キャリアを重ねるなかで、愚直にアルバムを定期的にリリースし、その新作を携えて全国ツアーを回るという活動を中心にしてきたthe pillowsが、それとは異なるコンセプトのライブ・シリーズを行うこともあった。2006年に「LOSTMAN GO TO CITY」、2007年には「LOSTMAN GO TO YESTERDAY」、そして2008年、2013年、2015年にも「LOSTMAN GO TO CITY」と題したライブを敢行している。さらに25周年の2014年には、「NEVER ENDING STORY」シリーズの一環として、「Do You Remember The 1st Movement?」で “第一期”の楽曲をオリジナル・メンバーの上田ケンジを迎えて新宿ロフトで、「Do You Remember The 2nd Movement?」では“第二期”の楽曲を、キーボードを加えてスーツを纏って演奏した。そして2017年から2018年にかけて、「RETURN TO THIRD MOVEMENT!」を展開、「Vol.1」ではアルバム『Please Mr.Lostman』と『LITTLE BUSTERS』を、「Vol.2」ではアルバム『RUNNERS HIGH』と『HAPPY BIVOUAC』を全曲演奏する形で“第三期”を再現した。
【第4回】
2006年~:「LOSTMAN GO TO ~ TOUR」
2014年:「the pillows 25th Anniversary NEVER ENDNG STORY~」
2017年~:「RETURN TO THIRD MOVEMENT!」
「以前はそんなバンドになりたくないって思ってたけど、逆にそう思っていた若い時の自分は“わかってないな、まだお前は”っていう感じかな、今のオレから言うと(笑)」
──“アルバムを出してツアーをやる”という通常のスタイルとは別の企画として「LOSTMAN GO TO~」シリーズがありましたね。このシリーズの選曲は新作にとらわれないセットリストで、the pillowsの新たな一面が垣間見れる好企画だと思うのですが、このシリーズを要所要所で入れた企画意図とか、そもそも最初どういうきっかけで始まったのかをお聞かせいただけますか。
山中さわお(vo,g)いや〜、どうだったか覚えてないけど、今思うと“音楽的欲求”だったんじゃないかな。当然バンドの歴史が積み重なっていくと、オリジナル曲が増え続けていく訳ですよね(笑)。そしてニュー・アルバムを出してツアーというと、ニュー・アルバムが10曲あったとしたら、the pillowsのワンマンは全部で22〜3曲しかやらないので、あと12曲くらいですよ。とすると、過去の曲が200曲くらいになってくると、200曲の中からニュー・アルバムじゃない既存の曲を12曲しか選べないので、やりたい曲をどうやっても物理的にやれない。なので普通に音楽的欲求で自分の作った大事な曲たちを披露する場が欲しかったんじゃないかな。ジャンル的にワンステージで30曲やるバンドじゃないし。そして2年に1回、3年に1回にアルバムをリリースするっていうバンドじゃなくて毎年ニュー・アルバムを出してツアーをやってきたので、99年は2枚出しちゃってるし(笑)。曲が急激に増えていったから、まだ飽きてない曲もやってないっていう状況だったんじゃないかな。曲を作り過ぎたのだと思う、たぶん(笑)。
──ある程度キャリアが経過してから、2014年に25周年のタイミングで「NEVER ENDING STORY」と題して、新宿ロフトで“第一期”を、そして日本青年館で“第二期”の楽曲を披露するライブをやりました。そして2017年から2018年にかけて「RETURN TO THIRD MOVEMENT!」で“第三期”にリリースされたアルバムを2枚ずつ披露したりして。過去の時期を振り返るライブをやるということを発想したきっかけと、実際にやってみての感想をきかせていただけますか。
山中さわおもちろんこれも“音楽的欲求”だけど、まぁでも歳を取ったなっていうことだと思います(笑)。以前は“そういうバンドになりたくないな”って思っていたけど、それになったということかな。で、自分ではそれはとても清々しい気持ちというか。逆に『あぁなりたくない』と思っていた若い時の自分は、“わかってないな、まだお前は”っていう感じかな、今のオレから言うと(笑)。
──当時からさわおさんは全力でご自分の思い描いたことを実現してきた方なのですけど、年齢、経験を重ねたことで、その当時の自分を振り返って、今、違う気持ちになれているということですね。
山中さわおうん、そうだね。でもオレは結構早い段階で、自分が歳を取ったときのことを想像力で補えるようになったんだ。オレがさっき言った“若い時の自分”っていうのは20代の自分で、たぶん30歳くらいでもういろいろ悟ってきているはずなのね。シングル「ターミナル・ヘヴンズ・ロック」(2003年)を出した頃とか、アルバム『ペナルティーライフ』(2003年)を出したときの“死ぬまで音楽をやる”という決心。『ペナルティーライフ』って“無期懲役”だからね。そのときにはもう気づいていたんだけど、20代のときはまだ気づいてなかったかな。“衰えを感じたら解散して、音楽を辞めて、違う生き方をしよう”という発言もしただろうし、そういう自分のナルシシズムに酔いしれていたと思う。
だけど30歳過ぎくらいでもう気づいた。“そんな発言をしてるのは、まだお前が本当に音楽を好きになってないからだ”って。本当に音楽を好きになってしまうと、自分で選択できることではないというか。音楽を辞めるとか、音楽から離れるのは無理なんだと。もう自分がどんなに才能が無くなって、歌も一番良い時があったとして、それよりどんどん衰えを感じたからと言って、辞めるっていうのは、そんなに音楽が好きじゃないってこと。もっと音楽というものに“泣いて、すがって、オレを捨てないでくれ、どんな隅っこでもいいからオレを置いてくれよ”っていう、そういうみっともない感じに、オレは30過ぎからなっていった。今50歳だから、そこからもめちゃめちゃ曲を書いてる訳じゃない。
前作『REBROADCAST』、“再放送”というタイトルのアルバムを出して、ちょっと昔を懐かしむ年齢になってしまった。それをオレは包み隠さず、今の心境を言葉にしたり、音楽に乗せたり、行動を取っている。“嘘で塗り固めたポジティブ感とか反吐が出るぜ”っていう感じ。ネガティブなことを言うとダメみたいなことがあって、オレは『REBROADCAST』のときに、『ポジティブな意味の再放送ですよね!』とか言われても、『いや、ポジティブとかネガティブとか知らねえよ、再放送は再放送だよ。“懐かしいな、もう一回味わいたいな”って、そのまま受け取ってくれよ』って。歳を取って昔と変わってしまってもいいんだよ。オレは“今のオレ”を気に入ってるし、別に誰にも恥ずかしくない。そしてその“今のオレたちの音楽”に興味のある人が、嫌々ライブに来ている訳じゃなくて来たくて来てくれているし。嫌々聴く訳じゃなくて聴きたくて聴いてくれているんだよ。その世界で生きてくっていう、それだけです。
[第5回予告]20周年で初めて挑んだ日本武道館ワンマン、「久しぶりに大きな勝負に出る」30周年の横浜アリーナワンマンの展望を語る!
[第5回]インタビューを10月上旬公開予定!
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