自信を持って断言できる。米倉 利紀は、歌も、ダンスも、観ているだけでも楽しめるソウルフルなエンタテインメントショーを、いつどのタイミングで観ようとも絶対なるクオリティーで提要してくれる唯一無二のソロシンガーである。そんな、観客満足度No.1といえる米倉が、最新アルバム『analog』を掲げ“analogな心”をコンセプトに全国18都市25公演を行なうニューツアー<sTYle72 inc. presents toshinori YONEKURA concert tour 2019 gotta crush on..... volume. twenty “analog”>が開幕。このツアーでも毎回人々を魅了するコンサートを繰り広げている米倉だが、じつは、子供の頃は人に注目されるのが苦手だったという。そんな彼が、その苦手を克服し、現在のライブスタイルが形成されるまでのストーリーを話してくれた。こちらは米倉さんのファン以外に、これから新生活、新しい環境で人生をスタートさせる人、さらには初対面での人付き合いが苦手だという人にもヒントとなる言葉がふんだんに盛り込まれたインタビューになっているので、そういう方々も読んでみてほしい。
──現在もツアー真っ最中ですが、本ツアーではダンサーさん2名が新しいメンバーになりました。そういうときはやはり、ステージでも緊張されたりするんですか?
実はこの “緊張しないんですか?”という質問をよくされるんですが、幼少期から人前に立つことに関して一回も緊張という経験をしたことがないんですよ。
──えっ、そうなんですか?
はい(微笑)。あまりにも聞かれるから自分なりに緊張って?と考えたことがあったんです。そうしたら、たぶん緊張してるんですよ(笑)。だけど、緊張していること無駄にしたくないと思っていることに気付きました。
──それはどういうことですか?
例えば、後輩が初ステージに立ったとき、うたい終えたあと「一生懸命やったんですけど、緊張し過ぎててなにも憶えてないです」なんていうことがあるんです。それ、僕の価値観でお話すると“すっごくもったいない”なと思うんですよ。人生初のステージは一生に一回しかない。その瞬間や気持ちを記憶できないなんて、もったいなすぎる。例えば恋愛もそう。初デートのとき、緊張してなにも憶えてないっていう人もいる。だけど、初デートのあの初々しさもたった一回しか味わえない。だからこそ一瞬一瞬、生かされていることを無駄にしない。僕のライブ感と同じですね。
──緊張よりも一瞬一瞬、生かされていることを無駄にしないという気持ちのほうが米倉さんの場合、ステージ上では優っているということですね。
そうですね。そういった想いでステージに立っているので、メンバーの表情、ダンサーの表情、お客さんの表情までも全て僕は鮮明に憶えているんですよね。そういった状況を自分なりに解釈すると、とても冷静に自分を客観視できているのかなと思ったら、実はそうではなくて。冷静どころかアドレナリンが出て超ハイテンションになっていることも記憶もあるんですよね。いゃ、それが冷静ってことなんですかね(笑)。
──つまり、客観的な目線と主観的な目線、その両方で見ているということ?
そうです。それが(ステージ上で)一瞬一瞬を無駄にしていないということかなと僕は思います。
──なるほど。米倉さんがそういう意識をもてるようになったきっかけは?
小さい頃からずっとこんな感じだったと思うんですよね。例えば、お正月に親戚一同が集まったとき、僕はみんなの話の中心になるのがとても苦手だったんです。大テーブルがあったら僕は絶対端っこに座って、父親と母親の影にそっと隠れて座っていたんです。みんなの話はしっかり聞いているけど僕には絶対になにも聞かないで、っていうタイプの子供だったんですよ。人と接することが大嫌いだったんです。
──ステージ上の米倉さんからは想像できないですけどね。
それをどうやって克服したのかなと今考えると、アメリカでの生活なんです。アメリカでの生活の中で彼らの文化に触れ、自分をイントロデュースする楽しさというのを実感したんでしょうね。
──アメリカで自分をイントロデュースすることが楽しいんだと思えるようになったきっかけは?
ここ最近、改めてそのことを自分の心のなかで思い返していたところなんです。アメリカの人付き合いって人を『干渉せずに気遣える文化』なんだと思うんです。干渉すると、その想いが嫉妬に変わってしまう。だけど、気遣いは優しさや愛情に変わるといういように。
──ああー。その哲学は米倉さんの歌詞にすごく表れていると思います。
そうですね。だから、例えば僕が仕事仲間やお友達、お付き合いする人に対して、必要な連絡がなかったりすると “(不満な気持ちを込めて)なにやってるんだろう”ってなる、それは干渉。それが“(心配そうな声で)大丈夫かな”だと気遣い、やさしさであるように。
──たしかに。すごくよく分かります。
その人との距離感をアメリカでの生活で得たときに、相手を気遣うためには、相手を知る前にまずは自分を知ってもらうことが大事だなと思ったんです。例えば、パーティーに行くとしますよね? アメリカだとまず自分のことを話すことが多いです。例えば“僕は日本人、歌をうたう仕事をしてる。今はアメリカで生活をしながら、日本に仕事をしに帰るという生活ペース。君は?”から会話が始まるんです。
──自己紹介が先にある文化なんですね。
そうですね。相手が安心して会話ができるように。安心材料としての気遣いをし合うという文化。
──ああー。それも気遣いなんですね。そういう文化に触れて、自分をイントロデュースすることが自然と身についていった訳ですか?
はい。僕が初めてアメリカに移り住んだのは19歳。その文化に慣れ、当たり前になった。日本の文化との違いを実感、体感していました。日本での出逢いは相手を質問攻めにすることが多い(笑)。
──いわれてみれば、そうですね。
自分のことはあまり話さない人が多い。例えばツアーメンバーと一緒にご飯に行ったとき、僕が中心になって話すことが多い。 “この間〇〇で初めて〇〇食べたんだけどめちゃくちゃ美味しかったよ”“コンビニで〇〇買ったらすごく美味しかった”“インスタで○〇見たんだけど、面白くない?”とか。日常の中で話せるネタがいっぱいある。でも、みんなは“へー、そうなんでね!”“いいですね!”っていうだけで、自分のことはあまり話さない。もしかしたら僕に興味がないだけ?(笑)って不安にすらなる。会ってなかった間、なにもなかったはずはない(笑)。一概にはいえないですけど、日本文化ってそういうものなのかなって諦めていたりします。
──そこから、米倉さんがアメリカ文化に触れて自分をイントロデュースできるようになって以降、ステージングも変わりましたか?
正直、自分ではあまり分からないです。でも、デビュー当時の事務所の社長さんから言われたことがあります。最初僕がアメリカに行くことを猛反対。“君は日本でデビューして日本で音楽活動をするんだからアメリカの時間なんて必要ない”って。でも、僕は自分の夢や目標のため、憧れを現実化するためにどうしても行きたかったんです。年末年始のお休みを利用して初めて訪れた極寒のNY。それから幾度とNYを訪れました。それから3~4年経った頃ですかね。僕のステージを観た社長さんが “なんでYONEがアメリカに行きたいっていったのか、なんでいまも行き続けてるのか、なんで住んでいるのか、今日のステージを観て分かったよ”って言いってくれたんです。言葉での説明ではなく、僕のパフォーマンス、ステージを観て。それからはアメリカでの時間を反対されることはなくなりました。自分では意識してなかったですし、意識するものでもないと思っています。だけど、周りがそう感じてくれてたってことは、自分では気付かない本質の部分が変化したのかなと思っています。
──米倉さんのステージング、ライブに対する考え方というのは、その当時アメリカ文化に接しなければ、またいまとは違った米倉 利紀像が出来上がっていたかもしれないですね。
そうかもしれないですね。人生に正解、不正解がないように、アメリカでの生活がなければ、それはそれでまたいまとは違った米倉 利紀が形成されている可能性がありますね。だけど、アメリカでの時間があったからいまの自分はここでこうやってうたい続けられているのは事実です。