帰って来た孔雀婦人 ~蜂月蜂日~
2016年8月8日(月)東京キネマ倶楽部[SOLD OUT]※ドレスコード:ジュリ扇
TEXT:兵庫慎司
PHOTO:中野修也
女王蜂の日、8月8日に行うライブの3回目(なので今回で3年目)。「今年はデビューから活動休止前までの女王蜂の再現・再解釈に挑んだライブを披露しようと準備をして来ました」と、前日アヴちゃんはブログに書いていたが、そのとおり、衣裳やメイクも当時のもので登場。なお、これもアヴちゃんのブログを読んで知ったが、ギターのひばりくんとサポート・キーボードのみーちゃんの衣裳は、アヴちゃんが昔着ていたものだそうです。どんだけ細いんだ、ふたりとも。
なお、女王蜂のライブと言えばご存知ジュリ扇が必須アイテムであって、amazonで女王蜂のCDにアクセスすると下の「この商品を買った人はこんな商品も買っています」のところにジュリ扇が出るし、女王蜂のライブがある日は最寄りのドン・キホーテでジュリ扇が売り切れる(以上、アヴちゃんが好んでよく使うMCより。この日も言っていた)。
バンド側から持って来いと言ったこともなければグッズで売っているわけでもないのに、いつの間にかそれがすっかり定着している。初期の「バブル」という曲がきっかけなのではと思うが、こうなったらもういっそグッズで作ればいいのに。と誰もが思っていたのだが、このたび遂に作られ、この日、限定販売されることに。
それを記念して、なのかどうかは知らないが、この日のライブ、ドレスコードならぬ「振りものコード」として、「来場者はジュリ扇持参のこと」というルール。まあみんな持ってきますよね、誰もなんにも言わなくても持ってくる人たちなんだから。
というわけで、1曲目からラストまで、終始フロアいっぱいに色とりどりのジュリ扇が振られまくるライブとなった。途中でアヴちゃん、思わず「床がすごいことに……」と漏らしたり(抜けたジュリ扇の羽根でえらい状態だったのです、ステージの上も下も)、後半では前のお客さんの赤いジュリ扇を手に持って「ようこんなんなるまで……」と感心したりする一幕も(まるでジュリ扇で人をしばき回したみたいにボッロボロに壊れていたのです)。
とにかくもう、終始すさまじい図でした。地獄絵図なのか、天国絵図(そんな言葉はないが)なのか、わからないが。その両方か。
本編13曲、アンコール7曲だったので、1部と2部、と形容した方がハマりがいい構成。予告通り1部は、「告げ口」のような今でもライブの定番の曲も、「棘の海」のようなレアな曲も含めて、デビューから活動休止までの3枚から選曲。ただ、そう思って観ていたら、最新作である獄門島一家とのスプリットシングル『金星/死亡遊戯』収録の「く・ち・づ・け」が、突然プレイされて驚かされたりもする。
2部は、「ヴィーナス」から始まって、「一騎討ち」「スリラ」「もう一度欲しがって」など、現在の女王蜂のライブ・アンセムを連打。「バブル」もこっちでやったけど、今のライブ・アンセムでもあるからアリ、ということなのだと思います。あと、女王蜂のレパートリーの中でもっとも“ジュリ扇振り乱れ度”の高い曲なので、後半にやりたかったのだとも思います。
で、シメは最新作から「金星」、アンコールはなし(この2部がアンコールなので)という、スパッ!としたエンディングだった。
で。濃かった。とてつもなく濃かった、1部も2部も。
マグマというかドグマというかカオスというか……どの言葉もその濃さに届いていなくて申し訳ないが、とにかくそんなような、ものすごいエネルギーが出口を探して蠢いていて、バンドとかロックとか音楽とかいう形ならそれを外に出せることを知って噴出させたら、えらいことになってしまった──初めて女王蜂のステージを目撃した時のショックが、未体験すぎて自分の中でなかなか整理できなかったのは、そういうものだったからなんだろうな、と今になると思う。
「うわ、えらいもん観てしもうた」「観てはいかんものを観た」「知ってはいかんことを知った」「厳重にフタしといたのに開けられてしもうた」──そういう感じ。というか、そのように、闇のものを白日の下に晒す手段としての音楽。
ただ、それがあまりにも強烈すぎて、自分たちでも扱いきれなかったというか、その毒に自分たちもやられてしまったから活動休止せざるを得なかったというか……って、ちょっとこれ、雑に言い過ぎだが、ただ、いくら自分の中から出てきたものとはいえ、生身の人間が素手で扱ってはいかんものをわしづかみにして音楽にしていたから、ストップせざるを得ない事態に追い込まれた、というところもあるのではないかと思う。
って、なんだその、生身の人間が素手で扱ってはいかんものが自分から出てくる、というのは。毒か。ハブとかタランチュラの類いか、アヴちゃんは。それも言い過ぎだが、いや、だから、アヴちゃんに限らず、人間誰もがハブやタランチュラのようなやばい部分を持っている、と私は思うわけですが、そこから決して目を背けない表現をしてきたのが女王蜂であると。
で、生還して再始動したあとも、ポップになったりダンサブルになったり間口が広くなったりはしているものの、その危険さは本質的には変わっていないのだなあ、ということを、1部と2部がきれいに自然につながった、この日のライブを観て強く感じたのでした。
しかし、この東京キネマ倶楽部というハコ、女王蜂にとてもハマりがいい。行ったことがある方はご存知でしょうが、もともとグランドキャバレーだった場所をライブハウスにした会場で、ステージ左上方にバルコニーがあって、メンバーは普通にソデから出てソデに帰っていき、アヴちゃんはそのバルコニーから登場してバルコニーからステージを去って行く、それをスポットライトが追うさまが、何か「女王蜂劇場」みたいに見えました。有楽町の宝塚劇場みたいなことです。
唯一惜しいのは、女王蜂の動員力にキャパが合っていないこと。この日もソールドアウトでした。