インタビュアー:樋口尚文
撮影:有賀 誠文
ピアノと管弦楽のための《宿命》が演奏されるなか、遍路の父子が日本の四季を壮絶に旅する『砂の器』のクライマックス。そこでひとこともセリフが無いにもかかわらず、観客を感動の渦に巻き込んだのが少年・本浦秀夫に扮した子役の春田和秀さん。そもそもテレビや映画で売れっ子の子役だった春田さんだが、7歳から8歳にかけて撮影された『砂の器』はもちろん圧倒的な代表作。
若き日に俳優業から離れた春田さんは、ずっとこの映画の記憶を大切に大切に封印してきた。そして今回、公開から43年ぶりに初めて、熱烈なファンの皆様のために『砂の器』の思い出を語る!春田さんへの初ロングインタビューをはじめ、当時の子役たちに徹底取材した『「昭和」の子役 もうひとつの日本映画史』(国書刊行会/8月刊)の著者・樋口尚文の問いに春田さんが答える圧巻のスペシャル・インタビュー!
⇒インタビュー全文は「映画『砂の器』シネマ・コンサート」オフィシャルサイトにて
春田:加藤嘉さんと緒形拳さんには色んなことを教えていただいた
樋口:春田さん演じる秀夫少年の“目ヂカラ”がものすごい
樋口尚文 春田さんは子役として大変売れっ子でいらっしゃったのですけど、その当時は毎日どんなお忙しさだったんですか?
春田和秀 学校にはほとんど行けてなかったですね(笑)。
樋口 『砂の器』のお話が来た時、おいくつでしたっけ?
春田 たぶん7~8歳くらい。自分でも“超大作だ”という話は聞いていたんですが、実際に日本全国のロケ地を回る日数を考えると、まるまる1年近く、約10ヶ月も時間を費やしていて。
樋口 野村芳太郎監督は細々したことはおっしゃらないと聞きましたけど、どんな感じでしたか?
春田 さっさと撮影を済ますテイクももちろんあったと思うんですけど、肝心な時には人が集まって話してるのをよく見てたので。その中での意見交換は、僕らには聞こえてこないんですが、その熱い伝達を受けてイメージを感じ取って。ただし(自分の役には)セリフの表現が全然ないんです、言葉で発するものがないですから、感情で出していく部分を何回も何回も。「もう1回!」ってくり返し撮ったところは、結構あった気がしますね。だからすごく良いシーンが撮れるんでしょうね、きっと。
樋口 なかなか思い出しにくいかもしれないですが、特にそういうやり取りを覚えてらっしゃるシーンはありますか?
春田 駐在さん(浜村純)に崖から落とされるシーン、あれは相当な回数落ちたんですよ。下にマットがあって、スタッフさんが抱えてくれて。
樋口 崖の上にいる浜村純さんを睨む(秀夫の)眼力というか“目ヂカラ”がものすごくて。あれはそういう指示か何かがあったんですか?
春田 表情的にはあれが一番いい形で出てると思うんですが、やっぱり何回も撮ってましたね。僕もそんなに演技が巧くなかったんで、本当にご迷惑をおかけしてたんじゃないかなって……。
樋口 あの、上をキッと見る秀夫の目はスゴいと思いますよ。と言いながら実は、春田さん演じる本浦秀夫が出てくるのは後半の40分くらいだけ。しかも、あらゆる共演者の中で、ほぼ加藤嘉さんと緒形拳さんしかご一緒されてないですよね? まず最初のほうの竜飛崎、ものすごく寒そうですけど思い出的には?
春田 子どもながらに「死ぬほど寒い」っていう(笑)。そう感じた中で、加藤嘉さんがずっと抱きしめてくれてたんですね。まあ、携帯カイロみたいな感じだと思うんですけど。
樋口 春田さんで暖を取ってたと(笑)。
春田 緒形さんは、とにかく色んなことを教えていただくことが多かったですかね。例えば、駐在所にあった電話。僕そういうモノにも興味があって、機械的なものが。良くじゃれて遊んでいて「喋ってみなよ」みたいな。あとは、頭を刈っていただくシーン、あれは本当に刈ってたんです。
樋口 では本浦千代吉(加藤嘉さん)はどうですか?
春田 カイロ代わりになってたっていうことと(笑)、あとは色々と声をかけていただきましたね。一緒にいるときは隙間なく傍にいてくれました。(演技の)アドバイスも一杯いただきましたので、それは子どもながらにすごくありがたいなぁと。
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