「ROOTS 66 -Naughty 50-」の開催にあたり、宮田和弥を囲む形で、立場も役割も異なる66年生まれの3人がクロストーク!この席は同イベントの発表記者会見の直後にもうけられたもので、会場にはまだ会見の熱気の余韻が残っているところ。なごやかや懐かしさの中にも熱さやあたたかさがのぞく同い年ならではのこの会話を、全3回にわたってお送りします!
進行・TEXT/青木優
同い年を近づけた10年前のROOTS 66
青木 今日はよろしくお願いします。まずはこのイベントのことから話したいんですが、10年前、第1回目のROOTS 66はどんな話から始まったんですか?
宮田 これ、最初は(FM)802の岩尾さんからですよね?
渡邊 そうです。当時、キョードー大阪にいた三井さん――今、キョードー東北にいらっしゃるんですけど、その三井さんと僕に、802の岩尾さんから「66年のイベントを作れないかと思ってるんだけど」と連絡がありまして。それで3人でミーティングしたのが最初だと思います。「66年生まれのアーティストって、こんなにいるんだよね」「うわ!これ、みんな同い年なんだ?」みたいな話になって。そこからお声掛けをしたんですよ。
宮田 僕はジェット機というバンドをやってた頃で、大阪に行った時にナベちゃんか岩尾くんから直接話を聞いて、「出てみる?」「いやぁ、全然OKですよ!」って。でも僕は2月生まれだから、学年的には1個上という感覚があるんだけどね(笑)。若い時は学年が大事だったりするじゃない?その前の65年もミュージシャンはけっこう多いし、僕はその中間にいる感じがするんですよ。
青木 多いのはたしかですよね。僕はバンド・ブームの頃は大学生だったんですけど、当時「同い年の奴らがずいぶん出てきてるなあ」と思ったものでした。で、10年前のこのイベントはすごく楽しく盛り上がってましたけど、実際に集まってみて、どうでした?
宮田 いやぁ、非常に楽しかったですね!さっき斉藤(和義)くんも言ってたように、東京のZeppが終わったあとに、Zeppにあるレストランで軽く打ち上げやって解散ってなったんだけど、そのあともみんな朝までガンガン呑んで。僕、帰り、斉藤くんに家まで送ってもらいましたからね(笑)。彼のカミさんが運転してくれて。会う機会がなかった田島(貴男)くんともそっから仲良くなったし、スガ(シカオ)くんもそうですよね。スガくんはデビューも遅かったからね 。
青木 スガさんはさっき言ってましたもんね、「僕はこの中で一番芸歴が浅い」と。渡辺美里さんや斉藤由貴さんはデビューからもう30年以上のキャリアで、スガさんは今年で丸19年かな。もちろん若い頃から音楽をやってはいたにしても、デビューというところで切るとだいぶ差があるんです。
宮田 そういう意味で66年って、いい意味で遅咲きの人たちが多いというか。斉藤くんもトータス(松本)もスガくんも増子(直純)くんも、20代とか30代とかの、しっかりした大人になったあたりから有名になってるから。
青木 なるほど、たしかに。まあ増子さんの怒髪天が知られるようになったのは、わりと最近の、40代半ばになってからですけど(笑)。
渡邊 それで言うと、(宮田が有名になった時期は)比較的早いほうですよね。
宮田 でもね、そこ、僕からしたら、うらやましいなって思う。お金も計算できるようになってから、ちゃんと印税とか入ってるわけでしょ?ジュンスカなんか、22(歳)でポンと行っちまったわけですよ。もう右も左もわからず、金のことなんか全然わかんない頃だったから(笑)。通帳にいつもより金額がちょっと多く入ってればバンザイ!みたいなもんでしたよ!
青木 ……訴えが生々しいです。お金の話だと(笑 )。
同い年の頑張りに、自分も励まされた