世界の音楽聖地を歩く 第7回:イーグルス「ロサンゼルス・イーグルス・トレイル」

コラム | 2016.05.16 18:30

TEXT・PHOTO / 桑田英彦

“ We are EAGLES from Los Angeles “  1970年代を通じて、イーグルスのステージはグレン・フライのこのMCによってスタートした。かつてのサーフィン文化やラブ&ピースのボヘミアンな世界ではなく、成熟から退廃に向かうサザン・カリフォルニアを舞台にして、数多くの物語をメロウな音作りで表現したバンドである。デトロイトからやってきたグレン・フライ、テキサスからやってきたドン・ヘンリー。ともにサザン・カリフォルニアのライフスタイルに憧れ、ロックスターを夢見て、当時音楽産業の中心地として発展を続けていたロサンゼルスに移り住んだのだ。1972年にリリースされた彼らのデビュー・アルバムからは『テイク・イット・イージー』などのヒット曲が生まれ、イーグルスはカントリー・ロックのヒーローとなる。その後、1974年にドン・フェルダーという卓越したギタリストが加入すると、バンドのサウンドやアレンジには磨きがかかり、イーグルスの地位を不動のものにしたアルバム「呪われた夜 (One Of These Nights)」が生まれた。さらにその翌年にはパワフルなギタリスト、ジョー・ウォルシュが加入する。ドン・フェルダーとの個性の違いを見事に活かし、イーグルスのクリエイティビティの頂点となるアルバム「ホテル・カリフォルニア」が登場、記録的な大ヒットアルバムとなる。しかし頂点に立ったイーグルスはメンバー間の内紛が絶えず、とりわけイーグルス・サウンドに革新をもたらしバンドをさらなる高みに導いたドン・フェルダーのプライドと、バンドの創設者であるグレン・フライとドン・ヘンリーの重たい存在感は緊張感を生み、1979年のアルバム「ロングラン」でバンドは空中分解する。そして一切のフェアウェルもないまま、イーグルスは活動を休止するのである。

 

サッド・カフェ:トルバドゥール

_MG_2378

_MG_2384

[Troubadour Club] 9081 Santa Monica Blvd, West Hollywood, CA 90069

アルバム「ロングラン」の最後に収録されている『サッド・カフェ』は、ウエスト・ハリウッドにあるナイトクラブ、トルバドゥールが舞台となったビタースイートなバラードである。1957年にオープンしたこのクラブは現在も営業中で、1960年代末から70年代前半の全盛期には、後にスーパースターとなる世界中のミュージシャンたちがキャリアの初期には必ず出演する登竜門として君臨した。同時にバーズ、ニール・ヤング、ジョニ・ミッチェル、ジェイムス・テイラー、リンダ・ロンシュタットなど、当時のロサンゼルスをホームグラウンドにしていたミュージシャンたちの溜まり場でもあったのだ。そしてイーグルス誕生のきっかけとなったのもこのトルバドゥールである。当時無一文で、ビール代にも事欠いていたにもかかわらず、グレン・フライは毎晩のようにこのクラブに入り浸っていた。そんな彼に声をかけたのがリンダ・ロンシュタットのマネージャーだったジョン・ボイランだ。週給$250という条件でのリンダのバックバンドのオファーである。$50の前借りを条件に快諾したグレンは、ドラマーとして採用されたドン・ヘンリーとともにツアーに出た。2人のバックコーラスはすでに一級品で、間も無くリンダのバックバンドをやめて自分たちのバンドを結成することを決心する。こうやって誕生したイーグルスは大成功を収め、20世紀を代表するバンドにまで上り詰めた。そんな彼らが自分たちの溜まり場だったトルバドゥールの当時の光景、そして陽の目をみること無く消えていった仲間たちの想い出を歌ったのが『サッド・カフェ』である。”Some of their dreams came true, some just passed away. And some of them stayed behind inside the Sad Cafe” イーグルスはこう歌って、自ら描いてきたサザン・カリフォルニア物語に終止符を打ったのだ。

 

いつわりの瞳 (Lyin’ eyes):ダン・タナ・イタリアン・レストラン

P0090307

P1000244

[Dan Tana’s ] 9071 Santa Monica Blvd, West Hollywood, CA 90069

トルバドゥールの隣にある創業50年を誇るイタリアン・レストラン、ダン・タナは、古くからハリウッド・セレブリティ御用達のレストランで、1960年代には多くのムービースターやロックスターたちも訪れるようになった。ダン・タナはオーナーの名前で、自身はセルビア出身の元フットボール選手である。グレン・フライ、ドン・ヘンリー、そしてマネージャーのアーヴィング・エイゾフなど、イーグルス関係者もこのレストランの常連で、かつては指定席を確保していたほどである。そしてこの店で連夜繰り返される光景にインスパイアされて生まれた名曲がイーグルスの代表曲のひとつである『いつわりの瞳 (Lyin’ eyes) 』だ。贅沢な生活を目当てに金持ちの老人と結婚し、満ち足りなさを若い男との不倫で補うため、夜な夜な嘘の言い訳を考えて外出する女の物語である。演奏はじつに軽快で爽やかなウエストコースト・サウンドなのだが、歌の内容はシニカルな表現満載の不倫ソングである。ダン・タナにやってくる着飾った女性たち。ミュージシャンたちとの会話を楽しみ深夜になると去っていく彼女たちの行動を眺めらがら、この曲のモチーフを見出したのはグレン・フライだ。鉄壁を誇るコーラス、冴え渡るドン・フェルダーのバッキング・ギターなど、シンプルだが一筋縄ではいかないイーグルスの魅力が詰まった名曲だ。

 

ホテル・カリフォルニア:ビバリーヒルス・ホテル

_MG_1977

Hotel-California

[The Beverly Hills Hotel] 9641 Sunset Blvd, Beverly Hills, CA 90210

ドン・フェルダーはこの曲のエキゾチックなイントロを思いついた時のことを”パーフェクト・アフタヌーン”と呼んでいる。イーグルスに加入して手に入れたロック・スターとしての夢のような生活。1975年の夏のある日、家族と共に数日間の休日をマリブのビーチハウスで楽しんでいた彼は、満ち足りた気分で12弦ギターを爪弾きながらプールサイドのカウチに座っていた。光り輝く太平洋と爽やかに流れる潮風が、満ち足りた気分に拍車をかける。このフィーリングが『ホテル・カリフォルニア』の印象的なイントロの原型を生み出したのである。デモテープを聴いたドン・ヘンリーはこの曲に『メキシカン・ボレロ』という仮題を付けた。そして試行錯誤を繰り返し、ホテルを舞台にした幻惑と喪失のカリフォルニア物語をつむぎだしていくのだ。アルバムのアートワークには、ビートルズの『アビイ・ロード』などトップ・アーティストの作品を多く手がけてきたコッシュが起用された。彼は『ホテル・カリフォルニア』のファースト・カットが入ったアセテート盤を聴きながら、ドン・ヘンリーがアピールしたい「優雅でクラシカルなカリフォルニア」をイメージした。そしてコッシュの頭にひらめいたのが「ゴールデン・サンセットの逆光に映えるビバリーヒルズ・ホテル」だった。フォトグラファーに起用されたデヴィッド・アレクサンダーはフェイドアウトしていく夕陽に対して、好感度のフィルムをニコンのカメラにセットして、この粒子の粗い魅惑的なジャケット・ショットをものにしたのである。

 

ホテル・カリフォルニア:ハリウッド・リド・アパートメント

P3258641

_MG_2095

[Lido Apartments] 6500 Yucca St, Los Angeles, CA 90028

アルバムのリリース直後から、幽霊が写っているなど様々な憶測が飛び交うことになる内ジャケットの撮影は、ハリウッドの裏通りユッカ・ストリートにあるリド・アパートメントのロビーで行われた。写真に写っている人たちの大半はイーグルスの関係者や仲間たちである。このロビーの横にあるマネージャー・ルームの壁面には、現在でも『ホテル・カリフォルニア』の額装されたジャケット、内ジャケットの巨大な写真が壁面を飾っている

 

1 2

桑田英彦(Hidehiko Kuwata)

音楽雑誌の編集者を経て渡米。1980 年代をアメリカで過ごす。帰国後は雑誌、エアライン機内誌やカード会員誌などの海外取材を中心にライター・カメラマンとして活動。ミュージシャンや俳優など著名人のインタビューも多数。アメリカ、カナダ、ニュージーランド、イタリア、ハンガリー、ウクライナなど、海外のワイナリーを数多く取材。著書に『ワインで旅する カリフォルニア』『ワインで旅するイタリア』『英国ロックを歩く』『ミシシッピ・ブルース・トレイル』(スペースシャワー・ブックス)、『ハワイアン・ミュージックの歩き方』(ダイヤモンド社)、『アメリカン・ミュージック・トレイル』(シンコーミュージック)等。