インタビュー/兼田達矢
稲垣潤一は今年デビュー35周年。端正なサウンドにのってクールなボーカルを聴かせる彼の音楽はいかにもウェルメイドなスタジオ作品という印象だが、そのキャリアを紐解けば、ライブ・アーティストと呼んでもおかしくないくらいライブにも力を注いできたことに気づく。つまり、レコーディング・スタジオでもステージでも、彼はつねに“いい歌”を歌ってきたということだ。
35周年ツアーを目前に控える稲垣に、ライブへの思いとボーカルに対するこだわりについて聞いた。
──ご自身の音楽活動のなかでのライブの位置づけ、比重についてどんなふうに考えていますか。
最近、ますます大事だなあと思ってます。僕は、ハコバン生活を9年くらいやって、その後82年にデビューしたんですけど、ハコバン時代は僕の歌を聴きにいらっしゃる方というのはほとんど皆無に近かったわけです。ハコバンというのは黒子というかBGMみたいなものだったわけですけど、デビューしてそれがまったく変わっちゃったわけですよ。みなさん、僕の歌を聴きに会場に集まってくださる。ただ、当時は今のようにSNSが無かった時代ですから、お客さんの反応、感想を知るのはファンレター、あるいはアンケートくらいしかないんですよね。だから、自分の歌がどう届いているのか非常に見えにくい時代で、そういうなかでやってて、自分としては未消化な感じというか。その点、いまはSNSで、僕のライブを見た感想がすぐ返ってきます。「今日のセットリストは新鮮でした」「あの曲を久しぶりにやってくれたんですね」といった感じで。そういう意味では、非常にやり甲斐も感じます。
──ご自身でTwitterを確認されたりするんですか。
そんなにマメではないですけど、それでもライブの報告をしたりすると、それに対するリアクションとしてみなさんの声がいっぱい届きますね。
──やはり、一般のリスナー、オーディエンスの反応は気になるものですか。
気になります。自己満足で終わってしまってもしょうがないですから。どういうふうにオーディエンスに届くか、しかも自分が楽しんで届けられるのか、ということについて、みなさんのリアルな声を聞きたいと思うんです。それが、いまは本当にリアルタイムで届くわけですから、本当にありがたいなと思いますね。
──ライブをやっても未消化な感じがあったというお話がありましたが、デビューして程なくヒット・シングルも生まれたし、洋楽のアーティストのようにいいアルバムを作ればライブをやらなくてもいいじゃないかと思うことはなかったですか。
いまから思うと、なんで9年間もハコバン生活を続けられたのかなと思うんですけど、それもひとえにドラムを叩いて歌うのが好きだったから、ということに尽きるんですよ。デビューしてからも、その好きという気持ちは変わらなくて、未消化な感じもあったけれど、それでもやっぱりライブが好きだったんですよね。
──ずっとツアーを続けてこられて、いちばん多いときは…。
年100本近くになりましたね。
──それくらいやっていて、飽きるというようなことはなかったですか。
ありますよ(笑)。
──やっぱり、ありましたか。
「クリスマスキャロルの頃には」や「ドラマティック・レイン」みたいな代表曲は、何千回と歌ってますから、やっぱり自分のなかで鮮度が落ちていくんです。歌えば歌うほど。レコーディング・スタジオで初めて歌ったときの、曲に対する気持ちというものがだんだん失われていくわけです。でも、ライブ会場に足を運んでくださる方のなかには、その日が初めてという方もいらっしゃるわけですよね。いまでは、そういう方のことも考えて、ライブで歌えるようになってきましたけど、ある時期はそういう何度も歌ってる曲はセットリストからはずしたりしたこともありました。