──世武さんにとっての初ステージはいつ頃、どこでだったか憶えてますか?
小1の時の、音楽教室のホールだと思います。
──なんの曲をやったか憶えてます?
自分の曲。
──え、その歳でオリジナルを?
私、4歳ぐらいから曲を作っていて。それを最初に人前でやったのが、小1だと思う。全然憶えてないんですけど、なんせ、まったく足が下に付いてもない頃で。だからペダルとかもまったく使ってなくて、手だけで弾いてる、みたいな感じだったと思います。
──コンクールは、勝ち上がれたんですか?
関西大会まで行きました……あ、思い出した。違う、そのコンクールの時はオリジナルじゃないや。コンクールの時は、なんか、ラテンの曲を弾きました。先生に弾けって言われて、とりあえずコンテストに出ろって言われて、出て、関西大会まで勝ち進んだんですけど、関西大会って、(大阪)フェスティバルホールとかでやったんですよ、確か。
──うわ、それはでかい(※2700人キャパ)。
でかいんですよ。めっちゃ緊張して。弾いていて途中で間違えたのを、「ヤバい」と思って自分なりにごまかして、次の戻ってくるところまで自作して適当に弾いて、最後まで行けたんですけど。そしたらもう、うちのお母さん、超スパルタだったんで、ボロカスに怒られて。それでずっとイップスになって、譜面が覚えられなくなっちゃって。「間違ったらどうしよう」って怯えながら、コンクールに出続けてました。今もそれのクセで、ライブの前とかも死ぬほど練習しないと、本番で間違えるかもしれない、というのに怯えて。ミスチルのツアーのサポートをした時も、1ヵ月ぐらい前から、ひとりでずっと通しリハ、毎日全曲弾いていて。3時間ぐらいあるじゃないですか。それで大変、みたいな。
──そんなことをやっているサポートミュージシャン、他にいないと思います(笑)。
でも1曲でも飛ばしたら、本番で、「あの時に練習を手を抜いたから間違えたのかもしんない」って後悔するかもしれない。だから絶対毎日やってました、欠かさず。
──はあー……。ちなみに、歌う方の初ステージって憶えてます?
……まったく憶えてない……。
──ライブで初めて歌ったのは、プロになる前?
いや、前はないです。っていうか、最初に、ノイズ・マッカートニー(くるりが作ったレーベル)から作品を出せることになって、岸田(繁)さんに「歌った方がええで」って勧められるまで、一回も歌ったことないです。それで、どこだったかなあ……渋谷のO-nestとか、そういう感じのところで、初めて歌ったんだと思います。O-nestの記憶はありますね。対バンがmouse on the keysだったのを憶えてるけど、それが最初だったかはわからないです(※2009年6月19日渋谷O-nest、ダブリンのインストバンドEnemiesの来日公演で、mouse on the keysと世武裕子がゲストだった。当時のウェブ記事によると、これが彼女の初ライブ)。
とにかく、自分が思っているレベルに自分が行ってないことへの落胆ばっかりでしたね、最初の頃のライブは。歌も下手だし。クラシックの時って、1年かけて1曲をずーっと練習してるのが普通なんで。そのパーフェクションを求めていると、ライブなんて無理じゃないですか。いっぱい曲やらなきゃダメとか、MCしなきゃダメとか、苦痛だったです。あと、お客さんが立っていて、疲れないかなあ、という申し訳ない気持ちが、すっごいありましたね。
とにかく、自分が思っているレベルに自分が行ってないことへの落胆ばっかりでしたね、最初の頃のライブは。歌も下手だし。クラシックの時って、1年かけて1曲をずーっと練習してるのが普通なんで。そのパーフェクションを求めていると、ライブなんて無理じゃないですか。いっぱい曲やらなきゃダメとか、MCしなきゃダメとか、苦痛だったです。あと、お客さんが立っていて、疲れないかなあ、という申し訳ない気持ちが、すっごいありましたね。
──じゃあ、普通の気持ちで歌えるようになったのは、いつ頃ですか?
いや、今でようやく、自分の許容範囲になってきた感じ。『WONDERLAND』(2015年リリースのミニアルバム)ぐらいも、まだまだ「このままじゃダメだわ」って。でも今回の『あなたの生きている世界1&2』は……たぶんこれは一生そうですけど、何ヵ月か前の演奏って、「いや、今はもうちょっとうまくできる」って思っちゃうけど。でも今回のはそれなりに、自分がいろいろやってきたことがちゃんと反映されているな、って思います。少なくとも、「恥ずかしいから聴かないでください」とは思ってない。っていうのは、ほんと最近です。そういう気持ちになれたから、ソロを楽しめる気がします。