──それに加えてオリジナル曲を作って、初ライブをやって。そこから1年半後の2015年4月には、無料デモ音源「その夜を越えて」の5,000枚配布企画を開始しています。
高橋へぇ、そんなすぐだったんですね。あの時は何かしなきゃと焦ってたし、2年くらい真剣にやって、何もならかったら辞めようくらいの気持ちで。あの曲が出来た時も、「良い曲出来たから、使い方どうしようか?」みたいな感じでしたね。あとその間、死ぬほどライブもやってたんです。まだ、O-Crestとかは出てなくて、下北沢ERAとかでライブやってたんですけど。「日本語ロックと言えば、下北でしょう」くらいの安易な考えで、下北でライブをやってて。その後、O-Crestに出るようになって、室さんに出会って。そこから日本語ロックのバンドと一緒にやる機会が増えて、活動が加速していった感じだったし。それを経て出来たのが、「その夜を越えて」だったりして。初期衝動と自分たちのやりたかったことの間みたいな、ちょうど良いところがあの曲だったかも知れないです。
Yoshiそのデモを『ムロフェス』で配布したんだよね? その時って、オープニングアクトで出てたんだっけ?
高橋いや、なにも出てない(笑)。8月8日にCDを持って来たら、無料でライブが見れるって企画で。5,000枚配らなきゃいけないんだけど、7月の段階で2,500枚しか配れてなくて。室さんに許可もらって、出演もしてないのに『ムロフェス』でCD配って、残り50枚くらいまで配りきって。あれは奇跡でしたね、懐かしいな。
Yoshiいまの時代でYouTubeでその企画やってたら、バズってたかも知れないね。
高橋そうだね。ただ、当時はヒネクレてたから、YouTubeとかSNSが上手いヤツが嫌いで(笑)。いまはめちゃくちゃTikTokやってますけど、「足で稼いでなんぼ」みたいな考えでした。
──5,000枚配り切って、無料ライブをやって、やっぱりバンドを取り巻く状況はりました?
高橋配り始めた時から、「あ、無料配布CDの?」みたいに知ってくれてるお客さんやバンドマンが多かったし。俺たちの真似して、CD配るバンドマンがめっちゃ増えました(笑)。でもそこで認知もされたし、友達も増えたし、やった甲斐はありましたね。その後、前に所属してた事務所の社長に挨拶をした時も、「あぁ、5,000枚CDのバンドね」って知っててもらって。「いまの時代で無茶なことするなと思ったわ」って笑ってて。同じ事務所のグッドモーニングアメリカも知っててくれて、その後にコンピレーションアルバム『あっ、良い音楽ここにあります。』に入れてもらうんです。
──そういう草の根運動が大事ですよね。現在みたいなSNS時代になる前の足で稼ぐ最後の世代だ(笑)。実際、それが1stミニアルバム『声命力』(2017年)のリリースに繋がるわけでしょう?
高橋そうですね。グドモのコンピに入って、社長がライブに来てくれるようになって。なんやかんやあって、「一緒にやろうか」と言ってもらって、CDを出すようになりました。
──その頃、自身のライブスタイルには進化や変化はありました?
高橋いや~~、なんも考えてなかったですね(笑)。いま考えると、お客さんのことなんてなんも考えなくて。自分を爆発させるためにライブやってたんで、「そりゃ人気出ないわ」ってのも分かりますね。みんなは『生命力』を結構、評価してくれていたんですけど、ライブだけで考えるとまだまだでした。
──Yoshiさんはその頃からPOETASTERを観てたんですよね?
Yoshi僕は前身バンドのイメージが強すぎたんで、「声あげて」のMVを初めて観た時、「こういうバンド始めたんだ!」と思って。単純に曲も映像も良かったし、FIVE RAT RECORDSから出すことも聞いてたんで、「これは行ったな」と思いながら、山梨から見てました。ライブはツアーで山梨に来た時に観てて、自分のバンドで対バンしたんじゃないかな? その時、どんなライブだったのかは覚えてないんですけど。暗黒期時代のライブはよく覚えてて。「これはちゃんと話をしないとマズイ」と思って、ライブ後に「どうしたいの?」ってすごい話したのを覚えてます。
──でも、それってお客さんのことを全く考えずにライブをやってた頃と比べると、成長かも知れなくて。いつまでも初期衝動だけでやってられないってところで、バンドとして越えなきゃいけない壁だったのかも知れないですね。
高橋3枚目の『トロイメライ』(2018)を出したくらいかな? あの頃が一番暗黒期で。作品はすごく気に入ってるし、ライブでもやる曲があるし。あの頃の曲もすごく良いんですけど、「俺がやりたかったことって、これだったのかな?」みたいな迷いがあって。
Fuma-Zそれは俺も思ってました。いま聴くとすごい良い曲揃ってるんだけど、やってる時は疑問もありましたね。
高橋曲や内容というよりは、あの頃の考え方とか、ライブのテンション感だよね? 他のバンドを観てると、「いまこのバンドって、あの頃の俺らと同じタイミングだな」って思うことがあるんです。「ライブ感捨てて、歌に重きを置きにいってるな」とか、「良い曲攻めのバンドになろうとしてるな」とか。でも、それで結果を出してるバンドもいるんで、俺たちは単純にそうなれなかったんだって思うし。同じことやって結果出してるバンドみると、「すごいな」って見ちゃいますよね。だから当時、周りの人たちが、俺たちをこうしようと思ってくれてたんだなということも分かるんですよ。分かるけど……何て言うんだろ? そうじゃなくて良かったというか。
──いや、そこの葛藤はすごくよく分かりますよ。そこで周りが求めることと自分たちのやりたいことに折り合いが付いて、方向性がハッキリ見えてれば、そのまま前に進んでたかも知れないけど。
高橋そうですね。宇多田ヒカルが、「自分がやりたいことと大人に求められることを両方出来て、初めてプロだ」と言ってて。自分はまだなんでもないのに、その言葉が当時の僕に重く伸し掛かって。「じゃあ、自分のやりたいことって何なのか?」ってところも見失いかけてたので、そんなことが出来るわけ無かったんですけど。あの時はめちゃくちゃ悩んでましたね。
後日、後編で10周年記念サーキットイベント『DO SHOW & MORE NIGHT -10th Anniversary-』についてのインタビューを掲載します。
お楽しみに!
お楽しみに!