ようやくthe pillowsとして軌道に乗りはじめ、順調にファンも増えてきた中、1992年にバンド結成のきっかけでもありリーダーでもあった上田ケンジが脱退してしまう。解散か、継続か、そしてどんな方向に進んでいくのか。バンドとして大きな決断を迫られた。
【第2回】
1993年~:「the pillows“第二期”」
1996年~:「the pillows“第三期”」
「ステージに立つ人間としてどうなりたいか、なりたい自分になってみせるという熱い闘志があった」
──リーダーの上田ケンジさんが脱退されて、バンドを存続するかどうかという葛藤もあったと聞いていますが、編成もベーシストが変わり、4人編成でなくキーボードとパーカッションのサポートも加わった形でツアーをやられていましたが、音楽性がバンドとしてガラッと変わりました、CDも含めて。このときのさわおさんは、大きな決心をする必要に迫られたと想像します。
山中さわお(vo,g)ややこしいのが、ここには本当はふたつのストーリーがあって、“バンドを作った張本人でリーダーでもある上田ケンジが抜ける”という話と、“たまたま自分の音楽ジャンルの嗜好がブリティッシュ・ロックからジャズとかソウルみたいなものに興味を持ち始めていた”という話はまったく別の物語で。メジャー2枚目のアルバム『WHITE INCARNATION』(1992年発売)ではちょっとジャズっぽい曲も2曲くらい入ったりしてて、グラデーションで変化しているときに、上ケンさんが抜けたっていう感じなんですね。で、バンドを解散しようかって話になったんだけど、3人でもうちょっとやろうということで、重要なキーマンになってくる鹿島達也さん、当時はSUPER BADのメンバーだった方。鹿島さんがサポートに入ってくれて、でも事実上は鹿島さんがジャズとかソウルの本物というか、その世界の人だったからオレたちは“ジャズ、ソウル見習い”みたいな感じで、サポートなんだけどリーダー的存在だった。で、そこから発展して、じゃあ鍵盤も欲しいということで上田禎君、パーカッションも欲しい、で金ちゃん(金野由之)の6人体制でCDを作ったり、ツアーを回ったりするようになって、だいぶ楽しくなってただろうな。
上ケンさんが抜ける段階でオレは解散を主張して、真鍋君(真鍋吉明 / G)とシンイチロウ君(佐藤シンイチロウ / Dr)はまだ続けようという話だったので、なんとなく別れたい方と別れたくない方だったら、別れたい方がイニシアティブ握れるんだよね(笑)、条件を出せるっていうか。“だったらこう改善してくれ”って(笑)。なので、いろいろ自分のやりやすい環境を整えていったとは思う。ただ単純に自分のボーカリストとしての技量がそんなに上がってないのに、より歌が難しい曲を作り始めてしまったので、依然として歌はあんまりうまく歌えなかったな。でも、大阪で人気が出てきたね、東京よりも。だから“渋谷系”という言葉が流行ってたので、“いやオレたちは心斎橋系だ”って冗談で言ってたくらい。東京より大阪の方で人気が出たのでその状況をちょっと皮肉も込めて“心斎橋系”と名乗ってた。“ちょっとイケるか?”っていう、“ステージが一個、二個上がったな”みたいな感覚はあったかもしれない。
──アルバム『KOOL SPICE』(1994年発売)以降、CDもジャズやソウルのテイストだったり、それでツアーをやっていった時期がthe pillowsの歴史としては“第二期”と呼ばれる訳で、その後の“第三期”に繋がる過渡期としてはthe pillowsの土台がしっかり固まってきた時期ということになりますね。
山中さわおたぶん真鍋君、シンイチロウ君はプレイヤーとしての引き出しをめちゃめちゃ増やした時期だとは思う。いろんなことを要求したので。その頃は真鍋君、ギターいい音出してた。ギブソンのゴールドのレスポールで、そのときの音はCDも結構いいかもね。あと面白いギター弾いてたかな。ライブは上ケンさんが抜けて、二人は歳も上だし“the pillowsは山中さわおがリーダーなんだ”っていうのが、抜けた瞬間に180度変わるような感じには変わっていかなかったな。それを受け入れるのに2年くらいグラデーションの変化で“やっぱり山中がリーダーでやっていくのがこのバンドはうまく回るんだ”というのを全員が気づいたっていう感じだったんじゃないですかね。
──“第三期”のツアーを積み重ねている時期は、さわおさんの中で気持ちの変化などありましたか。
山中さわおうーん、すごい良い頃だよね。毎回毎回手応えがあったんじゃないかな。ずっとステージに立っている山中さわおのキャラクターを探していて、いろんな方向を試してみて、その頃になんとなくキャラクターが定まりつつあった。今はもうキャラクターじゃなくて本当の普段の自分になってしまったけど、そのときはまだステージに居る山中さわおを演じてたと思う。でも今に近いものだと思う、たぶん。MCすごい長いし、めちゃめちゃ喋るっていう感じ。初期は全く喋んないからね。MCは僕はしないで、シンイチロウ君がしたり上ケンさんがしてたくらい。
そこから考えたらもう“第三期”のときはいろいろと…。例えばSEが鳴ってステージに出てセンターまで歩いてくときの歩き方、どうやって歩いて、どういうタイミングでギターを持ってどうやって始めるか、ってところまでとにかく“ああなりたい自分”になるぞっていうのを強く強く意識していた。だから今はもうライブが始まる1分前に世間話べらべらしててもステージ出たらワーッってできるけど、そのときはそうじゃなかった。出る前は15分くらい“オレに話しかけないで”って感じでスイッチ入れて。トム・ヨーク(=レディオヘッド)だったらこうやってステージに出るとか、リアム(・ギャラガー=オアシス)だったらどうするだろう、カート・コバーン(=ニルヴァーナ)ならどうするだろうとか、オレはどうするんだって。ものすごくステージに立つ人間っていうのを、“どうなりたいんだ?”って問うて、“そうなりたい自分になってみせる”という熱い闘志みたいなのがあったと思うな。
[第3回予告]主宰レーベルイベント「DELICIOUS BUMP SHOW」、互いへのリスペクトで実現した「Mr.Children&the pillows new big bang tour ~This is Hybrid Innocent~」
[第3回]インタビューを9月上旬公開予定!
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