2012.3.14 up
NEW ALBUM「45 STONES」を携えての全国ツアー、いよいよ地元FINALへ。
満員御礼の武道館LIVEをレポート!
この男は本気だった。斉藤はこのツアーでも「No Nukes!」と原子力反対を叫んでいたのだ。しかも光の動きもめまぐるしい、ダイナミックなライティングの下で。その光量は、去年の夏頃までなら、はばかられるレベルの演出だった。
こうして吼える瞬間の彼からあふれ出ていたのは、おそらく怒りや憤りといった攻撃性だけではない。電力を含め、現代社会の利便さの上で生きる自分(たち)の矛盾、そんな生活を許容していた事実から生まれる情けなさ、やるせなさ。荒くれる歌とギターの激流は、それらが全部ゴッチャになっているかのように轟きながら、こちらの胸の底に沈んでいく……。
今、斉藤にはかつてない好状況が訪れている。TVドラマ『家政婦のミタ』の主題歌になった「やさしくなりたい」の120万ダウンロード突破。SMAPに書いた「僕の半分」のヒット。日本武道館での単独公演はこれで4度目だが、即完を受けて追加公演まで出たのは初めてだ。「やさしくなりたい」の演奏前に「おいしい思いをしてます」と笑わせた。そうした「デビュー19年目のベテランにしてはありえないこと」を喜ばしく受け止めているからだろう。
そこで思うのは、昨春の「ずっとウソだった」騒動だ。斉藤和義がアーティスト生命を懸けている!と多くの人が感じたであろうあのアクションだが、その後現在のような流れができたことを思うと、賛否両論がありながらも、世の人々の多くは彼の行動や姿勢に拍手を送り、それを認めたと解釈できる。本人は「去年は原発事故があって、替え歌出して、怒られたりしましたけど」とこぼしたが、そのMCにも拍手が返った。もっとも、こうした現況を切り開くにあたってはスタッフの努力も相当だったはず――という僕の考えも明記しておこう。
しかし「ぜひ若い人に続いてほしい」(昨年4月17日、日比谷野音でのイベント<ザンジバルナイト>でのMC)と言っていた斉藤が、のちに「みんなああいうのやるんだろうなと思ってて、そしたら全然そんなことなかった」(昨年8月20日放送、テレビ朝日『報道発ドキュメンタリ宣言』より)という発言をしたように、近い動きを起こした者はきわめて少なかった。そしてそれは(忌野清志郎からの影響もありながらも)、裏を返せば、彼がそれだけ自身の感情に忠実なまま音楽に向かっている露れでもあった。斉藤は、情報過多なメディア社会や、とくにインターネットによって個人性が隠されがちな現実へのイラだちを歌にしているが(この夜唄われた「ウサギとカメ」もそのひとつ)、少なくとも3.11以降の問題については、そんなふうに周りの顔色をうかがうなんてしなかったのだ。そのトゲトゲした感情がまったく収まりがついていないのが、冒頭で書いたシーンからは伝わってきた。
ギター3本が鳴るバンドの音はソリッドで、ボトムも太く、わけてもフジイケンジ(The Birthday)のブルージーな音色は曲の世界を豊潤に広げている。全員でコーラスをするシーンもあり、こうした武骨さが現編成の特色だ。演目としては、最新作『45 STONES』からはともかく、ちょうど10年前のアルバム『35 STONES』からいくつかの曲が配されていたのも重要に思えた。斉藤個人の周囲の苦境に加え、9.11の同時多発テロもあったあの時期の思いは、今の空気と符合する部分があるのだろうか。
ひとたび口を開けばやはり下ネタで、それもあって「ひょうひょうと」と称されることの多い斉藤。しかし去年からの活動姿勢で、むしろこの男は非常に感情的な人間であり、その振れるままを唄うシンガーだということを強く示すことになった。しかもヒットソングを作れる大衆性――たくさんの人の心の琴線に触れる歌を唄える才の持ち主でもある、と。今夜ももちろん唄われた名曲「歌うたいのバラッド」の<本当のことは歌の中にある>という一節のとおり、斉藤和義の本音は歌の中にこそ存在する。そこには苦みも悲しみもあるし、だけど生きる喜びや純粋な恋心も、最高のロックンロールもバラードもある。このツアーは、そんな人間くさい音楽が思いっきり表現されたコンサートなのだ。それは本当に……本当に至福の時間であった。
●Report by 青木 優
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