“ We are EAGLES from Los Angeles “ 1970年代を通じて、イーグルスのステージはグレン・フライのこのMCによってスタートした。かつてのサーフィン文化やラブ&ピースのボヘミアンな世界ではなく、成熟から退廃に向かうサザン・カリフォルニアを舞台にして、数多くの物語をメロウな音作りで表現したバンドである。デトロイトからやってきたグレン・フライ、テキサスからやってきたドン・ヘンリー。ともにサザン・カリフォルニアのライフスタイルに憧れ、ロックスターを夢見て、当時音楽産業の中心地として発展を続けていたロサンゼルスに移り住んだのだ。1972年にリリースされた彼らのデビュー・アルバムからは『テイク・イット・イージー』などのヒット曲が生まれ、イーグルスはカントリー・ロックのヒーローとなる。その後、1974年にドン・フェルダーという卓越したギタリストが加入すると、バンドのサウンドやアレンジには磨きがかかり、イーグルスの地位を不動のものにしたアルバム「呪われた夜 (One Of These Nights)」が生まれた。さらにその翌年にはパワフルなギタリスト、ジョー・ウォルシュが加入する。ドン・フェルダーとの個性の違いを見事に活かし、イーグルスのクリエイティビティの頂点となるアルバム「ホテル・カリフォルニア」が登場、記録的な大ヒットアルバムとなる。しかし頂点に立ったイーグルスはメンバー間の内紛が絶えず、とりわけイーグルス・サウンドに革新をもたらしバンドをさらなる高みに導いたドン・フェルダーのプライドと、バンドの創設者であるグレン・フライとドン・ヘンリーの重たい存在感は緊張感を生み、1979年のアルバム「ロングラン」でバンドは空中分解する。そして一切のフェアウェルもないまま、イーグルスは活動を休止するのである。
サッド・カフェ:トルバドゥール
[Troubadour Club] 9081 Santa Monica Blvd, West Hollywood, CA 90069
アルバム「ロングラン」の最後に収録されている『サッド・カフェ』は、ウエスト・ハリウッドにあるナイトクラブ、トルバドゥールが舞台となったビタースイートなバラードである。1957年にオープンしたこのクラブは現在も営業中で、1960年代末から70年代前半の全盛期には、後にスーパースターとなる世界中のミュージシャンたちがキャリアの初期には必ず出演する登竜門として君臨した。同時にバーズ、ニール・ヤング、ジョニ・ミッチェル、ジェイムス・テイラー、リンダ・ロンシュタットなど、当時のロサンゼルスをホームグラウンドにしていたミュージシャンたちの溜まり場でもあったのだ。そしてイーグルス誕生のきっかけとなったのもこのトルバドゥールである。当時無一文で、ビール代にも事欠いていたにもかかわらず、グレン・フライは毎晩のようにこのクラブに入り浸っていた。そんな彼に声をかけたのがリンダ・ロンシュタットのマネージャーだったジョン・ボイランだ。週給$250という条件でのリンダのバックバンドのオファーである。$50の前借りを条件に快諾したグレンは、ドラマーとして採用されたドン・ヘンリーとともにツアーに出た。2人のバックコーラスはすでに一級品で、間も無くリンダのバックバンドをやめて自分たちのバンドを結成することを決心する。こうやって誕生したイーグルスは大成功を収め、20世紀を代表するバンドにまで上り詰めた。そんな彼らが自分たちの溜まり場だったトルバドゥールの当時の光景、そして陽の目をみること無く消えていった仲間たちの想い出を歌ったのが『サッド・カフェ』である。”Some of their dreams came true, some just passed away. And some of them stayed behind inside the Sad Cafe” イーグルスはこう歌って、自ら描いてきたサザン・カリフォルニア物語に終止符を打ったのだ。
いつわりの瞳 (Lyin’ eyes):ダン・タナ・イタリアン・レストラン
[Dan Tana’s ] 9071 Santa Monica Blvd, West Hollywood, CA 90069