──83年のTHE BIG GIGは『GOLD』というアルバムがリリースされた直後に行われたわけですが、今回はその『GOLD』のリマスタリング盤も含めた『THE NEW YORK BOX』というボックス・セットが直前の6月29日にリリースされました。
甲斐 ボブ・クリアマウンテンがミックスを手がけた『虜-TORIKO』『GOLD』『ラヴ・マイナス・ゼロ』は巨匠・ボブ・ラディックがリマスタリングしてくれて、ジェーソン・コルサロがミックスを担当した3作はいま本当にノッてるロンドンのマスタリング・チームがやってくれました。それに、レア・テイクを集めたボーナス・ディスクと1989年にアポロ・シアターでやったライブ映像の初DVD化ということで、計8枚のボックス・セットになります。萩原健太が3時間半におよぶロング・インタビューをまとめたライナーノーツと全100ページのブックレットも収めたすごいボリュームなんですが、ニューヨークにずっと行ってたほぼ10年近い歴史がまとめられているので、ちょうどいいタイミングのリリースになりましたね。
──さて、83年の8月7日は暑さが過ぎるほどの晴天だったわけですが、今回も甲斐バンドの場合は天気は心配ないですよね。
甲斐 そうだと思います。雨に降られたことはないですからね(笑)。野外ということで83年のときにはチケットを取れなかった人が京王プラザホテルの部屋から窓越しに見るとか、いろんな伝手をたどって周りの高層ビルのオフィスの窓から見たり、ということがあったんです。今回も、あっという間にソールドアウトしちゃうでしょうから、手に入れられなかった人はどうするかなあというのは気になりますけど。個人的には、日比谷公園の中のレストランでカレーを食べながら、音だけを聴くというのをおススメします(笑)。で、晴れてチケットを手に入れられた方は、あの爽快なロケーションも含めて、ライブを心ゆくまで楽しんでもらえたらと思います。
1983年8月7日「THE BIG GIG」EVENT DATA
テキスト:音楽専科社 ARENA37℃ 1983年10月号より引用
写真:ファンクラブ会報「BEATNIK」1983年9月号より転載
●有料入場者数;22,000人
●両側の歩道から見てたタダ見の人:2,000人
●総制作費:5,000万円以上
●都有5号地:広さ15,000平方メートル、1日の使用料約400万円×4日間使用
●スタッフ総人数:1,000人
●警官:30人
●缶ジュース売り上げ:約1万本/1,500万円
●徹夜組:200人
●開場の14時に1万人が並んでいた(開演は18時半)
●当日のスタッフ昼食:600円の弁当×900食(メンバーはもう少し高い弁当だったが、なぜかみんな同じ弁当を食べた)
●スタッフの使った氷の量:200貫(つまり1トン!)
●ゴミの量:4トントラック2台に超満載で往復
●電源車:7台
●消火器:30本(使わずにすんだ)
●ステージセッティングの為のトラック台数:数えきれず
●苦情:1件のみ(赤ん坊が泣いたんだって!)
●傷害保険(楽器+観客)約30万円(当時は保険をかけるという概念がなかった)
●けが人:まったくなし!
●ツアーバス:15台(名古屋・大阪方面)
「バックステージこぼれ話」(ディスクガレージ 中西談)
警察だけでも50回以上行きました
基本的に、あの場所ではコンサートが出来ないと言う認識がありました。
あの場所でロックを演ろうとすると、あまりにも問題が多すぎたんです。
それをひとつずつクリアして行きました。
小さな不手際はいっぱいあったけど、いいコンサートが出来て、すごく良かったと思います。
救護室は京王プラザホテルのスイート・ルーム!!
運ばれた人は3人のみ。極上の接待をしました(笑)。使ったのは結局3時間くらい。誰も泊まらなかったんですよね。僕、泊まりたかった(笑)
トイレに行かない病!?
僕ら、トイレに行かない病っていうのにかかったんです。コンサートが終わってからみんなと話していて、“今日、トイレに行った?”、“いや、朝に行ったきりだ”って。みんな、汗で出ちゃったんですね。1人1日、だいたい麦茶を50杯くらい飲んでるんです。そんなに飲んでても、誰もトイレに行ってないんです。1人1日、10リットル飲んでて、トイレはゼロ(笑)