そんな気概が伝わって来る、月に吠える。のロック・ミュージック。
その音を鳴らすロックな男たちの首謀者の名前は大森南朋(Vo,Gt)と塚本史朗(Gt)。
聞けば、初めて観に行ったライブが「The Street Sliders」(大森)、「エアロスミス」(塚本)という。
大人になってから結成したこのバンドが、本気で音楽と向き合っている。
ならば、その音楽のルーツや二人のあれこれをもっと知りたいと思った。
大森さんと塚本さん、酒を嗜みながら交わすいつもの会話を、手紙に託した文通がスタートです。
月に吠える。大森南朋(Vo,Gt) 塚本史朗(Gt)の「聴き捨てならない歌がある」第3回
殊更 塚本史朗様。
お互い向き合っているような、向き合っていないような。息をどこでしているのかも分からないままだ。しかし、しばし続いている。然もニッポン人が表現して来たかのような西洋エレキ的なる混合音楽の発表会の日々の徒然も終わりかけました。
偖、果たして、そこに死にかけのような日本男児が、大人としての、それが何を意味として感じているかを理解しているのかも分からず、闇雲に瞬間をやり過ごす事の正当性をいかなる形で昇華しているのか。
何気なく、漠然と振り返りながらも、ただ自問自答と突き刺さるような無学奮闘、虚心坦懐。これを以って簡単にそれらみたいな有耶無耶を受け入れてみては、意気消沈でもしながら、只管、当たり前のごとく頑張ってきた所存でありまするのです。
たかだか有るような立場を保持しながらのこの無闇で漠然たる活動に於ける貴殿への感謝におきましては、貴殿が想像するには、目の前にあるそれよりも、言うなれば嘘つき国家の理不尽なるそれよりも、我が苦しみに満ちた絶望の片隅で、この謎めいた中年集団の活動の方がより、苦しみも悲しみも分かち合っているような、そんな心持の所存でありまするのです。
これが事の他の事に関して云へば、まだ居心地が悪いような、たかだか知れたよふな悲しみとヒューマニズムとマスコミュティーに溺れるばかりのヒエラルキー至上主義な、糞の世界の中では、たかがと思えてしまえるような世界で、一生懸命と、たかが生きている我が漠然の世界の中では。僕らが行っているような、傍若無人で講釈必然のコンテポラリーで、絶頂なるダダイズムと無限性とブルーズを解釈としたロックンロールミュージック。
そのなれの果てにおきましては、まずまずの世界観と貴殿が求めるような、刹那的に滲み出るような日本男児の昂りを解釈としては、ある意味、正解の道の上で泣きながらでも、黄昏て立っているという、そこはかとなく聴こえてくる唄があるんだと、解釈はしております。
それは、多分、大まかに云へば。「これからもよろしく」という言葉に、過言でもない所存であります。
悩みは晴れやかじゃないさ
悲しみは僕らの目の前のいるものだ
「Move! Move! Move! Move!」
満月によく映えるような
見慣れないダンスを踊りながら
唄ってたら、例えば。
その瞬間、雷が落ちたんだって
なんだか それは
神様の仕業としか思えないよね。
史朗さん、聴いてください。
Bob Marley & The Wailers
で
Exodus
ペンフレンドより
──次回は更新は12月頃の予定です