2016年5月21日(土)22日(日)23日(月) 東京ドーム
※取材は5/23(月)に実施
starring : KYOSUKE HIMURO
musicians : CHARLIE PAXSON (Drums) / SHUNICHI OSHIMA (Keyboards) / FUMIAKI NISHIYAMA (Bass) / DAITA (Guitar) / YUKIHIDE TAKIYAMA (Guitar) / TESSEY (Manipulator)
Report/長谷川誠
Live Photo/TAKASHI HIRANO
なんとすさまじくて壮絶な幕の閉じ方だろうか。この日のライヴが始まる前は、感傷的な空気が漂うかもしれないと思っていた。もちろんこれが最後のステージであることをすべての観客が寂しく思っていたのは間違いないだろうし、ライヴが始まった瞬間から涙が止まらない観客もたくさんいたと思うが、そうした感情すら、一瞬、吹っ飛んでしまいうくらいの強烈なエネルギーがほとばしる驚異的なステージを氷室京介は展開したのだった。
4月23日・24日の京セラドーム大阪公演からスタートして、30万人を動員した氷室京介の4大ドームツアー「KYOSUKE HIMURO LAST GIGS」の本当のラストのステージとなるのが5月23日の東京ドームだ。本来ならば、このツアー自体、開催されるはずのないものだった。2014年の25周年ツアーのステージ上で難聴によるライヴ活動の無期限休止を発表して、そのファイナルの7月20日の横浜スタジアムがラストのステージとなるはずだった。が、落雷によるライヴ中断、肋骨の骨折によるコンディション不良から、「このリベンジをどこかで必ず」と氷室本人が宣言して実現したのが今回のこの「LAST GIGS」ということになる。そのツアーの最終地点の東京ドームは1988年4月4日、5日にBOØWYの解散コンサートが開催された場所でもある。またしても東京ドーム!ポイントポイントでここに立つように定められているということなのかもしれない。
「最後の夜だぜ!騒ごうぜ!」というMCとともに始まったオープニングナンバーは1985年リリースのBOØWYのアルバム『BOØWY』収録の代表曲「DREAMIN’」だった。歓声なのか、雄叫びなのか、悲鳴なのか。演奏が始まった瞬間からドームが熱狂に包まれていく。熱烈なシンガロングと拍手。氷室が笑顔を浮かべて、観客の思いを受けとめている姿が印象的だった。さらに「RUNAWAY TRAIN」「BLUE VACATION」と、BOØWYのナンバーが続く構成。オリジナル曲の持っているパワーを損なうことなく、鮮度を保ちながら、ダイナミックな歌と演奏とを展開していく。サポートのバンドはCHARLIE PAXSON (Drums) / SHUNICHI OSHIMA (Keyboards) / FUMIAKI NISHIYAMA(Bass) / DAITA (Guitar) / YUKIHIDE TAKIYAMA (Guitar) / TESSEY(Manipulator)という氷室が信頼する百戦錬磨のメンバーたち。バンドだけでない。ここにいるすべての人間が最後にして最高のステージを作るべく集中していると感じた。
「サンキュー!サンキュー!サンキュー!みんなに聴いてほしい曲をたっぷり用意しているので、最後までじっくりゆっくり楽しんでくれ」
「TO THE HIGHWAY」が始まると、ハンドクラップ、コール&レスポンス、シンガロングが起こっていく。続く「BABY ACTION」も観客が歌いまくり。氷室もハンドマイクを客席に向けている。ただ聴くだけでない。観客それぞれが氷室京介の名曲の数々を体に刻んでいくようにして味わっていた。この日の曲目は最後の夜ということもあって、1982年にBOØWYの一員としてデビューしてからの約35年の音楽活動を総括するように、BOØWYの曲もソロ曲もたっぷり演奏された。観客への感謝の思いを込めて、みんなが聴きたいだろう曲を演奏していくということだろう。と同時に、35年のキャリアの中でのターニング・ポイントを担ってきた重要曲も散りばめられていた。つまり35年間の軌跡を体感できる構成にもなっていたのだ。
BOØWYの4枚目のアルバムから自分の曲は自分でアレンジして、デモテープを作るようになったこと、そうした制作のスタンスがあったから、今の自分があることなどが語られて、そのアルバム『JUST A HERO』の中から「ROUGE OF GRAY」「WELCOME TO THE TWILIGHT」「MISS MYSTERY LADY」も披露された。BOØWYのナンバーではあるが、ソロ・アーティストとしての氷室京介の原点でもある曲たち。大きな歓声とハンドクラップが起こったのはBOØWYのファーストシングル「ホンキー・トンキー・クレイジー」のカップリング曲「“16”」。この曲はひとりの人間としての氷室京介の原点の曲でもありそうだ。「“16”」が16歳の過去の自分の姿を描いた歌だとすると、続いて歌われた、2011年12月に配信で先行リリースされた「IF YOU WANT」は未来へ進んでいこうとする者の道標となっていく歌ではないだろうか。氷室の渾身の歌声にドーム内が震えていく。最後の夜だからこそ、この歌の中の“道なき未知を進め”“果てしなき旅をゆけ”といったフレーズがズシッと強く響いてくる。もちろん歌い手としての表現力も素晴らしいのだが、氷室京介が歌うことによって生まれる説得力は唯一無二のものだ。
「耳のコンディションも時によって、良かったり悪かったりなので、聞き苦しいところもあるかもしれないけれど、もう2度とない最後の空間なんで」「このシチュエーションを受けて、今のこの気持ちを多分、しゃべるよりも歌で伝えたほうが伝わるかなって。次の歌でみんなにこの気持ちを届けたいなと思います」という言葉に続いて披露されたのは「LOVER’S DAY」だった。せつないラヴソングなのだが、氷室の音楽を愛するすべての人へ思いを伝える歌のように真っ直ぐ深く響いてきた。歌い終わって、深くお辞儀する姿に盛大な拍手。特徴的なイントロが鳴った瞬間にウォーッという声と拍手が起こったのはBOØWY時代の名曲「CLOUDY HEART」。氷室の歌声もバンドの演奏もエモーショナルだ。この曲の持っているせつなさが最後の夜にはさらに増幅していく。
続いての「LOVE & GAME」からはソロでのナンバーが続く構成。氷室が観客をあおって、マイクを向けていく。「PARACHUTE」ではステージ上手のスロープになった花道を登っていって、客席から数メートルのところで、マイクを四方に向けていた。「PARACHUTE」演奏後、この曲を作詞したGLAYのTAKUROとB’zの松本孝弘と一緒にLAで焼き肉を食べに行ったエピソードを紹介する場面もあった。
「TAKUROくんがこの先どうするのか、真顔で聞いてきたんだよね。そういう時、冗談で返したくなるタイプなんだけど、まあ、ゆっくり曲を作って、60ぐらいになったらアルバムを出すかなって」
このMCに対して、割れんばかりの歓声が起こった。ライヴはこれで見納めになるかもしれないが、氷室の新曲と出会う楽しみはまだまだ続いていくのだという喜びに会場内が包まれていった。が、その喜びにこんなジョークで応えるところがいかにも氷室らしい。
「アルバムに日本語のタイトルを付けたことがないから、『還暦』にして、1曲目は“60”(シックスティ)、2曲目は“年金”というタイトルにしようかなって。そんなバカなことを言ってたら、TAKUROくんが“お願いだから、それは言わないでください”ってダメ出しが出たんだけどね」とのこと。冗談交じりではあったけれど、観客に希望を与える前向きな言葉によって、会場内に明るいエネルギーが満ちていく。「BANG THE BEAT」「WARRIORS」「NATIVE STRANGER」とライヴもさらに加速。客席のシンガロングに、氷室が笑顔で応えている。たくさんのこぶしが上がっている。ステージ上の氷室とバンドのパワーと5万5千人の観客のパワーが一体となっていく。シンガロングがとりわけ大きくなったのはBOØWYの「ONLY YOU」だ。この濃密な一体感をなんと表現したらいいだろうか。“ライヴハウス東京ドーム”?観客ひとりひとりも悔いなく完全燃焼しようとしているということだろう。さらに「RENDEZ-VOUZ」「BEAT SWEET」「PLASTIC BOMB」へ。氷室が下手の花道を上がって、観客をあおってっている。
「気持ちいいぜ!東京ドーム!このまま行くぜ!」
「PLASTIC BOMB」ではステージ前で炎が上がる演出もあった。さらにソロ曲「WILD AT NIGHT」、「WILD ROMANCE」とエネルギッシュなステージを展開していく。
「最後に本日の素晴らしいみなさんに、俺の(ソロでの)25年の歴史がこの曲から始まったんだってやつを一発贈りたいなと」という言葉で始まった本編のラストは『ANGEL』だった。「歌え!」と氷室が叫んでいる。全員がひとつになっての歌。様々な思いがほとばしっていく。演奏が終わった瞬間に、大きな拍手、そして「サンキュー、東京ドーム!」という氷室の言葉。そして花火が上がって、歓声が渦巻いていく。だがもちろんまだまだ終わりではない。まだまだ終われない。ドーム内にウェイヴが起こる中、氷室が再び登場してきた。
「東京ドームは俺は大好きな場所でね、何回も区切りでやらせてもらってるんだけど、今日のドームは最高だね。こっちやそっちに行くと、ライヴハウスの熱さが伝わってきて、最後に2度おいしい感動を味わわせてもらって、感謝してます。これで自分の中で気持ちの整理が付いたなと。12歳くらいのころに、俺はまともな大人になれるのかなと不安な気持ちになっていて、今もまともな大人じゃないかもしれないけど、こうしてたくさんの連中にエネルギーを送ってもらえる人生を送れて、本当に感謝してます」
そんなMCにも熱くて温かい拍手。メンバー紹介に続いてのアンコールの1曲目は“愛と冒険は続き”“陽はまた昇る”と歌われる「The Sun Also Rises」。この曲もこの日の氷室の思いを代弁するかのような歌のひとつ。魂そのもので歌うような「魂を抱いてくれ」、観客の歓声やハンドクラップも一体になって、ビートを刻みながらの「IN THE NUDE」、観客も一緒に歌いながらの「JELOUSYを眠らせて」などなど。「懐かしいヤツいくぜ!」という言葉で始まったのは「NO.N.Y.」。どの曲もそうなのだが、この日の演奏が生で聴く最後の機会ということになる。5万5千人が声を張り上げ、ハンドクラップしている。すべての曲がかけがえがない。そんな思いがドーム内に充満している。氷室が渾身の歌を歌い、観客が渾身の力で受けとめている。「サンキュー、東京ドーム!バイバイ!」と言って、氷室は投げキッスをして、ステージを去っていった。
ここまで本編24曲+アンコール5曲で、29曲。だが、このとてつもない伝説の夜はまだ終わらない。再び氷室が登場して、「今夜は死ぬまで終わらないぜ」というと、喜びの歓声が上がっていく。「VIRGIN BEAT」「KISS ME」「ROXY」と必殺のナンバーが繰り出されていく。Wアンコールの4曲目、トータルで33曲目は「SUMMER GAME」だった。客電が付いて、ドーム内が明るくなっていく。とてつもないステージを観ているという興奮、感動、熱狂、そしてこれが最後なのかというせつなさ、様々な感情が交ざり合いながら、5万5千人が歌っている。歌い終わると、氷室は「サンキュー、東京ドーム!」と叫んで、マイクを床に置き、「バイバイ」と言って去っていった。氷室の手の中にあるべきハンドマイクが床の上に置かれているという事実はあまりにも重い。だが、歓声と拍手は鳴り止まない。まだこのままでは終われない。氷室が三たび、姿を現すと、嵐のような歓声が起こった。氷室が「最高!」と叫び、ハンドマイクはあるべき場所に収まって、「SEX&CLASH&ROCK’N’ROLL」が始まった。強烈なダンス・ビートに会場が揺れる。そして最後の夜の最後に演奏されたのは「B・BLUE」。奇しくもBOØWYの『LAST GIGS』の最初に披露された曲だった。これが最後のシンガロング。35曲、3時間20分近く。おそらくこの日発せられた歌の総量はとてつもないことになっているだろう。氷室はもちろん、観客も全力を投入して、この奇跡的な夜を作っていたのだから。ステージ上の氷室は最後にもとびっきりの笑顔を見せた。そして「サンキュー」と言うと、お辞儀し、投げキッスして、ステージを去っていった。そこには完全燃焼したものだけが醸し出すことができるすがすがしさにも似た空気すら漂っていた。耳の調子も体調も決して万全ではなかったはずだ。ここまで6本のドーム公演をやってきて、しかも東京ドームは3日連続で、前日も前々日も30曲以上、3時間を超えるステージを展開してきているのだから心身共に消耗していたのは間違いない。だがこの日の彼はコンディションがどうとかいうレベルをはるかに凌駕していた。気迫、精神力、根性、そんな言葉では形容しきれないような何かもっと大きなものにこの日の氷室は突き動かされていたのではないだろうか。
終演後、スクリーンに「THANK YOU ALL FANS」というメッセージが映し出された。氷室からの愛と感謝、ファンからの愛と感謝、お互いの気持ちが融合して、とてつもないエネルギーが生まれた夜だった。最後だが、最後ではない。そんな不思議な余韻が残った。もちろん未来が約束されたわけではないが、未来が完全に閉ざされたわけでもない。いつか新作が届けられる日がくるだろう。そしてもしかしたら……。未来へと思いを馳せてしまったのは、この日演奏されたたくさんの曲たちから、先へ先へと進んでいくパワーがほとばしっていたからだ。BOØWYは日本語のビートロックのパイオニアだった。ソロ・アーティストとしての氷室京介もたくさんの新境地を開拓してきた。この「最後の夜」すら画期的だった。開拓者にして冒険者。この血は今後も変わることはないだろう。伝説はまだまだ終わってはいない。書き加えられるべき、未知のエピソードはまだまだたくさん残されているに違いない。
「KYOSUKE HIMURO LAST GIGS」に寄せて
ディスクガレージ 代表取締役社長 中西健夫
一昨年の夏、衝撃的な事を聞いてしまいました。氷室京介がライブ活動を無期限休止する、と。そして、2014年7月19日、20日の雨の横浜スタジアム。そのリハーサル中に、あばら骨を折るというアクシデント。誰もが歌えないと思ったのに、彼はステージに立ち、歌い続けました。それが、氷室京介なんですよね。
僕はBOØWYのデビューから、ライブはもちろん、当時のマネージャーと本当にBOØWYを売るためのいろんなアイディアを、夜な夜な飲みながら激論していました。それぞれのライブシーンが、今でもリアルに思い出せます。BOØWYの初めての渋谷公会堂、初めての日本武道館、初めての東京ドーム、氷室京介として初の野外単独公演 etc。
そして2016年5月21日,22日,23日の東京ドーム「LAST GIGS」3デイズ。
もう、ひとことで言い表せないくらい、色んな思いが交錯し、それこそ、音楽というものは、そもそもその曲を聴いたときの自分の人生を一緒に思い出すという作用がありますが、BOØWY、そして氷室京介の音楽は、僕の音楽の仕事を含め、人生とのリンクの仕方が半端ないがゆえに、すごく楽しかったこと、思い出すだけで胸が痛くなるようなこと、いっぱいいっぱい思い出してしまいました。BOØWY&ヒムロックに関しては、どうやら僕の心のメモリースティックの容量がとても大きいようです。
初日、一曲目の「DREAMIN’」を聴いたとき、もう、涙を抑えることが出来ませんでした。そして最終日、トリプルアンコールで登場したラストソング「B・BLUE」を聴き終わったあと、やっぱり「僕は、氷室京介を卒業できない」と……。
なんだろう?ヒムロックって、孤高のカリスマ?日本のロックの様式美?
とにかく、こんな人いない。唯一無比の存在。
記憶の中だけに留めておくことが出来そうにないから、またいつか、氷室京介のライブを観てみたいと、心の底から思いました。訪れないことかもしれないけれど、思うことぐらい自由にさせてよ!
改めて言わせて下さい。「ありがとう」って!!!