やっぱり成長するタイミングだったんじゃないですか。泰行の書く曲も、『アルカディア』があれば『サイレンの歌』みたいな曲もあって、彼のソングライティングも変わったのかな、わからないけど。負荷がかかると成長するって言いますもんね、何事も(笑)。でも、とにかく常に悩みながら作ってるという感じはずっと続いていましたね。当時、10万枚ぐらい売れたいっていう願いがあって。10万枚売れるとセルアウトしたかんじもしないし、アーティストとしてちゃんとした活動も丁寧にできるようなイメージがあった。お金をちゃんとかけてレコーディングやライヴができて、なおかつ好きなものを作れるラインが10万枚かな、みたいな。誰を見て言ってるんだって話なんですけど(笑)。でも、10万枚に達することなんてなくて、いつもせっつかれる感じで、焦りながら作っていましたね、その頃は。
うん、そうかもしれないですね。でも、とにかく常に悩みながら作っているって感じが続いていましたね。結果的に好きに作っているんですけど、常に晴れ晴れしい気持ちで作っている感じはまったくなかった、その頃は。今もそうかもしれないけれど。
東芝EMIに移籍しての最初のレコーディングがユーミンの「曇り空」だったんです。当時打ち込みが好きになっていて、全然ユーミンぽくないポスト・ロックみたいなアレンジでやって。ピチカートの「陽の当たる大通り」は、ジャズっぽいコーラスを重ねたり。これはいうまく行ったなと思ったし、小西さんにも喜んでいただけたみたいです。あと、はっぴいえんどの「夏なんです」もポスト・ロックみたいな感じで作り始めたんですけど、なんか最終的にはスティーヴ・ガッドみたくなった。たまに聴き返すと、これはこれでかっこいいトラックだなと思うんですけど。
あったんじゃないですかね。セールス的なこととは別に、ダサい存在になっていくんじゃないかっていう怖さを当時抱いていた。数年前の言葉で言うと、オワコン。ポスト渋谷系みたいなのが出て来て、「エイリアンズ」でちょっと注目されて、そのあとそんなにセールスも伸びなかった。そして、そういうポスト渋谷系みたいな音楽も下火になりつつあった。まだボーダー着てんの? みたいな風潮になりかねないなって。今またボーダー流行ってるけれど、当時は一回しまいましたからね(笑)。キリンジの存在をかっこよくしたいということではなく、キリンジを聴いているのをダサいって言われないようにしたいっていう気持ちの方が強かった。まだキリンジなんて聴いてんの? みたいな風にはなりたくなかった。次の世代の人たちも出てくるし、正念場でもありましたね。
泰行のパートにも千ヶ崎くんと楠さんが参加するんですよ。ふたりは出ずっぱりで大変だろうな(笑)。気持ちとしては、今のKIRINJIを見て欲しいっていう気持ちのほうが僕は強いけれど、お客さんは兄弟が5年ぶりに共演することへの期待が高いのもわかっています。同窓会みたいな雰囲気にもなるそんなアーリーキリンジのコーナーもありますけど、今の堀込泰行、今のKIRINJIをそれ以上に楽しんでもらえるようなステージを見せたいですね。
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