TEXT・PHOTO / 桑田英彦
昨年の5月に89歳で亡くなったB.B.キングは、ルイ・アームストロング、デューク・エリントン、マイルス・デイヴィス、レイ・チャールズたちと並んで、アメリカン・ミュージックの至宝として君臨した巨人だ。2007年にオハイオ州シンシナティで彼のツアー・バスの中でインタビューする機会に恵まれたが、当初マネージャーからは「30分だけ」と釘を刺されていたにもかかわらず、時間通りに引き上げようとした僕を引き止めて、なんと2時間も取材に応じてくれた。同行していた通訳の女性には「明日の朝一緒に朝食でもどうかね?」などとちょっかいを出す、じつにチャーミングな大人の男だった。
B.B.ことライリー B.キングは1925年9月16日、ミシシッピ州北西部のイッタベーナのプランテーションで生まれた。母親と通った教会でゴスペルに出会い、早くから音楽に興味を示すようになったB.B.は、6歳の頃にはブルースのレコードを好んで聴いていたという。やがてミシシッピ州インディアノーラ近郊のプランテーションでトラクター運転手として働くようになり、週末には街角で歌ってチップを稼いだ。数年後には演奏で稼ぐ収入がプランテーションの給料を凌ぐようになり、ミュージシャンとしての夢が大きく広がっていく。そして1946年5月、20歳になったB.B.はギターを背中に担ぎ、2ドルをポケットに押し込んで、ハイウェイ61をヒッチハイクでメンフィスに向かった。ここからB.B.キングの栄光の物語が始まったのだ。
若き日のB.B.の足跡が多く残るミシシッピ州インディアノーラにある『B.B.キング・ミュージアム』には、愛器ルシールやステージ衣装など数多くのメモラビリアが並び、60年を超えるキャリアを誇るB.B.の歴史が未発表映像などを交えて立体的に展示されている。まずはエリック・クラプトンやキース・リチャーズなどの愛情溢れるコメントが収録された映像とともに、B.B.の栄光の歴史がスクリーンに映し出される。展示スペースに入るとそれぞれの時代ごとにまとめられたB.B.ゆかりのアイテムがずらりと並ぶ。B.B.のトレードマークにもなったツアー・バスのレプリカ、几帳面な一面が垣間見える詳細なツアー・スケジュールとギャラが記された手帳など、興味深い展示物が続く。インタビュー時にB.B.が話していた通り、手帳に記されたツアー・スケジュールはあまりに過酷だ。「一番多い年には366本のライブをこなした。1960年代から70年代にかけてはコンスタントに年間250本、さすがに80歳を過ぎてからは控えるようになり、今は年間120本のライブをやってるよ」。B.B.が亡くなったラスベガスの豪邸にあるプライベート・スタジオなども再現されており、最後の展示物まで一気に楽しめる。B.B.の葬儀はメンフィスで行われた。その後遺体はハイウェイ61を通ってインディアノーラに運ばれ、このミュージアムに愛器ルシールとともに埋葬された。現在メモリアル・ガーデンの建設が予定されている。
1940年代前半、10代のB.B.キングは週末の夜になるとインディアノーラの町に出て、セカンド・ストリートとチャーチ・ストリートの交差点でゴスペルを歌ってチップを稼いだ。まだこの時代はブルースよりもゴスペルを歌う方がより多くのチップを稼げたという。かつてインディアノーラはチトリン・サーキット(黒人エンターテイナーが小さなクラブやバーを廻る巡業コース)のメイン・ストップだった町で、多くのブルースマンが訪れていた。彼らの洗練されたステージやきらびやかな衣装など、若き日のB.B.は大いに刺激を受け、ミュージシャンとしての夢を膨らませていた。
このチトリン・サーキットの頂点として存在したのがインディアノーラに現在も残る『クラブ・エボニー』である。1948年にオープンしたこのクラブには、レイ・チャールズ、カウント・ベイシー、ボビー・ブランド、そしてスターダムを駆け上がったB.B.キングなど、一流の黒人ミュージシャンがいつも出演していた。また1980年から毎年開催されている、インディアノーラ市民を無料招待する”B.B.キング・ホームカミング・フェスティバル”では、イベントのクライマックスとしてB.B.のクラブ・エボニー公演が組まれていた。長い歴史を誇るクラブ・エボニーだが、財政難などから幾度かオーナーが変わり、2009年にはB.B.がこのクラブを買い取っている。そして2012年に『B.B.King’s Club Ebony』として リニューアル・オープンを果たし、現在も営業を続けている。
2012年に公開されたB.B.キングのドキュメンタリー映画『ザ・ライフ・オブ・ライリー』の冒頭のシーンで、B.B.がツアー・バスに乗って訪ねる場所がこの”B.B.King Birthplace”だ。バークレアという川のそばにある小さな村の外れにある、まさに原野である。このマーカーはメンフィスに本部のあるブルース・ファンデーションが主宰するミシシッピ・ブルース・トレイルというプロジェクトの一環で建てられたもので、ミシシッピ州内に点在するブルースゆかりの地、およそ150か所に設置されている。
B.B.キングの遺体を納めた霊柩車とともに、葬列は「聖者の行進」を演奏するマーチング・バンドとメンフィスのビール・ストリートを進んだ。B.B.と言う名称は”ビール・ストリート・ブルース・ボーイ”の略称である。この通りの賑わいの中心はもちろん『B.B.キング・ブルース・クラブ』だ。昼間は雑然とした通りだが、日が沈みネオンは灯り始めると、ビール・ストリートは一気にヒートアップする。旅行者も多く繰り出し、店の入り口からは様々なバンドの演奏が聴こえてくる。そしてメンフィスのブルース・パワーは連日朝方まで続くのだ。
B.B.キング、エリック・クラプトン、ロバート・クレイ etc..「スリル・イズ・ゴーン」
B.B.キング「ハウ・ブルー・キャン・ユー・ゲット」
桑田英彦(Hidehiko Kuwata)
音楽雑誌の編集者を経て渡米。1980 年代をアメリカで過ごす。帰国後は雑誌、エアライン機内誌やカード会員誌などの海外取材を中心にライター・カメラマンとして活動。ミュージシャンや俳優など著名人のインタビューも多数。アメリカ、カナダ、ニュージーランド、イタリア、ハンガリー、ウクライナなど、海外のワイナリーを数多く取材。著書に『ワインで旅する カリフォルニア』『ワインで旅するイタリア』『英国ロックを歩く』『ミシシッピ・ブルース・トレイル』(スペースシャワー・ブックス)、『ハワイアン・ミュージックの歩き方』(ダイヤモンド社)、『アメリカン・ミュージック・トレイル』(シンコーミュージック)等。