インタビュー/フジジュン
PHOTO/横井明彦
4本の作品で構成された“オムニバス公演”、それらを繋ぐ仕掛けも!
──今回、2002年に初演された「WHAT A WONDERFUL LIFE!」の再演が上演されます。この脚本を書いた時、宅間さんはまだ30歳くらいだったんですよね?
そうですね。僕は本を書き始めたのが遅くて、30歳くらいだったんですが。それまで本を書きたいとか、脚本で何かを表現したいという気持ちもなくて、初めて脚本を書いた時も差し迫られて書いたという感じで……。97年に東京セレソンを旗揚げした時は、脚本や演出と出演は別々というスタイルでやっていて。キャストも作品ごとに、1週間のワークショップ・オーディションで決めるというやり方だったんですけど。そのワークショップのテキストを作るのに、経費的な問題もあって脚本家に頼めないというところで、自分で脚本を書いたのが一番最初で。30分くらいの話で7~8人が出演して、それぞれに魅せ場があるという、ワークショップ向けの作品を何本か作っていたんですが。実はそのうちの1本が、「WHAT A WONDERFUL LIFE!」の1話目なんです。だから、1話目と2話目は当時使っていたテキストそのままで、3話目は舞台化するに当たって少し書き換えたもの、4本目は舞台向けに新たに書いたものといった感じで。“オムニバス公演”と謳ってるんですけど、それを繋ぐ仕掛けがありますよ、というのが今作なんです。
──初演から14年。この作品を改めて振り返った時に感じたことはありました?
今まさに作ってる最中ですし、この作品は僕の中で特殊というか、例外みたいなところもあるんで、なんとも言えないところはあるんですが。作った時の気持ちに立ち返ることがあったり、何度か再演してきた中で見えてきた改善点も反映したいというのは思っています。あと、単純に初演の時から14歳、年を取っているので。演出する上で46歳の目線が正しいのか、作った当時の31歳の目線が正しいのか?どっちが良いのか判断出来ないところがあるんです。例えば25年後、70歳の僕が同じ作品を演出しているのが正しいとは言えないじゃないですか?だから、作品にとって、どっちの目線を大事にするのが一番良いのか?ということは考えることがありますね。
──今回、このタイミングで再演しようと思ったのは、何かキッカケがあったんですか?
幾つかあるんですけど、ひとつは自分の作品を何らかの形で残していきたいということで。出演者がたくさんいる作品なので、若い役者が毎年、キャストを変えて演るみたいなことにならないかな?と思っているんです。なので、今回は僕も出ますけど、来年以降は出演しないつもりでいるんです。アメリカで映画「素晴らしき哉、人生!」が毎年、クリスマスにテレビで放映されているように、年末になると「WHAT A WONDERFUL LIFE!」が公演されているみたいな感じになれば良いなと思っていて。まずはこういうことがやりたいんだというところで、楔を打つ意味でも僕が出演する必要があるなと思ったんです。もうひとつはウチの公演って毎回、必ずオーディションを行っているんですけど。あと一歩って人とか、毎年受けに来るけど、なかなかハマる役がないという人もいて。「オーディションに落ちて号泣した」とか、「落ちた芝居を見に来て悔しかった」とか、そういう話を聞くと、それぞれが強い想いを持ってオーディションに来てくれているんだなと思って。その熱い想いに答える何かはないか?と思った時、20数人も出演者がいて、色んなキャラクターが出演するこの作品がピッタリなんじゃないか?と。その両方の考えが合致したので、「WHAT A WONDERFUL LIFE!」を再演しようと思ったんです。
──今後は毎年年末になると誰かがこの作品を演出して、若い役者さんたちが演じて。宅間さんの手を借りることなく、再演され続けていくことがあるかもしれない?
それが理想です。まさに来年は、演出も変えようと思ってるくらいです。今、「純愛戯曲集」という僕の戯曲集が出ている影響もあると思うんですけど、大学のサークルや地方の劇団で結構、僕の作品を演じてくれているんです。それは作品として、すごく幸せなことだなと思ってるし、この作品もそうなったら良いなと思っています。
芝居を見たことがない人の敷居を下げていくキッカケにしたい