セカンド『PANIC ATTACK』が1988年7月21日、サード『服部』が1989年6月21日、4枚目『ケダモノの嵐』が1990年10月1日……年に1枚ペースじゃないか、最初から。『ケダモノの嵐』のあとに1ヵ月おきにミニアルバムを2枚出す、という、どうかしていることも行っていたが。でも、5枚目の『ヒゲとボイン』(1991年9月30日)とラストの『SPRINGMAN』の間なんて、1年8ヵ月も空いてるし。
ただ、そういう意味では、本当に「まだやったことのないこと」にトライしたかったのかもしれません、2019年は。復活後にアルバム『Z』の3ヵ月後にミニアルバム『ZⅡ』をリリースするということもやっていたけど(2011年)、あれは『Z』に入らなかった曲をまとめた感じであって、今回みたいに新しく曲を書くところから始めたわけではなかったし。
ともあれ、最年長が今年60歳、最年少が今年53歳のバンドの活動としては、そしてベテランなだけではなくてあきらかに大物である人たちのやっていることとしては、かなりだよなあ、これ。と、改めて感じ入ったのだった。
これ以降も何度か観る予定です、このツアー。