──映画の象徴的なシーンでもある親子の放浪の旅。だが原作では、わずか2,3行しか書かれてない。
山田最初にこのお話を頂いた時に橋本さんに言ったんです。「こんな複雑な話は映画になりませんよ」と。でも橋本さんが「ひとつだけ、突破口があるんだ」としおりを挟んだ文庫本を見せてくれ、そこには赤線が引いてある。清張さんの短い文章に。「親子のふたり旅、ここをちゃんと描くんだよ」と。僕はそのとき、あぁ原作というのはそういう風に読むんだなぁと思ったね。
本広橋本さんとは、どこかに籠って脚本を書かれたんですか?
山田当時、橋本さんが大きな和文タイプライターを持っていらしたので橋本さんの自宅で作業したのが多かったかな。橋本さんがタイプしたのを僕が手書きで清書して。ある日、橋本さんが「洋ちゃん、いいアイディアがあるんだよ!いったん打ち切られた捜査会議が再開され、刑事が口火を切る。と同時に和賀英良が指揮棒を振り下ろす」と一連の流れを話してくれて「どうだ!いいだろ?」と。これは急いで書かなきゃというときは橋本さんも手書きで、かなりのスピードで書いていったかな、2週間ぐらいで。あの時の橋本さんの「よしやるぞ!」っていう高揚感は横で見ていて、とても嬉しかったねぇ。いま僕は凄いものを見てるぞって。
山田橋本さんからは、ふたりの旅のシーンを思いつくまま書いてくれと言われ、僕も一生懸命考えました。小学校の校庭で運動している子どもたちをじっと見ているとか、橋の下で焚き火をしてお粥をすすっているとか、桜の木の下を歩いているときに、子どもたちに苛められて必死に抵抗したとか、色々書いてね。その中で採用されるものもあれば、採用されなかったのもあるんだけど。「よく書いてくれたよ、あれで助かったよ」と橋本さんに言われたのを憶えています。
本広あの親子の旅のところはオーケストラの音楽のみなんですよね。あれには、びっくりしました。凄く思い切ってますよね。セリフがない、パントマイムの芝居を見ているような。ブルーレイで見直して気が付いたんですが、秀夫少年の額の傷が、大人になった和賀英良にも、ちゃんとあるんですよね。細かいなぁと。
山田そうでしたか。実は、あの映画は脚本書き上げて、すぐに映画にはならなかったんです。予算がかかり過ぎるって。脚本は10年くらいお蔵入りしちゃったけど。その間に僕は監督になったので、あの映画が撮影に入った時は、助監督についていないんです。
──2人が脚本を書き上げてから10年以上の月日が流れ、映画は完成した。
山田噂には伝わってきました。野村(芳太郎)監督が撮影中から粘りを見せていて、凄い映画が出来上がりそうだって。試写を観て、シナリオのイメージは、いい意味で裏切られた。こんなにも膨らんで豊かなものになるんだなぁと。ワーグナーの音楽を聴いた時の痺れるような感動っていうのかな、役者の演技と音楽が一緒になって迫ってくるという見事な映画が出来上がったなと思いました。和賀英良が指揮をするラストの音楽には彼の色々な思いが込められているという。実験的ではあるけど、そういう構成が、たくさんある映画の中でも新しいものだったし、観客を驚かせたり、感動させたりしたんじゃないかな。橋本さんが、この作品は「文楽だな」と言っていた。人形(役者)の物語があって、浄瑠璃という音楽が加わっていく。音楽がね、時としてセリフに代わっていくんだよ、と。
──いよいよ再演が迫る『砂の器』シネマ・コンサート。昨年の初演も観た山田監督は。
山田映画とはまた違う迫りくる感動なんですよね。終わった後のあんなに長い観客の拍手ってなかなかないです。シネマ・コンサートにこんなにぴったりの作品はありません。
本広今度は僕も観に行きます!