『犬神家の一族』 (76年)、『人間の証明』(77年)に続く、角川映画第三弾(78年5月公開のドキュメンタリー映画『野性号の航海 翔べ 怪鳥モアのように』は除外)となる『野性の証明』 は、前作同様に森村誠一の小説が原作(最初から映画化を前提としていた)で、監督も同じく佐藤純彌が手がけ、78年10月7日に公開。ちょうど1年前公開の『幸福の黄色いハンカチ』(松竹)で、日本アカデミー賞最優秀主演男優賞とブルーリボン賞主演男優賞を獲得した高倉健の主演作品(角川映画初出演)であり、「角川三人娘」の長女と言うべき薬師丸ひろ子のスクリーン・デビュー作でもあった。その薬師丸の劇中のセリフ「お父さん、こわいよ!なにか来るよ。大勢で、お父さんを殺しに来るよ!」を用いたCMも功を奏して、1978年度邦画配給収入第1位に輝く興行成績を記録している。
音楽も『犬神家の一族』『人間の証明』と同じく大野雄二が音楽を担当。彼が作曲、山川啓介が作詞を手がけた主題歌「戦士の休息」の歌唱に起用されたのが、GSブーム末期にズー・ニー・ヴーのヴォーカリストとして活躍し、『野性の証明』より3カ月早く公開され大ヒットした映画『キタキツネ物語』(サンリオ)の主題歌「赤い狩人」を歌って再び注目を集めていた町田義人であった。
町田義人は、1946年9月2日、高知県出身。地元の土佐高校卒業後、18歳で上京し成城大学経済学部に入学。二年生の時に土佐高校の同窓で東大生の田村守と再会し、フォーク・デュオ「キャッスル&ゲイツ」を結成する。その後カントリー&ウエスタン・バンドで活動していた明治大生の上地健一(ベース、ヴォーカル)が参加。67年9月にニッポン放送の人気番組『バイタリス・フォーク・ビレッジ』のためにレコーディングした、田村作曲のオリジナル「おはなし」が好評を博し、フォーク・ファンたちに広く認知される存在となった。翌68年3月には同番組の人気投票で第1位に選出されるまでになるが、ほぼ同時期にグループは解散。町田と上地はズー・ニー・ヴーに参加し、田村は一般企業に就職した。ちなみにキャッスル&ゲイツは間もなく新メンバーで再編され、69年1月に「おはなし」でレコード・デビュー。72年まで活動を続けている。
ズー・ニー・ヴーは、町田と同じ成城大経済学部に通う山本康生(リード・ギター)が大学のクラスメイトである大竹茂(ドラムス)と共にメンバーを集めて結成(当時は「ズーム・ブーム」という名前だった)。彼らの他に塚谷茂樹(ベース/明治学院大生)、桐谷浩史(キーボード/明治大生)、そして町田(ヴォーカル)と上地(ヴォーカル、パーカッション)というラインアップで、渋谷のサパークラブ『カバーナ』のハウスバンドとして活動を始め、当時、日本の洋楽ファンの間でブームとなりつつあったR&B(リズム・アンド・ブルーズ)ナンバーを主なレパートリーとしていた。特にサム&デイヴを意識した町田と上地のツイン・ヴォーカルが音楽関係者たちの間で評判となり、68年10月にR&Bヒットのカヴァー集で異例のアルバム・デビュー。11月にはデビュー・シングル「水夫のなげき」(作詞・山上路夫/作曲・村井邦彦)をリリースした。
残念ながらデビュー曲は不発に終わったが、翌69年4月にリリースしたセカンド・シングル「涙のオルガン」のB面曲「白いサンゴ礁」がオリコン18位まで上る初ヒットとなり、一躍人気GSの仲間入りを果たす。ただ時期が悪かった。すでにGSブームは終焉を迎えており、R&Bファンたちから一目置かれる存在であったものの、その後ヒットが続かず、結局70年2月にリリースした4枚目のシングル「ひとりの悲しみ」(翌年「また逢う日まで」と改題し尾崎紀世彦がヒットさせた)を最後に町田は脱退。ズー・ニー・ヴーはメンバーを入れ替えながら活動を続けるが71年夏に解散している。
町田はソロ・シンガーとして再スタートを切り、71年6月に初ソロ・シングル「自由への旅路」をリリース。以後「奇跡は一度でいい」(71年)、「悲しみの果てる時」(72年)、「行きどまり」(76年)、「裏町マリア」(77年)等のシングルとアルバム3枚をリリースするが鳴かず飛ばずで、彼の名前が再び表舞台に登場したのは、「ガンダーラ」で大ブレイク直前のゴダイゴが音楽を担当した映画『キタキツネ物語』の主題歌「赤い狩人」(作詞・奈良橋陽子、三村順一/作曲タケカワユキヒデ)の歌唱者に抜擢された時であった。78年5月に公開された『キタキツネ物語』は大ヒットを記録。主題歌もオリコン86位まで上り、町田義人の名をズー・ニー・ヴー時代を知らない世代までにも知らしめたのである。
町田にとって、さらに追い風となったのが映画『野性の証明』の主題歌「戦士の休息」で、30万枚以上のセールス(累計85万枚とも言われている)を記録し、オリコン最高位6位にランク。町田の歌手キャリアの中で最大のヒットとなった。伝説の男・町田義人はここに完全復活を遂げたのである。その後も『長距離ランナー』(79年)、『YOU&ME』(79年)、『WHISPER BLUE』(81年)等のオリジナル・アルバムや各種編集アルバムをコンスタントにリリースしている他、『宝島』(78年)、『サイボーグ009 超銀河伝説』(80年)、『三国志』(82年)などアニメ作品の主題歌、フジテレビ『おれたちひょうきん族』の「タケちゃんマンロボ」のテーマ曲、ロッテ「小梅ちゃん」や資生堂「オーデコロンモア」といったCMソング、CMナレーションも多数手がけ、さらにはミュージカル、声優と幅広い分野で活躍している。現在は音楽活動を休止中で海外に居を移しており、一時期オーストラリアで陶芸家として活動していたこともあるという。