テキスト:金子厚武/撮影:ほりたよしか
僕に世界の音楽の素晴らしさを教えくれたのは、他の誰でもない、宮沢和史その人だ。僕より上の世代であれば、その役目を坂本龍一や細野晴臣が担ったのかもしれないし、僕より下の世代であれば、それはくるりだったりするのかもしれない。しかし、90年代に青春期を過ごした自分が一番最初に衝撃を受けたのは、THE BOOMからソロへと至る宮沢のジャマイカ~沖縄~ブラジルを巡る旅であった。彼の作り出してきた文字通りの「ミクスチャー」は、差異を認識し、多様性を認め合うことの重要性を教えてくれた。その重みが日増しに強まる中、彼の音楽はいつだって僕の指針になっている。
2014年のTHE BOOM解散を経て、昨年末にソロ活動の集大成を記録した『MUSICK』をリリースし、年明けに歌手活動の無期限休止を発表。ラストを飾る今回のツアーには、盟友の高野寛や、先輩にあたるレピッシュのtatsu、そして、マルコス・スザーノ、フェルナンド・モウラ、ルイス・バジェらによる多国籍バンドGANGA ZUMBAのメンバーがひさびさに集結し、宮沢の集大成であり、新たな門出となるツアーに華を添えた。
ツアー最終公演となったZepp DiverCity(TOKYO)でのコンサートは、3時間を超える熱演となったが、まず序盤で印象的だったのは、“E TUDO TAO MENOR”や“BRASILEIRO EM TOQUIO”など、『AFROSICK』の曲が続けて披露されたこと。このアルバムはTHE BOOMの『極東サンバ』、『TROPICALISM -0°』によってブラジル音楽への想いを強めた宮沢が、実際にブラジルへ渡り、現地のミュージシャンと作り上げた2枚目のソロ・アルバム。このときのレコーディングで宮沢はマルコス・スザーノ、フェルナンド・モウラと出会っていて、つまりはGANGA ZUMBA結成に至るスタート地点がこのアルバムなのだ。そこからの曲が序盤に並べられたことには、間違いなく意味があったはず。
中盤では、元ZELDAのSAYOKOが単身ジャマイカに渡って作り上げたアルバムに提供したスウィートな“SPIRITEK”、THE BOOMのラスト・シングルであり、「こういう曲が書きたかった、と思えた」と語る“世界でいちばん美しい島”、石川さゆりに提供した“さがり花”などを披露。フェルナンド・モウラの愛娘に捧げられた“Primeira Saudade”での親密な雰囲気からは、GANGA ZUMBAが家族のような関係性であることを強く感じさせた。
後半戦の盛り上がりは、宮沢の音楽の旅を凝縮したようなもの。“ハリクヤマク”や“ちむぐり唄者”といった沖縄音楽ベースのミクスチャーから始まって、開放感のあるサウンドが美しい海を連想させる“楽園”を挟み、気が付けばそこはラテン・アメリカ。“SAMBA CAOS”や“Mambolero”で熱狂のカーニバルを巻き起こし、“WONDERFUL WORLD”で原点のスカに回帰する流れはまさに絶品。このときステージを飛び回る宮沢の姿は、THE BOOMのデビュー当時と何ら変わりのないものだった。
本編ラストは宮沢が作詞、高野が作・編曲を手掛けた“形”。高野は2014年にブラジルに渡って『TRIO』という作品を作っていて、それはどこか宮沢の『AFROSICK』との円環を感じさせるものだった。“形”では〈形あるものは 何もあげられなかった〉〈今 君に あげられるのは この歌と僕だけ〉と歌われているが、形はなくとも、それが多くの人にとっての確かな光だったことは言うまでもないだろう。
アンコールの一曲目に披露されたのは、宮沢にとって最初のソロ・アルバム『Sixteenth Moon』の一曲目を飾っていた“抜殻”。〈人生をもう一度 やり直したとしても 同じ道を歩いて 君に出会うだろう〉という歌詞が胸に響く。そこから“HABATAKE!”、“DISCOTIQUE”というGANGA ZUMBAの代表曲を立て続けにプレイし、もう一度会場中が一体となって盛り上がると、最後はフェルナンド・モウラ、ルイス・バジェ、土屋玲子の3人と共に、“遠い町で”がしっとりと披露された。
〈離れていても 君の心 いつも見てる〉
〈遠くにいても 君の涙 僕は見える〉
次の夢へと向かう彼の新たな旅立ちに、心からのエールを送りたい。