孝三の映像とSATOKOとのセッションのパートで、いかにお客さんをつかんで離さないかということですね。通常のコンサートでは、自分の歌のどこにピークを持ってくるかを逆算して構成するんですが、今回はトータルの景色も含めて、お客さんをつかみたいと考えていました。
毎回毎回SATOKOがボロボロ泣きながらドラムを叩いていて、その光景に僕も毎回やられながら歌っていましたから、そうした空気も含めて感じとってもらえる作品になったんじゃないかと思います。
SATOKOのドラムソロで、お客さんも感動していましたが、僕らも感動していたんですよ。あの独特の空気の中で「じゃんがじゃんがりん」では、気持ちの切り替えが出来ないと感じました。あの雰囲気に対抗できる曲が必要だったので、「なぜに君は帰らない」に変更しました。
僕たちは(コロナ禍によって)3年間我慢してきましたからね。もともとそういう思いから作った曲ですしね。「幸せの黄色い風船」は2020年9月11日に配信リリースしたのですが、リリース日に合わせて、全国で黄色い風船を飛ばそうという動きがあったんですよ。Twitterで、「私はこの風船を飛ばしました」「僕はこの風船を飛ばしました」「我々はこの風船を飛ばしました」というコメントが並んでいました。
「熱い想い」は6枚目のシングル曲だったのですが、歌っていても、古さを感じさせず成立する曲ですね。それはおそらく、流行りに合わせようとしていないからでしょうね。自分の音楽人生の中でも、流行りに合わせようとしたことが、まったくなかったわけではありません。そういう楽曲は完成はしていますが、今、歌おうとは思わないんですよ。「熱い想い」は流行りを意識せずに作った曲なので、今歌えるんだと思います。
お客さんに楽しんでもらいたいという一心ですよね。先日、光GENJIの35周年のライブを観に行ったんですよ。観るだけのつもりだったんですが、ステージにあげられてしまったので、歌ってきました(笑)。しかも、彼らは「ガラスの十代」を用意していた。“えっ! 聞いてないよ!”と思いましたが、一緒に歌ってきました(笑)。
「WALK」は、孝三がCHAGE and ASKAのレコーディングに初めて参加した、思い出深い曲でもあるので、いろいろなことが全部つながっていますね。
孝三とSATOKOの親子セッションのところでは、編集のやり直しをお願いしました。それぞれの演奏を交互に映すタイミング、遠くで映すタイミングがとても重要だと考えていたので、時間の許す限り、追求しました。いつか、思う存分の時間をかけて、“ASKA'Sカット”を作ってみたいくらいですね。
ツアー中ずっと、孝三は僕らと一緒にいましたね。今回のツアー、本当に楽しかったです。今どき、こんな人数でツアーを回るなんて、あり得ないですよ。移動・宿泊を考えただけでも、大変ですから。でも機会があったら、またこの全員で集まってやりたいです。
もともと福岡のイベントがきっかけでした。「シンフォニックコンサートをやってもらえないか」との話があり、僕にとって特別な場所である福岡から指名だったので、やらせていただくことにしました。その福岡のイベントとは、コンサートタイトルは違いますが、福岡開催がきっかけとなって、名古屋、西宮へと広がり、さらに東京でもやろうということになったのが経緯です。
子どもたちは、僕のことを知らないわけですよ。子どもたちのご両親や合唱団の指導者の方々は、僕らの音楽にふれた世代なので、喜んでくれていますね。
合唱団が入るのは「歌になりたい」だけなんですが、「歌になりたい」はもともと楳図かずおさんの『漂流教室』の世界観を歌にした作品なんですよ。なので、子どもたちと一緒に歌うことは、とても大きな意味があると感じています。
全部、後付けかもしれませんが、後からすべてがつながってくるというか。今回も流れの中で実現した共演なんですが、“そういえば、『漂流教室』につながるなあ”って気が付くという感じでした。狙ってやっているわけではなくて、つながってくるという感覚です。
栁澤さんとは初めてだったんですが、力強さ、繊細さを兼ね備えたうえに、華麗な指揮をされますよね。そして何よりも、僕がオーケストラの方をリスペクトするように、栁澤さんがボーカリストとしての僕を認めてくることが伝わってくるので、相乗効果が起こっていると感じています。とてもいい関係を築けたうえで、歌わせてもらっています。京都フィルハーモニー室内合奏団特別交響楽団の演奏で、歌う気持ちをさらに押してもらっていますね。
刺激をもらっていることは間違いないですよね。今後、何を思いつくかは、わかりませんが、思いついたことはどんどんやっていこうと考えています。2005年に初めてオーケストラと共演したときには、どのようなステージになるのか、僕も含めて、誰にも予想がつかなかったんですよ。でも、とてもいい化学変化が起こりました。そして、そのステージを観た方々の情報の拡散によって、いろいろなアーティストがやることになり、さらに垣根が低くなり、オーケストラの皆さんの感覚も変わってきたと思うんですよ。歌というリード楽器を受け入れて、演奏してくれるようになってきました。
もともとはクラシックの人たちから見ると、ポップスというのはアウトローなんですよ。クラシックとポップスでは歴史が違うでしょう。でも近年になって、クラシックとポップスを隔てていた間仕切りがなくなってきました。“今、自分たちは音楽で何をしたいんだろう”“お客さんを感動させたいよね”というところに、ミュージシャンの気持ちが向かっていると感じています。
今はミュージシャンたちが“自分たちにできる演奏に集中しよう”と心がけていることを強く感じます。個人的にも、ともかく思いついたことはなんでもやっていこうというスタンスになっています。自分の歌える時間があとどれくらいあるのか、わからないじゃないですか。やりたいと思ったことは、これまで以上に、積極的にやっていきます。